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※捏造 諏訪の家族でてきます










「洸太郎ー、雨降ってきたからおばあちゃんバス停まで迎えに行って!」
「・・・めんどくせえ」
「ほら、さっさと行きなさい!」

読んでいた推理小説のめちゃくちゃ良い場面で思わぬおあずけを食らい、不貞腐れた態度で家を出た。まあ確かに、天気予報で雨なんて言ってなかったし。・・・仕方ねえか。渋々気持ちを切り替えて、ばあちゃんの傘を持ってバス停までの道のりを歩く。突然降ってきた雨に、傘を持たない道行く人が、慌てた様子で家路を急いでいる。

大通りの向かい、停留所の屋根の下に目を凝らせば、ばあちゃんが降ってきた雨を困ったように見上げているのがわかった。おおい、と手を振ろうとしたところで、確かに見覚えのある女がばあちゃんに傘を差し出している。・・・誰だっけ。と思考を巡らせていれば、その女はあっという間に雨の中を走り出してしまったのだから驚いた。

停留所に着き、ぽかんと口を開けたままのばあちゃんに声をかければ、「綺麗な子だったわあ」と感嘆に等しい声を出す。

つーかこれじゃあこの傘持ってきた意味ねえじゃねえか。あー、小説も良いところだったのに。
心の中でぼやきながらばあちゃんと歩いていれば、ぼんやりとしたさっきの女の顔がはっきりと頭に浮かんだ。

ああ、思い出した。あいつ、同じクラスの。


一年の頃から、恐ろしく美人なやつが同じ学年にいることは知っていた。三年で初めて同じクラスになった時も、やっぱり綺麗だなあ、モテすぎるのも大変だなあ、くらいにしか思わなくて。同じ空間にいても、話すこともなければ、お互いに関わろうとすることもせず、高校生活も半年を残すところまで過ぎていた。

それなのに。

手の中には、昨日ばあちゃんが借りたあいつの傘がある。そう、確か、名字だ。
俺が突然この傘を返したら、気味悪がるだろうなあ。名字と話せる嬉しさなんかより、突然話したこともねえ俺に声をかけられ困った顔をするであろう名字を想像し、話す前から憂鬱な気持ちになってしまう。
みんなの前で声をかけるわけにも、と一日中タイミングを見計らい、ようやく人の少ない廊下を一人で歩いてきた名字を慌てて呼び止めれば、想像通り、ぎくりとした顔で立ち止まった。ほら、やっぱりな。

「その、この傘お前のだよな」
「え?・・・あ、うん」

傘を受け取り、持ち手に貼ってある小さなキャラクターのシールを確認して、名字はぱちくりと瞬きをする。

「昨日お前が傘貸してくれたの、うちのばあちゃんでさ。迎えに行ったら、お前が傘貸してくれたのが見えたんだ。ありがとな」
「そうだったんだ。・・・ごめん、わたし余計なことしちゃったかも」
「いや、ばあちゃんからもよろしく伝えてくれって。家出る前に散々頼まれたよ」
「・・・良かった。伝えてくれてありがとう」

きごちなく不安でいっぱいだった名字の顔が、ふと柔らかな表情に変わる。ああ、こいつはこんな顔もするのか。そう思えば、つられて自分の表情まで緩んでいることに気づく。昨日まで、お互い視界に入ることすらなかった関係なのに。名字の初めて見る表情に、なんだかむず痒いような気持ちになる。こいつは他にどんな表情をするんだろう、なんて考えはじめている自分がいた。


▽▲▽



読みたい推理小説がない。
うろうろと何度も本棚の出版社と著者を確認し、ようやくそれが確信に変わった。
なんだちくしょう、今すぐ読みたかったのに。上巻がめちゃくちゃ良いところで終わったせいで、続きが気になって仕方ねえ。あー、あの時一緒に下巻も買っておくべきだった。
・・・ここでうだうだしていても仕方ねえか。どうしても諦めきれず、悩んだ末に近くにいた店員に声をかけることに決めた。

「あの、すみません」
「はい!・・・あ、諏訪くん」
「・・・おー」

振り返ったのは、名字だった。
っつーか、俺の名前、知ってんのかよ。なんでかわかんねえけど、それが無性に嬉しい。さっきまであんなに苛ついていた気持ちも、お陰であっという間にどこかへ消えてしまった。
名字は、問いかけたままいつまでも何も言わない俺を不思議そうに見上げ、首を傾げている。
早くなんか言わねえと。これじゃあナンパ目的の気持ち悪ぃやろーみてえじゃねえか。

「この小説探してんだけど、在庫あるか教えてくれ」
「う、うん。ちょっと待ってね!」

俺のスマホを覗き込んだ名字が力強く頷き、ぱたぱたと忙しげにカウンターまで走って行った。しばらくパソコンと睨めっこをしていた名字が、結った長い髪を揺らして駆け寄ってくる。っつーかこいつ、ここでバイトしてんのか。割とこの店来てんのに、今まで全然気が付かなかった。

「ごめん、今在庫切れみたい。来週納品があるんだけど・・・」

やっぱねえのか。がっくりと肩を落とし、頭の中ではすでに隣町の本屋まで行くかを悩み始めていた。歯切れ悪く言葉を終わらせた名字は、何かを言おうとそんな俺を上目遣いに見上げている。

「・・・あの、わたしこの本持ってるから、良かったら貸そうか?」
「はぁ?」

俺の乱暴な言葉遣いに、名字がびくりと肩を震わせる。

「あ、ご、ごめん!急に。嫌だったよね。・・・忘れて!」
「違う、そうじゃなくて!」

慌てて否定すれば、自分でもびっくりするぐらいのばかでかい声が出た。名字はぱちぱちと瞬きをし、驚いたように俺を見上げている。・・・くそ、だっせえな。かっこ悪くて恥ずかしくて、逃げだしたいような気持ちになる。
それなのに、なんで俺、名字が俺に本を貸してくれるって言ってくれたことがこんなに嬉しいんだ?

「・・・借りる」
「え?」

大きな瞳が、その目でしっかりと俺を捉えている。小さくなってしまった声に咳払いをして、もう一度、名字にはっきりと伝えることにした。

「名字さえ良ければ貸してくれ」
「うん!」

・・・なんでそんな嬉しそうな顔してんだよ。なんで俺なんかに本を貸す気になったんだよ。
どうしてこんな細かいことが気になっちまうんだろう。昨日まで、ただのクラスメイトだったやつなのに。

「また明日、学校でね!」

くしゃりと笑った顔に不覚にも胸が高鳴った。形の良い眉を下げ、名字は無防備に笑う。教室で見ている澄ました顔の名字とは全く雰囲気が違い、白い歯を溢して笑うその表情はいつもより幼く見える。

「おー・・・」

明日、学校に行くのが楽しみだ。なんて、ガキみたいに浮かれたことを考えている自分が恥ずかしい。こんなだらしねえ顔、誰かに見られたら笑われる。慌てて表情を引き締めて、逃げるように本屋を出た。





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