「名前さん」
「あ、茅ヶ崎くん。お疲れ様」
「おつー」

がこん、と音を立てて落ちてきたミルクティーを手に取って、声の主の方を振り返る。今朝は寝坊して朝ごはんを食べる時間がなく、ばたばたしていた午前中をようやく乗り越えて、お昼ごはんまでの繋ぎに糖分を摂取することにした。振り返った先、我が社の誇る二大イケメンのうちの一人が、間延びした声で返事をし不吉な顔でにやりと笑った。早々に嫌な予感がする。

「見たよー昨日、千景さんと歩いてんの」
「・・・・・・」
「いつの間に仲良くなったの?」

み、見てる人いた。
ぞっとしてその場にフリーズしているわたしの隣に並び、茅ヶ崎くんが自販機のボタンを押す。大きな音を立てて落ちてきたコーヒーを手に取りながら、上目遣いでいたずらな表情を作りわたしを見つめた。

「ぐ、偶然だよ。お店に入ったら卯木さんがいて、なんか一緒に食べる流れになっちゃっただけで」
「ふうん」

何故か言い訳がましくなってしまうわたしへの返事はそっけないものの、その言葉尻は楽しそうで。綺麗なルビーの瞳を嫌らしく細めて、茅ヶ崎くんはわたしを見下ろしている。この人のこんなに意地悪そうな笑顔、会社の人たちは絶対知らないだろうなあ。爽やかでスマートに気配りができる、王子様のような人だもの。・・・いや、でも、一部の女子にはこういう意地悪な茅ヶ崎くんも大いに需要がありそうだ。

「めずらしいなあと思ってさ。あの人が誰かと一緒にご飯を食べるなんて」
「そうなの?」
「・・・さあ」

実際は、俺もまだよくわからないんだよねえ、先輩のこと。
すらりと伸びた指で缶の蓋を開けながら、目を伏せがちにそう言う。彼の長いまつ毛が作る影を見つめながら、茅ヶ崎くんも随分と砕けた話し方をしてくれるようになったなあ、と思う。

わたしが春組の旗揚げ公演に何度も通っていたことは元々茅ヶ崎くんも知っていたけれど、その時はまだ会社の同僚、という距離感だった。だけど、迷子になっていた天馬くんを寮まで送り届けた時だったか、わたしがカバンに付けていたスーパーさんかくクンに三角くんが目を輝かせ、さんかく友達だと寮まで引っ張って行きグッズを自慢された時だったか、真冬のベンチでぐうすか寝ていた密さんを命がけで寮まで引きずって行った時だったか。
ぶつぶつ文句を言いながらジャージを引きずって廊下を歩いてきたちょんまげ姿を見た時はぽかんと開いた口が塞がらなかったし、茅ヶ崎くんも慌てて他所行きの笑顔で誤魔化そうとしていたけれど、すぐに何もかも諦めた様子で、「会社の人には秘密で」とドスの効いた笑顔でわたしを口止めするだけだった。
ただの同僚。ただの劇団員とそのファン。という関係から、そうして一歩踏み込んだ距離感になった。こっちの茅ヶ崎くんの方が話しやすくて、わたしは結構好きだったりする。

「卯木さん、春組の新しいメンバーなんだよね」
「そうそう。聞いたんだね。演劇未経験だけどいい感じって、監督さんも言ってたよ」
「へえ」

あの、卯木さんが。何考えてるか、何が本当のことなのか、さっぱりわからないようなあの人が。
でも、だからこそ、誰かになりきって演じることができるのだろうか。・・・わからない。

ロミオとジュリアスを初めて観た時、咲也くんの真っ直ぐな心を感じる演技に胸を打たれたことを思い出す。あの公演は、みんながそれぞれ舞台の上で、まるで心の内を曝け出すかのように演じていると思った。だからこそあんなに引き込まれたし、あっという間に人々を魅力したのだろう。
それを、今の卯木さんが。
そう考えると、やっぱりなんだか想像できない。

「んーー、まあ、顔も良いし、背が高いから舞台映えしそうか。声も通るし、立ち振る舞いも華があるし」
「認めたくなさそうでウケる」

悔しいけど、春組がパワーアップしてくれるなら、ファンとしても楽しみだ。認めたくない気持ちを顔に出して渋々頷けば、茅ヶ崎くんが笑い出す。

「二人が同じ舞台に立つなんて、また会社の子たちがいっぱい来て、チケット取りづらくなっちゃうなあ」
「チケ戦ファイトー」
「あ、そういや地方公演めっちゃ良かったよー!方言とか、きゅんきゅんした!」
「でしょー?俺かっこよかったよね?」
「うん。ティボルト、わたし好きなんだよねえ」
「あーはいはい、役ね」



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