気持ちの良い晴天だ。

せっかくのオフ。
悲しいことに特にやることもないわたしは、面倒臭さから先送りにしまくっていた洗車をする決心をし、重い腰を上げた。五条先輩から出張土産にもらったよくわからないご当地ゆるキャラのTシャツを着、高専時代のジャージの裾を捲って気合いを入れる。
こんなにいい天気なのだからと伊地知くんを誘ったら、涙目の彼に断られてしまった。どうやら今日は五条先輩の送迎があるらしい。そっか、残念。また一緒にやろうねと肩を叩き、心の中では合掌をする。
申し訳ないけど、今日の犠牲がわたしじゃなくてほんとに良かった。





よくよく見たら、黒い車は汚れがよく目立っていた。
先週五条先輩を迎えに行った時「こんなに汚い車に僕を乗せる気?」と、ねちねち姑のように文句を言われたことを思い出す。思い出したらまた腹が立ってきたけれど、たしかに、言われてみればめっちゃ汚い。わたしですら、こんな汚ったないセダンで迎えに来られたら、ちょっと恥ずかしいかもしれない。

始めるまではいつも億劫だけど、始めてしまえば時間を忘れて夢中になるくらいには、洗車をする時間は嫌いじゃなかった。
ホイールを洗おうと、しゃがんでノズルのレバーを握る。

「ぶふあ!」

さいあくだ。
至近距離で暴発したホースを必死で捕まえる。ぐねぐねとうねるホースをようやく捕まえる頃には、何から何までびしょびしょになってしまった。
髪からぽたぽたと水が滴っている。髪どころではない。頭からバケツの水を被ったかのような濡れ方だった。な、なんてこった。何の罰ゲームだこれ。こんな姿、たとえば五条先輩にでも見られたら、どんなにバカにされるかわからない。

「何してるんですか」

こつん、とシューズがアスファルトを蹴る音がする。振り返れば、ぴしっとスーツを着こなした七海が後ろに立っていた。
忘れていた、今はこいつもいたんだった。

「七海」

げ、という一言が漏れなかったことが奇跡だった。
口から出なかっただけで、顔には出ていたらしい。七海の眉間の皺が濃くなった。

「・・・相変わらずどんくさい人ですね」

沼から這い上がってきたようなわたしの姿を正面から一瞥した七海は、サングラスがあってもわかるくらいにぎょっとした。あ、わたし、今日高専の頃のジャージ履いてる。まだこいつこんなん履いて、色気ないな、とか思ってるのかもしれない。
濡れて邪魔になった前髪をかきあげる。あれ、そういえば七海は何でここにいるのだろう。

「七海は何してるの?」
「今から任務です。補助監督の方とここで待ち合わせを・・・、というかアナタ、よく平然としていられますね」

ちょっと待ってください。
七海はそう言って、携帯電話を胸の内ポケットから取り出す。相変わらず淡々とした言葉で、おそらく補助監督の誰かと話をしている。その内容は、急いで車の前までタオルを持ってきて欲しいというお願いだった。

「拭くもの、お願いしておきましたから」
「大丈夫だよ、どうせすぐ乾くし」
「・・・はあ」

七海は眉頭を抑えて、やれやれ、という顔をする。どうせこの暑さだ。放っておけばそのうち乾くだろう。最悪の想像だけれど、またあのホースが暴発しないとも限らないし。

「目のやり場に困りますので」
「えっ」

七海の言葉に今度はわたしがぎょっとする番だった。
視線を下ろし、ようやく自分の姿を客観視した。・・・た、確かに。これじゃ七海もあんな顔するわけだ。
醜態を晒した恥ずかしさと、くすぐったくなるような何とも言えない気持ちが残る。 
七海の優しさは、いつも少しわかりづらい。だからあの頃は、なかなか真っ直ぐにお礼を言うことができなくて、それをいつも後悔し、一人で反省会をしたものだった。

「七海、ありがとう」
「・・・随分素直にお礼が言えるようになったんですね」
「は」

・・・なにそれ。どういう意味。
動きの止まったわたしを見て、七海は意地悪く口角を上げる。

「ほら、補助監督の方が来ましたよ」
「あ、うん」
「服、ちゃんと着替えて下さいね」

あと、風邪、ひかないように。
状況がわからず、不思議そうにタオルを抱えて一生懸命走ってきてくれる後輩が遠くに見える。七海はわたしの位置を示すよう、後輩に向かって軽く手を上げ、入れ替わるようにわたしに背を向け歩き出した。

その場にしゃがんで膝の間に顔を埋める。七海がこっちを向いていなくて良かった。
今わたし、どんな顔してるんだろう。







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