盗んだんだ君の今夜を 「じーん!」 あそこでぶんぶん手を振る人は名字名前さん。新卒で、ボーダーのオペレーターとして入社した23歳。だから、俺の4つ上。ぜんぜんそうは見えないでしょ?・・・って言うと毎回みぞおちに一発、気持ちよく決められるからつらい。 去年まで所属していたA級部隊のオペレーターとしての実績を買われて、ボーダーに残ることになった。本人曰く、沢村さんには大変お世話になっているらしい。沢村さんの話になるといつもキラキラした顔をして、鼻息を荒くして熱く語り出すんだよなあ。とっても尊敬していると言う。俺の話をする時はそんな顔絶対しないのが、ちょっと切ない。 「名前さん、おつかれさま」 「迅もおつかれ。じゃあ帰ろっかー、あ、今日の夕飯なににする?」 「名前さんが食べたいもの」 「いつもそれじゃん。迅が食べたいものにしようよ」 「名前さん」 「な・・・!?バカじゃないの!?・・・あ、明日さ、帰りに牛乳買ってきて欲しいんだけど」 「今言う?それ」 名前さんは人前で触れたりすると、顔を真っ赤にして恥ずかしがる。今も手を繋ごうとしたら、慌てて自分のコートのポケットに手をつっこんで拒否されてしまった。切なくて泣きそうだ。だけど耳まで真っ赤にした名前さんが可愛いから許してしまう。キスだってその先だってもう何度もしているのに。俺より年上なのに。 「名前さん」 出来るだけやさしく彼女の名前を呼べば、眉間に皺を寄せた名前さんがマフラーで口を隠したまま俺を見上げる。名前さんのコートのポケットに手をつっこんで指を絡めれば、視線は再び下を向いた。照れてる。 「名前さん」 「・・・なに」 「今日シチューがいい」 「・・・それわたしの好きな食べものじゃん」 「名前さんが好きなものは俺も好き」 「・・・・・・」 「わかりやすいなあ、ほんと」 「迅なんかきらいだ」 ぶつぶつ文句を言う名前さんの小さな左手を握る力を強めれば、また黙りこんでしまうんだから思わず笑ってしまう。寒い冬だけど、こうしてそばに寄り添って温めてくれる人がいる。きっと今日もシチューを食べたらコタツでごろごろして、そうして目が合えばキスをして。まだ19年しか生きていない俺だけど、こういうのをしあわせというんだろう。愛おしいなあ。誰かを愛するって、こんなに幸せなことなんだ。 「迅、この結果はおまえの予知の中ではどのあたりの出来だ?」 「・・・・・・最高から2、3番目くらいでしょ」 その日の夜は、初めてした時みたいに優しく彼女を抱いた。名前さんは未だにひどく恥ずかしがってすぐに顔を隠してしまうけど、俺はあなたの全部を見たいって思うんだ。どんな名前さんも好きだから・・・、とか言ったら多分照れが最高潮に達してビンタを食らうだろう。眠りにつく前、腕の中にいる名前さんの柔らかな髪を撫でれば「迅がやさしいとか明日はなにか起きるかも」とまた眉間に皺を寄せた。つるりとしたおでこにデコピンして「しわ、将来残るよ」って言えば今度は唇を尖らせた。 「まあ、おばあさんになってしわだらけになっても俺は名前さんが好きだけどね」 さて、今度はどんな表情してるかな?覗きこめば意外にも、うんとやさしいキスが返ってきた。小さくほほ笑む名前さんの目からは、言葉にしなくても俺が愛おしいという気持ちが、痛いほど伝わってくる。だから俺の目からも、いや、俺の全部から、あなたを好きだって気持ちが伝わっていればいい。何をしても伝えきれないほどの気持ちが余っているくらいだから。 ああ、俺はこの人の隣で、これからもずっと生きていきたいって思うんだ。 「迅、好きだよ」 「お伝えします。今回の対近界民大規模侵攻についての死傷者ですが、通信室オペレーター6名死亡、重傷4名、C級隊員行方不明32名、なお民間人につきましては死者0名、重傷者ーーー・・・。 今日は、帰りに牛乳を買わなきゃいけないんだったっけ。名前さんは何も言ってないから忘れているんだろうけど、確か卵ももう少なかった気がする。スーパーがダメでも、無事なコンビニで買って帰ろう。名前さんは朝は目玉焼きがないと気分がのらないらしいから。ガキみたいだ。ちなみに俺たちは醤油派である。 「迅くん」 本部の廊下を歩いていれば、カツカツとヒールを鳴らして歩く沢村さんと出会した。いつもみたいにおしりを触ってやろうと思ったのに、なんでだろう。手は動かないし震えて力が入らない。沢村さん、顔がぐちゃぐちゃになってる。せっかくの美人なのにそんな顔しないでよ、俺が泣かしたみたいじゃん。忍田さんに怒られちゃうって。あ、それより先に名前さんに一発お見舞いされるか。物騒だなあ。戦争が終わったってのに。 そう、終わったんだ。 「名前が」 でも、前が全然見えないんだ。泣いてる沢村さんを軽口たたいて慰めてあげたいのに、それすら出来ないんだ。視界は大きくぼやけて、にじんで、沢村さんの顔ももう見えなくなった。 「自分を責めないでね、って」 2015.11.10 |