「見ろよ、名字だ。やっぱめっちゃ美人だなー」
「美人だけどさー、もうちょっと愛想が欲しいよなあ」
「そこが良いじゃん?オレ、声かけてみよっかな」
「お前じゃムリだって。・・・おい、言ってるそばから絡まれてるぞ」

喫煙所では、どうでもいい会話ばかりが耳に入ってくる。煙草を吸いながら話すことだから、それぐらいが丁度いいのだろうが。それでも、自分の好きなやつの噂となれば話は別で。名前の見た目に関する話も、ちょっかいをかけようという目論みも、何度も何度もその雑音は耳に入ってきた。それでも、俺が感じているその何倍も、名前本人には見えたり聞こえたりしているんだろう。きっと出来るだけ何も感じないよう、見えない聞こえないふりをして、長い間自分で自分を守ってきたのだ。それを知っているから、こうして名前が勝手な評価を受けることに余計に腹が立つ。

「うわ、あれ四年の先輩じゃん」
「名字、めっちゃ困ってるなー。今助けたら、連絡先くらい聞けるかな?」
「最低だな」

クソ野郎どもは勝手ばかりを言っている。名前は見せ物じゃないんだと、けらけら笑うその胸ぐらを掴んで言ってやりたい。だけどそういう目で名前を見るのは、こいつらに限ったことじゃない。控えめでのんびりとした性格の名前は、一際目立つその見た目のせいで、いつでもどこでも勝手に注目の的になる。
四年の男たちに囲まれた名前は、困っていることを隠せないくらいに眉を下げ、引き攣った顔でかろうじて笑っていた。

火をつけたばかりの煙草を灰皿に押し付けて、大きく息を吸う。


「名前!」


俺に気づいた名前は、途端にぱあっと表情を明るくした。下げなくてもいい頭を四年に向かってぺこぺこ下げて、安心したようにゆるゆると表情を緩ませて俺の元へ駆け寄ってくる。喫煙所を出て振り返れば、さっきまで愛想がどうちゃら言っていたクソ野郎どもが、普段とは違うそんな名前の表情を見て、驚いたようにあんぐりと口を開け煙草を吸うことも忘れている。

俺だけが知っている優越感。名前がどんな風に笑うかなんて、お前らは一生知ることはないだろう。知らなきゃいいんだ、俺以外。今ここで、堂々とそう言えたらどんなにいいか。

「諏訪、ここにいたんだね」
「悪いな、待たせて」
「ううん。煙草吸ってたのに、邪魔しちゃってごめんね。助けてくれてありがとう」
「ちょうど吸い終わったんだよ」

にこにこと上目遣いで俺を見つめる名前に、喫煙所にいる全員が釘付けになっている。名前は他の男たちなんてまるで見えないかのように、俺だけに真っ直ぐ視線を向けてくれる。この緩んだ表情を、俺以外知らなきゃいいと思うのに、全員に見せびらかしてやりたい気持ちにもなる。

「次の講義、どこだっけ?」
「あー、確か8号館だな」
「じゃあそろそろ行ったほうがいいね」

細い手首に巻いた腕時計をちらりと見て、名前は俺を見上げる。キャンパスの端にある8号館はここから少し距離がある。今から歩き出せば、ちょうどいい頃合いに着くだろう。頭の中でそんな計算をしていたら、ふと突き刺さるような視線を感じた。その元を辿れば、さっき名前に声をかけていた四年のやつらが、恨めしそうな顔で俺を見つめていた。ああ、残念だったな。そう心の中で嫌味を言って、何も見なかったふりをして歩き出す。

「どうした?」
「いや、・・・名前、さっきみたいなことがあったら、俺を呼べよ。俺じゃなくても、風間とか、レイジとか」
「うん」

申し訳なさそうに肩を落として、名前は小さく頷く。

「さっきのは、結構しんどかったな」
「だろうな」
「だから、諏訪が名前を呼んでくれた時、ヒーローに見えたよ」

あまりに小っ恥ずかしいことを正面から言うもんだから、思わず顔を歪めてしまった。そんな俺に気づいた名前が、くすっと遠慮がちに笑う。自分が笑われていることですら、こいつが笑ってくれるのならそれも良いと思えてしまう。長い片思いもここまでいってしまえば、いよいよ末期だ。

「さっきは助けてくれてありがとう」
「あ?・・・あー」
「照れなくてもいいのに」
「別に、そんなんじゃねえよ」

なんで諏訪は、わたしが困ってる時にいつも助けに来てくれるんだろうね。

まるでそれがとても嬉しいことのように、名前はふにゃふにゃと表情を緩めてそう言う。
美人だ、綺麗だと言われるばかりの名前だが、顔を赤くして怒る顔も、半泣きになり照れる顔も、安心しきって笑う顔も。
俺は昔から、こいつが可愛くて仕方ない。





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