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「エイプリル」



卯木さんの長い足が、その場にぴたりと止まる。さっきまで、インドのなんとかカレーの話を楽しそうにしていた卯木さんの表情の一切が失われ、深い色をした瞳でわたしを静かに見つめている。なんの表情もない彼を見つめ返しながら、久しぶりにこの人を恐いと思ってしまった。

「ど、どうしたんですか?」
「エイプリル、って?」

静かで淡々とした声。答えを間違えたら、彼にこの場で消されてしまいそうなほど、冷酷な声。

「これ、アニメ映画の」
「・・・・・・」
「12人の妖精のお話、知らないですか?」

このシリーズも確か三作目になる。子供をターゲットにしているけれど、大人からも人気のアニメ映画だ。いろんなグッズも発売されていて、この国で暮らしていてこの作品を知らない方が驚いてしまうほどに街中に溢れている。わたしが指さしたのはエイプリルという妖精で、暦の月どおり、全部で12人の妖精がいる。それぞれに性格や特技がある彼らが、一緒に冒険をする物語だ。

「そう」
「知・・・らなそうですね」
「うん」

未だ表情に陰を落としたままだけど、卯木さんの恐ろしいほどに鋭い目は少しだけ和らぐ。会社を出たところで偶然彼に会い、天鵞絨町までを二人で歩いて帰ることになった。そんな最中、街中に張り出されていたポスターを指さしたわたしの何かが、彼の気に障ってしまったようだった。

「12人の妖精にはそれぞれ性格があって、みんなで力を合わせて冒険するんです」
「へえ」
「さっきのエイプリルは、小言が多くて、ちょっと嫌味っぽい子で」
「・・・嫌なヤツなんだな」

自嘲気味に卯木さんが笑う。わたしはただ、キャラクターのエイプリルの話をしているだけなのに、卯木さんはまるで、自分が言われているみたいな暗い表情をしている。さっきまでとは違い、卯木さんは確かに隣にいるはずなのに、ここじゃない、どこか遠いところに心があるように、上の空で返事をする。

「でも、本当は、お節介で真面目すぎるだけなんです。だから、憎めなくて、可愛い子なんですよ」
「そんなやつが可愛いのか?」
「はい。・・・わたしはエイプリルが一番好きなんです」

だからちょっと贔屓目かもしれないけれど。そう言い加えれば、卯木さんは眼鏡の奥の目を見開く。・・・あ、たぶんもう、いつもの卯木さんだ。戻ってきた彼の表情に安心して、わたしはまた、いつも通りに話し出す。

卯木さんはアニメなんてまるで興味がなさそうなのに、じいっとそのポスターに目を向けたままでいた。もしかして、この作品に何か気になることでもあるんだろうか。

「今度、一緒に観に行きますか?」
「・・・え?・・・あ、そうだね」
「ふふ、興味なさそう」

他にも、寝てばっかりの妖精とか、薬作りに夢中になる妖精とか。いろいろいるんです。ポスターを指差してそれぞれのキャラクターを紹介するわたしの話を、卯木さんは静かに耳を傾けて隣で聞いてくれる。まるでどこか遠い国の昔話のように、わたしが指差す先のキャラクターを、卯木さんは順番に目で追いかけている。

「・・・いや。キミがそう言うなら、俺もこの映画を観てみたいと思ったよ」
「はい。じゃあ今度一緒に行きましょう。きっと卯木さんも、エイプリルを好きになれますよ」
「・・・それは、どうだろう」

静かに目を伏せる卯木さんは、消え入りそうなほど儚く、ふうと吹いたらどこかに飛んでいってしまいそうなくらい頼りなく感じた。隣にいるのに、ここじゃない、どこかうんと遠いところに卯木さんの心はある。多分、そこに本物の心を置き去りにしてきたんだろう。
それは、どこなんだろう。卯木さんの心は、いつ、誰と共に今もそこに在るんだろう。

はじめて彼の心の底に触れたいと、そう強く思った。



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