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今にも雪崩の起きそうな本棚に身の危険を感じ、重い腰を上げて整理をすることに決めた。手放すもの、残すもの。一冊ずつ手に取っていけば、乱暴に押し込んであった本の隙間から、思い出深く、懐かしい一冊が顔を出した。

高校の頃、諏訪と初めて貸し借りをした推理小説。あの日、諏訪がこの本を探しに偶然バイト先にやってきて、気づけばこの本を貸すことを提案していた。
話したこともないクラスメイトにそんな風に声をかけたことを、自分でもちょっと不思議に思ったりして。

あの頃クラスで見る諏訪は、ぶっきらぼうで口が悪くて、ちょっと怖いとすら思っていたのに。それなのに、たった一度話しただけで、照れたようにはにかむあの顔に、わたしは一瞬で警戒心を解いてしまった。多分、諏訪にはそういう力があるのだと思う。あの裏表のないからっとした性格と、一見わかりづらいぶっきらぼうな優しさに、きっと人が集まるのだ。

くたびれた表紙をゆっくりと撫でる。諏訪と仲良くなるきっかけをくれた、わたしの大切なもの。諏訪は、今でもこの本を覚えてくれているだろうか。そう言うわたしは、実は結末以外の内容はあんまり覚えていない。その代わり、上書きされるように、諏訪とのあの出会いばかりが思い起こされる。

なんとなく手が止まり、そういえば朝から何も食べていなかったことを思い出す。久しぶりに、この本を読んでみようか。そんな風に思い立って、トートバッグに最低限の荷物を詰めて、近所の喫茶店へと歩き出した。



▽▲▽




窓から見える空は高く、澄んだ青色をしている。
パンケーキの焼きあがりを待ちながら、紅茶を飲み小説のページをめくる。ここに越してきてから諏訪に紹介してもらった喫茶店は、地元のお客さんでほどよく賑わい、まったりとした空気が流れるなんとも居心地の良いお店だ。

ああ、そうだ。こんな話だったっけ。そんな風に懐かしみながら引き込まれるようにページをめくれば、テーブルに置いていたスマホが通知を伝えた。現実に意識を戻し、そのメッセージを確認する。

「今何してる?」

諏訪からの、いつも通りの短いメッセージだった。諏訪の家の近くの喫茶店にいるよ、と返事をして、途端に騒ぎ出した心臓を落ち着かせようと紅茶の入ったカップに手を伸ばす。もしかして、もしかしたら。今から諏訪に会えるかもしれない。そう期待し始めれば、さっきまであんなに夢中になっていた小説も、すらすらと目で文字を追うだけになってしまっている。

「俺も行っていいか?」

うん。いいよ。もちろん。どの言葉もなんだかしっくりとこず、待ってます、というキャラクターのスタンプを送れば、すぐに既読のマークがついた。
嬉しい、諏訪に会えるんだ。手櫛で髪を整えて、鏡で素早く容姿を確認する。・・・よし。多分、変なところはない。ふう、と自分を落ち着かせるために大きく息を吐けば、お待たせいたしました、とお待ちかねのホットケーキが運ばれてきた。

「すげえな、そんな分厚いのはじめて見た」
「わ、」

なんと諏訪も同時に現れた。
目を丸くして、分厚いホットケーキに釘付けになっている。向かいの席に座った諏訪がジャケットを脱ぎ、早々にメニューを開いた。これかぁ、と確認するようにホットケーキの写真を指差して、実物と見比べている。諏訪とホットケーキ、全然似合わなくてなんだか可愛い。

即決でホットコーヒーを頼んだ諏訪が、今まさにホットケーキを大口で頬張ろうとしていたわたしににやにやとした視線を向けた。

「食べづらい」
「俺のことは気にすんなって。ほら、食えよ」
「・・・こっち見ないで」

テーブルの向かいで頬杖をついた諏訪が、目を弓なりにしてわたしを見つめている。なんだかいつもより緩んだように感じる表情が、かっこよすぎて直視できない。好きな人にそんな風に見つめられたら食べづらいってこと、諏訪は分かってないんだ。いつまでも向けられた視線に、諏訪が先に飽きることはないと諦めて、ええい、と勢いに任せホットケーキを頬張った。ふわふわな生地に甘いシロップがじゅわっと染み込んで、とても美味しい。

「美味いって顔してんなぁ」
「うん、おいひい」

もぐもぐと咀嚼するわたしを、諏訪が楽しそうに見つめている。もしかして諏訪も食べたかったりするのかなぁ?なんて思ったわたしは、相変わらず諏訪に見つめられながらパンケーキを切り分けて、向かいに座る諏訪の口元へ運ぶ。

「・・・は」
「美味しいよ。諏訪も食べてみて」
「・・・」

しばらく悩むようにわたしの差し出すフォークを見つめていた諏訪が、さっきのわたしと同じように、ええいと大きく口を開けホットケーキにかぶりついた。あ、ちょっと大きく切りすぎちゃったかもしれない。もぐもぐと一生懸命咀嚼しながら、ハムスターみたいにほっぺたを膨らます諏訪がなんとも可愛らしくてきゅんとしてしまう。

「ね、美味しいでしょ?」
「まぁ。・・・いや、問題はそこじゃねえんだよな」

ぼそっと小さな声で何かを言った諏訪が、何かを考えるように眉を寄せ天井を見つめている。美味しいもの、好きなもの、楽しかったこと。共有したいと思うのは、諏訪にも喜んで欲しいからだ。もしかしたら、この小説を貸したあの時のわたしも、とても淡いそんな気持ちがあったのかもしれないなあ。なんて、コーヒーでホットケーキを流し込む諏訪を盗み見ながら、そんなことを思った。




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