午前中は備品の発注、取引先の代表者変更に送る祝花の手配をして、郵便物の仕分け。ああ、それから、資料室の電気が切れているからビルの管理室に交換の依頼をしないと。それに、午後イチにも来客対応があるから、今日のランチはいつもより早めに取らないといけない。頭の中でさまざまなタスクを組み立てながら、眩しいくらいに明るい、清潔なオフィスの廊下を早足で歩く。

「名字さん、お疲れ様」

爽やかな声に呼び止められ、パンプスのつま先に体重をかけ、ほとんどつんのめるように止まる。社内のなんでも屋と呼ばれる我々総務部は、地味な仕事が大部分をしめ、面倒ごとややっかいごとも押し付けられがちだ。そのくせ、社内の人からは真っ先に顔を覚えられてしまうのだから、なんだか損な役回りだとも思う。だからこそ、できるだけ感じ良く対応しなくてはならない。めんどくせえ、と一ミリも顔に出さないように、にっこりと笑ってその人に向き合った。

「卯木さん、お疲れ様です」
「ごめんね、忙しいところ呼び止めて」

ほんとだよ、と思いながらも、とんでもないです、と首を振る。一年先輩の卯木さんはすらりとしたスタイルの良さと見るからに整った顔立ち、外国語は何カ国か忘れたけどぺらぺらで、そのくせ威張り散らしもせず物腰柔らかく紳士的なその態度に、めろめろになる女性社員(一部、男性社員も含む)が後を絶たないという。彼は茅ヶ崎くんと並んで、我が社の誇る二大イケメンと呼ばれている。
わたしは、卯木さんのこの貼り付けたような笑顔がちょっと苦手だ。

「さっきは来客対応ありがとう」
「いえいえ、業務なので」
「あはは。でも、先方も、キミの感じがとても良かったと褒めてくださっていたよ」
「恐縮です」

わからない、つまり何が言いたいんだろう。この人、確かに笑って見えるのに、何故か全く笑っていないような気がして、その瞳を直視するのが少し恐い。それに、廊下に二人きりで立ち話。こんな場面を女性社員に見られでもしたら、あらぬ噂を立てられるんじゃないかって、更に恐い。相手がこの人や茅ヶ崎くんなら、あっという間に噂の的になってしまうだろう。

「では、」

ああ、こんなところで油を売っている場合じゃない。早くしないと、郵便物を待っている経理部の大先輩に小言を言われてしまう。こちらも負けじと笑顔を貼り付けながらそろそろと足を踏み出せば、その上をいく完璧な笑顔で卯木さんは話を続ける。
くそ、この人わかっててやってるんじゃ?

「名字さんって、MANKAIカンパニーのファンなんだよね?」
「あ、はい、え?」

思わぬ方向からの突然の質問に、素っ頓狂な声を出しながらも素直に返事をしてしまった。
去年、茅ヶ崎くん目当ての同期に連れられて春組の公演を見てから、このカンパニーが大好きになり、有給を取りながら春夏秋冬全ての公演を観に行った。行ける時はカンパニーのメンバーが客演で出ている舞台も観に行ったり。
わたしがすっかりハマっていることを、なぜ、普段特に話もしないこの人が・・・?

「俺、春組に入ることになったんだ。良かったら次の公演も観に来てよ」
「ええっ!?」

自分でも驚くほどの大きな声で廊下で叫べば、遠くを歩く男性社員が驚いたようにこちらを振り返った。卯木さんが春組、え、なんで、ほんとに?っていうか、なんでわたしに?

「それだけ。名字さんに最初に伝えたかったんだ」

卯木さんは驚いたままのわたしを置き去りに、それじゃあね、と満足げに笑って去っていく。
あ、今、ほんのわずかだけれど、彼が確かに笑った気がした。




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