「あ、名字先輩だ!」
「ほんっと美人だよねー。背高くてスタイル良いし、小顔だからショートも似合ってる。相変わらずかっこいいわぁ」
「何したらあんな風になれるんだろう?」
「うちらじゃムリムリ。食事とか美容とか、めちゃくちゃ気遣ってるって」
「さすが、意識高いわぁ」

キャンパス内を歩いているだけで聞こえてくる噂話。
食事なんて、食べたい時に食べたいものを食べるだけ。たまには夜中にカップ麺だって食べちゃうし、大好きなアイスは一度に二個食べちゃうこともある。野菜はそんなに好きじゃないけれど、お肉はいくらでも食べれるくらいに大好きだ。

「名字、やっぱめっちゃ綺麗だよなあ」
「まあなぁ。確かに美人だけどさ、俺はもっと可愛い感じの子が好きなんだよなあ」
「わかるわー。名字って隙が無さすぎて、とっつきにくいし」

わたしが可愛くないことなんて、言われなくてもわたしが一番わかっている。

ただそこにいるだけで、勝手に期待され、勝手に評価される。何も見えない、聞こえないふりをして歩くのには、もう慣れてしまった。でも別に、こうして好き勝手に自分の話をされることにまで慣れたわけじゃない。


「眠そうだな」


聞き慣れたハスキーボイスに自然と足元に落としていた目線を上げれば、諏訪がにやりと目を細めてわたしの顔を覗き込んだ。

「諏訪、」
「なんだよ」

こういう時、なんでか諏訪は、タイミング良くヒーローみたいにわたしを助けに来てくれる。口が悪くて目つきも悪いわたしのヒーローは、わたしの噂話が聞こえていたのかいないのか、何食わぬ顔でポケットに手を突っ込んだまま隣を歩く。

「わたし、そんなに眠そうな顔してた?」
「ああ、歩きながら寝るかと思ったぜ」
「そんなことできないよ!」

顔を真上に向けた諏訪がからからと笑うから、わたしの塞いでいた気持ちはあっという間にどこかへ吹き飛んでしまった。諏訪の裏表のないからっとした性格は高校の時から変わらず、彼の周りに人が集まる理由の一つになっている。わたしもきっと、その一人だ。

「諏訪に借りた小説読んでたら、朝になっちゃって。さっき起きたばっかりなの」
「あれ、どうだった?」
「すごく良かった!冒頭の小さな伏線を、あそこまで綺麗に回収するなんて」

途中からページを捲る手が止まらなくて、夢中で読んでたら朝になっちゃったの。あの結末がわかった上で、もう一回読みたいなあ。ああ、早く帰って読み直したい!
未だ興奮の収まらないわたしの感想を、諏訪は満足そうに目を細めて静かに聞いてくれている。

「今日、三限からでよかったぁ。寝坊するところだったよ」
「はは、お前らしいなあ」
「諏訪が勧めてくれる小説は全部面白いから、つい夢中になっちゃうんだよね」
「そりゃあ良かった」

背が高いわたしよりもさらに高い位置にあるその顔を上目遣いに見上げれば、得意げに笑った諏訪と目が合う。諏訪が隣にいるだけで、さっきまでの雑音なんてまるで気にならなくなってしまう。ほっこりと胸が温かくなったり、どきどきとうるさく心臓が鳴ったり、きっと諏訪のこと以外考える余裕がなくなってしまうからなんだろう。わたしが長年密かにこんなことを考えているなんて、眉間に皺を寄せ気怠げな表情で歩くこの人は、知りもしないだろう。

当たり前にわたしの隣に並んで歩いてくれる諏訪になんだか急に照れくさくなり、再び足元に視線を落とす。わたしの履くパンプスとおんなじ歩幅で、諏訪の履くスニーカーが地面を蹴る。歩くスピードを合わせてくれているのがわかって、嬉しさで口元がにやけてしまう。

「名前、あのさ、」

返事をするために顔を上げたところで、返事より先にお腹がぐうううう、と大きな音を鳴らした。あまりの音の大きさに、諏訪が目をまんまるにしている。そ、そんな。どうして、よりによって諏訪の前で。諏訪のあの驚いた顔、思い出すだけで恥ずかしさでしんでしまいそうになる。わたしの顔は、引くことのない熱できっと真っ赤になっているに違いない。
恥ずかしさで涙目になるわたしを見て、諏訪が吹き出すように笑い出す。

「どうせ飯食わないで本読んでたんだろ」
「な、なんでわかったの?」
「お前のことならわかんだよ」

いじわるに上がった口角に、また心臓が跳ねた。
そ、そんな顔、反則だ。かっこよすぎる。

「ちょうど今、お前を飯に誘おうと思ってたんだよ」
「え?」
「本に夢中でまた飯食ってないだろうと思ったからな」

やっぱり当たったな、そう言う諏訪はどこか楽しげだ。なんだか全部、諏訪にはお見通しみたい。わたしが好きそうな小説を貸してくれたことも、夢中で読み進めるだろうことも、それによってごはんを抜いてしまうことも。きっとこれじゃあ、諏訪には隠しごとなんてできそうにない。その切れる頭と観察眼で、あっという間にわたしの考えなんて見抜いてしまうんだろう。気恥ずかしいと思う反面、それ以上に嬉しいという気持ちが勝ってしまう。わたしはこの気持ちを、一体いつまで諏訪に隠し通すことができるのだろう。

「四限終わったらいつものラーメン屋行くか」
「行く!」

高三から今日までずっと。
かれこれ四年ものあいだ、わたしは諏訪に恋をしている。





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