My Dear4


「あっくんとけっこんしゅる」

わたしが母にそう宣言したのは、3歳の頃だったという。それからかれこれ13年もの間、わたしはこの初恋を拗らせてきた。
まだ短いわたしの人生の、半分以上の長さだ。





「このスパイク、27.5のある?」
「あ、はい!見てみますね!」

このお店を手伝うようになったのは、敦が選抜に選ばれた頃だった。小学生の頃は、おじさんと敦とわたし、3人並んでカウンターの中でサッカー雑誌を眺めたり、わたしをカウンターに置きざりにし、敦とおじさんが夢中で何時間もパス練習をしているなんてこともあった。わたしも混ざりたいなあと思うこともあったけれど、その時既に敦は名の知れたプレイヤーになっていたし、敦に右に左に走らされひいひい言っているおじさんを見ているのも楽しかった。ずっと、こんな毎日が続けばいいのになあ。なんて、カウンターに頬杖をついて呑気に笑っていたわたしには、敦にやってきた都選抜の話は嬉しくて、それから、いつかこんな日が来るのはわかっていたけれど、やっぱり寂しかった。

「ありました!どちらの足に履かれますか?」
「右で」
「はい!どうぞ!」

お店にやってくるお客さんは少ない。夕方まではおじさんが店番だから、近所の人なんかで多少はお客さんが入るのかもしれないけれど、夜の店番はあの敦である。フリーキック攻略法を眉間にしわを寄せ読みふける敦に商品の質問なんて怖くて出来ないだろうし、あんなにめんどくさそうにされちゃあレジに商品を持っていくのも恐ろしい。・・・わたしが売らなくては。高校に入って接客のバイトも始め、わたしの接客スキルだけはまだ伸び代がある。今日このスパイクを売れば、2人は今夜、うな重が食べられるかもしれない!

「どうですか?」
「お、いい感じー。あ、こっちも試していい?」
「どうぞどうぞ!・・・どうしました?」
「きみ可愛いね。ここの家の子?」
「い、いえ・・・」
「ふうん」

スパイクを履き替えるお兄さんに、なんとかぎりぎりの愛想笑いを返す。こういうやりとりは、あんまり好きじゃない。それよりこのお店にある商品のことを聞いてくれたらいいのに。わたしだったら、なんでも購買意欲が湧くように答えることができるから。きっと最高の買い物をさせてあげられるはずだ。

「オレさ、フットサルのサークルも入ってるんだー」
「あ、そうなんですねー!すごーい!」

・・・そんなんどうでもいい。敦の方が何万倍もすごい。だからお願い、そのスパイクを買ってくれ。じゃないとうな重が!

「でしょー?ねえ、今度うちのサークル見に来ない?」
「えっと・・・」
「今日このスパイク買ったら、次の試合勝てそうな気がすんだよなー」
「あ、はは」
「そういえば、きみ名前は?」
「あー・・・」

こういうとき、逃げ場がないのがこの店番でちょっとしんどいところだ。この狭い空間に2人だけ。どうしよう、おじさんを呼ぶか。・・・でも、このスパイクを売ったら、絶対敦とおじさんは喜んでくれる。こんなに単価が高いもの、売れるチャンスは滅多にない。よし、と腹をくくり愛想笑いを貼り付けて顔をあげたら、自動ドアの先に敦がいた。

「タワケが」
「・・・お、おかえり」
・・・い、一段とすごいオーラだ。
「すんません、今日はもう閉店なんで」
「は?なんだよ急に」
「だから閉店だっつってんだよ。帰れ」

ぶち切れたお客さんはスパイクを地面に叩きつけ、汚え店だ、クソガキめ、と大声で文句を言いながらお店を出ていく。・・・これはさすがに乱闘を覚悟した。良かった。とりあえずは平和に終わったようだ。
ドアが閉まった瞬間、その場に残されたわたしと敦の間には気まずい沈黙が流れる。ああ、あのお兄さんが弱っちくて助かった。叩きつけられたスパイクを拾い上げ、恐る恐る敦の顔を盗み見る。・・・あちゃあ。これは帰るわ。お客さんよりぶち切れた顔をしていらっしゃる。

「おい」
「ハイ・・・」

じろ、とわたしに目線を寄越す敦に、思わずひいと声が出そうになった。

「なんで断らねえんだ」
「いや、その・・・」
「あ?」
「スパイクが売れそうだったから・・・」

なんと言って誤魔化そうと思ったが、有無を言わせないその視線に、嘘をつくことは到底出来そうにない。

「・・・あんなクソ野郎相手に丁寧に接客しなくていい」
「でも・・・」
「あ?」
「ワカリマシタ」

はあ、と大きなため息を吐いた敦は、わたしの手からスパイクを奪い、カウンターに向かって歩き出す。
そうして、どか、と黒いエナメルバッグを地面に置いて、あれこれと細かく、叩きつけられたスパイクの状態を確認している。敦が大切にしているお店だから、商品だから、サッカーだから、わたしも何か貢献したかったんだけどなあ。でもまた、役に立てなかったみたいだ。あ、やばい、泣きそう。ここで泣いたら面倒なやつだと思われる。敦のめんどくさそうな顔を見たら、この涙を引っ込め続けられる自信はない。気合いをいれ、なんとか涙を引っ込めて、笑顔を貼り付け顔をあげる。

「あ、じゃあわたし帰ろっかな」
「・・・おい」
「な、なに?」
「あんなやつにも笑ってやらなくていい」
「いやでも、お客さんだし・・・」
それは無茶というか。
「いいっつってんだろうが」
「・・・だけど」
「だから!お前が嫌な思いすることねえんだよ!さっきだって泣きそうな顔してたじゃねえか!」
「・・・・・・」
「また変な客がきたら、俺がいない時は、親父を呼べ。わかったな」
「・・・わかった。ありがとう」
「わかりゃいい」

敦は知らないだろうけど、わたしが未だにこのお店を手伝っている本当の理由なんて、褒められたものじゃない。どうにかまだ、わずかにある敦との繋がりをなくしたくないというわたしのわがままだ。どのみち、その時はもうすぐやって来る。こうして日々の別れ際、たった一言を交わすことは、わたしたちにとってなんの意味も持たないのかも知れないけれど。いつか、敦と道ですれ違っても顔を忘れられてしまうその日まで、どうかそれまでは、顔見知り程度でいさせて欲しい。全部、幼馴染という名前のついたポジションにしがみつきたいわたしの、どうしようもないエゴだ。


2019.10.5



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