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三角くんが客演で出演しているという劇団のソワレを鑑賞し、るんるんとした気分で天鵞絨駅までの道を歩いている途中。自然と目に入った、風に靡く美しい色の髪につられ立ち止まる。・・・やっぱり、密さんだ。こんな時間に、肌寒い外のベンチに腰掛けて、ぼんやりと月を眺めている。また迷子なんだろうか。そういえば、こうして起きている密さんは、なんだかめずらしい。

「密さん」
「ああ、名前」

わたしの名前、覚えてくれていたんだ。少し感動しながら、密さんの座るベンチの前に立つ。きょろきょろと確認するけれど、周りには誉さんも丞さんもいない。・・・やっぱり、ここに一人でいるのは変な気がする。

「迷子ですか?」
「ううん、眠れなくて」

目を伏せて小さく首を振る密さんは、なんだか迷子の子供のように、頼りなく不安げだ。
密さんが眠れない、なんてことあるんだ。だってこの人、本当にいつだってどこでだって寝てしまうのに。常にうとうとしていて、現実と夢の狭間を行ったり来たりしているような人。そのくせ舞台に上がればとんでもない存在感で演技をするのだから、そのギャップがたまらなくカッコいいと思っていた。
眠れないと言う密さんの頬は驚くほどに白く、春とはいえ夜は冷えるこの時期に、何時間もここにいたのかとしれないと思うとぞっとした。

「すみません、ちょっとだけ触れますね」
「・・・あったかい」

思い切って触れた密さんの手は驚くほどに冷たく、今にも凍ってしまいそうなくらいに強張っていた。多分この人、放っといたらずっとここでこうしているんだろう。そう思えば、やっぱり密さんを放っておくことはできない。

「飲み物買ってくるので、ここにいてください」
「うん」

慌てて近くのカフェに走り、ココアを二つ注文する。戻ったらいなくなっていそうだな、と思いながら急ぎ足で戻ってみれば、そこにはまだぼんやりと月を眺める密さんがいたので安堵した。

「これ、ココアです」
「ありがと」
「あ!熱いから気をつけてくださいね!」
「・・・おいしい」

一口飲んだ密さんが、ほおっと長いため息をつく。これで少し落ち着いてくれたらいいなと思いながら、わたしも少し距離を空け、密さんの隣に腰掛けた。何にも話さず、ただ道ゆく人の姿を目で追いながら、温かいココアを口に運ぶ。黙ってココアを半分ほど飲み進めたあたりで、密さんがぽつぽつと、重そうにその口を開いた。

「・・・眠るのが怖い」

両手でカップを包む自身の指先を見つめながら、密さんがひとりごとのように気持ちを吐露する。

「眠ったら、多分、思い出してしまう」

何を、とか、誰を、とか。簡単に聞いてはいけないとわかるくらいに、この人の抱えているものは大きいような気がした。それぐらい、普段はぽやぽやと寝ているだけだと思っていたこの人が、急に遠い人のように思えてしまう。わたしに出来ることなんて、こうしてただ、黙って隣にいることぐらいしかない。それが、もどかしい。

「今はまだ、怖いんだ」
「・・・はい。それでいいですよ」

顔を上げ、美しい顔で掬うようにわたしを見上げる密さんと目が合い、わたしは彼を少しでも安心させたくて、微笑みながら小さく頷く。ようやく緊張を解いたのか、密さんがいつものような柔らかい表情に戻っていく。誰にだって秘密はある。話せないことは話さなくていいし、もし言いたくなったら言えばいい。その時わたしには、ただ聞いてあげることしかできないけれど。そう思いながら、きっとこれは、卯木さんにも言えることだなあと、ぼんやりと考えていた。

「聞いてくれてありがと」
「いいえ」
「ココア、もう一杯飲みたい」

一番大きいやつにして。と密さんが可愛らしくねだる。

「仕方ないですね」

まだもう少しここにいてほしいと、彼が言っているような気がした。



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