そのうちこういう日も来るとは思っていたけど。
・・・思ってたけど。
いざとなると、こんなにも気が重い。





高専の通用口に車をつけ、カーナビに目的地の住所を入力する。ここから一時間くらい行った先の、山奥の廃ホテルが本日の目的地であった。動画サイトをきっかけに、若者たちの間で心霊スポットとして徐々に有名になり、先日ついに行方不明者を出したという。

午後から降り出した雨は止みそうになく、ワイパーの意味なんてほとんどないぐらいに強い雨が降っている。
雨粒の隙間からぼんやりと鈍い色の空を見上げていたら、車の窓をノックする音がした。

「お待たせしました」
「・・・・・・」

いや、後ろ乗れよ。

「どうしたんです?さあ、行きましょう」

残業なんて死んでもごめんです、と言って七海はスーツについた雨粒をハンカチで丁寧に拭いている。・・・あれ。わたしがおかしいのかな?なんで当たり前のようにこいつは助手席に乗っているんだろう。助手席に乗ってくる頭のおかしい術師の人なんて、五条先輩くらいだと思っていた。信じられない、もう一人増えてしまった。

「コーヒー、良かったら」
「・・・ありがと」

七海はドリンクホルダーに二人分の缶コーヒーを置いた。ちょうど肌寒いと思ってたところだ。なかなかタイミングが良い。

「今のアナタの嗜好がわからなくて、ブラックと微糖を買いました。どちらにされますか?」
「えっと、」

高専の自販機で買ってくれたのだろうか。七海が選んだうちの片方は、高専時代、わたしが良く飲んでいた微糖のコーヒーだった。
働くうち、いつからか甘いコーヒーが苦手になってしまった。わたしが今はブラックしか飲まないことを、七海は知らないだろう。
ここでわたしがブラックを選んだら、七海は微糖を飲むのかな。七海は今も、きっとブラックを飲むはずだ。

「・・・微糖で」
「わかりました。・・・変わってないんですね」

そう言った七海の声は、どこか嬉しそうに聞こえた。その声に、罪悪感で胸がずきんと痛くなった。

ごめん、七海。わたしもう、コーヒーはブラックでしか飲まなくなったよ。言っても仕方のないことだと、声に出すことなく飲み込む。こうやって、お互いに変わってしまったことがたくさんたくさんあるんだろう。今隣にいる七海は、知っているようで、もう全然知らない人なのかもしれない。

七海はわたしが飲みやすいよう、微糖の缶のフタを開け、ドリンクホルダーに置いてくれた。
車の中には、ラジオだけが静かに流れている。
青春時代の思い出の曲、というテーマのもと、リスナーの便りから、あの頃CMで良く聴いていた曲が流れてきた。ああ、この曲。灰原と、よく歌った。わたしが歌えば灰原が合いの手を入れて、その逆もあった。七海はやかましそうな顔をしながらも、黙って隣にいてくれたっけ。


「私とでは嫌でしたか」
「へ、」


思い出に浸っていたせいで、七海の言葉の意味が理解できず、すっとんきょうな声を出してしまった。タイミング悪く信号が赤になり、ブレーキを踏む。助手席の七海はわたしを静かに見つめていた。サングラスの中の瞳の色は、よく見えない。

「私と二人での任務は、嫌でしたか」
「あ、いや、」

信号が青に変わり、ゆっくりとアクセルを踏む。自分から聞いてきたくせに、七海はそれからは何も言わなかった。


あの頃は、どうやって七海と会話をしていたんだろう。七海はどうやって笑っていたんだろう。
灰原とバカをやるわたしにくどくどとお説教をし、わたしがドジをすると大方はやれやれという顔をして、たまあに小さく吹き出してくれた。
三人でいた頃は、何もかもが自然だった。卒業しても、当たり前のようにずっと一緒にいられると思っていた。
今のわたしたちは、こんなにも歪な形をしている。割れた茶碗は元の形には戻らないと、昔そんな話を聞いたことがある。どんなに綺麗にくっつけても、決して元の形には戻らないと。まるでわたしたちだと思った。三人は、欠けてしまった。もうきっと、元の形には戻らないのだろう。

わたしと七海は、ひっそりと、思い出だけを共有している。今のお互いのことなんて、なんにも知らない。職場でもまるで知らん顔。なのに、人生で一番愛おしい時間を共有し、そうして、お互いに無かったことにしようとしている。
灰原がいなくなって、わたしたちはいつからか他人のようになってしまった。

私とでは嫌でしたか。
そう言った七海の声は、静かに車内に響いた。

どうしてそんなこと聞くの?
そんな簡単なことでさえ、わたしは聞けずにいる。




- ナノ -