17 「そういえば、何か用事があったの?」 「ああ、まあ」 諏訪との突然のお茶に浮かれまくっていたわたしは、諏訪が連絡してきた理由を聞くのをすっかり忘れていた。コーヒーカップをソーサーに丁寧に置き、思い出したように諏訪は言う。 「ばあちゃんが常備菜作ったから、おめーに持ってけって」 「わあ、嬉しい」 「だけどよ。喫茶店に煮物の匂いがしたらまずいだろ。だからとりあえず家に置いてきた。おめーが店出る時、取りに帰るわ」 「ありがとう」 わざわざごめんね、と言えば、諏訪は「おー」とやる気のない返事をして、わずかに口角を上げる。 おばあちゃんが常備菜を作ってくれたことはもちろん嬉しいけれど、それに加えて、諏訪が喫茶店に来てくれたことが嬉しい。わたしがお店を出てから物だけ渡しに来てくれたっていいはずなのに、理由もなくわたしに会いにきてくれたってことでしょう?・・・なんて、諏訪はそんなこときっと思ってないはずだ。それなのに、自分に都合よく考えて、わたし一人で浮かれてしまっている。 「何かおばあちゃんにお礼したいなぁ」 「あ?いーよ、好きでやってんだから」 「でもわたし、本当に嬉しくて。だからお礼に何かプレゼントしたいなって」 だって、一人暮らしのわたしを心配して、まるで家族のように優しさをくれるから。旅行のお土産や美味しそうなものを見つけた時、諏訪を通して諏訪家に何かを渡すことはあるけれど、こんなにしてくれるおばあちゃんに、そろそろ何かちゃんとしたプレゼントが出来たらなあと思っていたところだった。 「・・・あー、それなら、ばあちゃんが、」 それなのに、諏訪は、あーとかうーとか。珍しくいつまでも言い淀み、何かを言葉に出すべきか頭を抱えて悩んでいる。 「おばあちゃんが、なに?」 「・・・・・・・・言えねぇ」 はあああ、とコーヒーの表面が揺らぐほどの大きなため息をついて、諏訪はがしがしと頭をかく。よほど言いづらいことだったのだろうか。諏訪がこんなにはっきりしない態度はなんだか珍しくて、少しだけ不安になる。 「そんな顔すんな。俺の問題だ」 ・・・ますます意味がわからない。出ない答えに首を傾げて、大人しく諏訪の言葉の続きを待っていれば、ようやく顔を上げた諏訪が思い出したように言う。多分、さっき悩んでいたこととは、もう別の話なんだろう。 「そういや、もうすぐばあちゃんの誕生日だ」 「そうなんだ!」 「一緒にプレゼント買いに行ってくれるか?」 「もちろん!」 いつにする?と早速スマホのカレンダーを開き、諏訪と予定を擦り合わせる。嬉しい。嬉しい。諏訪とお出かけ。また会える日が増えたんだ。プレゼントを探しにいく、という立派な名目があるにも関わらず、わたしはそれがまるでデートかのように一人舞い上がっている。 喫茶店を出て、諏訪の家に向かって歩いている途中。ふと思い出したように諏訪がわたしの顔を覗きこみ、問いかけた。 「そういや、あの店で何してたんだ?」 「これ、読もうと思って」 トートバッグから取り出した小説を諏訪の前に恐る恐る差し出す。なにそれ、覚えてない、とか。そんな風に言われてしまったらどうしよう。不安になりながら、窺うようにその表情を盗み見る。 「・・・懐かしいな」 本当に懐かしむように目を細め、諏訪はわたしの手から小説を奪った。ああ、諏訪も、覚えてくれているんだね。そう思えば、胸がぎゅっと締め付けれるように苦しくなる。 「お前がこれを貸してくれなきゃ、今こうして一緒にいられなかったからなぁ」 わたしもね、さっき同じようなことを考えていたんだよ。自分にとって特別なその一冊に、諏訪も同じように思いを馳せてくれている。それが嬉しくて、なんだか泣いてしまいたくなった。 「懐かしいね」 「こいつに感謝だな」 諏訪は目を細めたまま、骨ばった手で丁寧に表紙を撫でた。ああ、まるで大切な物のように扱ってくれるんだね。諏訪の触れ方は、まるでわたしとの思い出も大切にしているかのように優しくて、勘違いしてしまいたくなる。 「正直ね、犯人以外あんまり覚えてないの」 「あ?このトリック、結構面白かっただろ」 諏訪はぽかんと口を開ける。なんで覚えてないんだとでも言いたげに、わたしを疑うような目で見つめた諏訪が、ほら、あの時間差のトリックが、と説明をし始める。 「今から読み直すから、トリック言わないで!」 「はぁ?もう一回読んだだろーが」 言ってるそばから、主人公の恋人がー、とトリックをバラそうとする諏訪の背中をぽかんと叩けば、大きく口を開けてからからと笑う。こうして一緒に過ごす、なんでもない毎日が愛おしいなあ、なんて。半分オレンジに染まった空を見上げながら、穏やかな幸せを噛みしめる。 「ていうか、なんで諏訪は四年も前に読んだ本の内容、そんなに覚えてるの?」 「っせー!」 |