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「だから僕に任せとけって言ったろ!」
「でも、あの嘘はないよねぇ」

あの時の名前、可哀想で見ていられなかったよ。硝子先輩が五条先輩をじとりとした目で見上げる。本人はどこ吹く風で、「感謝してほしいくらいだね」なんて悪びれもせず言っている。やり方はどうであれ、先輩もわたしの背中を押してくれたんだよなあ、と苦笑いでその様子を見つめていれば、ふと隣から突き刺さるような視線を感じた。・・・うわ、七海。これは絶対、見ていられなかった時のわたしについて詳しく聞きたいと思っている顔だ。あとできっとそのときの気持ちについて、尋問されることだろう。

「初デートか、お熱いねえ」
「ええ、おかげさまで」
「うわ、惚気かよ」

言っておきますが、五条さんはもう名前の家は出禁ですからね。それと助手席にも二度と乗らないでください。と、またくだらない口喧嘩を始めた二人を横目に、わたしは硝子先輩に向き直る。いろいろ、ありがとうございました。そう頭を下げれば、「何のこと?」と白白しい返事が返ってきた。やっぱりこの人の優しさも相当にわかりづらい。でも、そんなところも大好きだ。
デートの行き先を五条先輩と硝子先輩に告げれば、二人とも優しい目をして見送ってくれた。お前ららしいよ、と目を伏せた五条先輩が、「アイツにもよろしくな」と柔らかい顔で笑う。

「それじゃあ、行ってきます」
「うん、気をつけてね」







冬晴れの暖かな日差しを受けながら、わたしたちはその場所にいつもの缶のコーラを置いた。高専の自販機で買ってきたそれは少しぬるいけれど、彼ならきっと許してくれるだろう。

付き合ってから最初のデートはどこに行こうかと二人で相談していた時、わたしの頭に真っ先に浮かんだのはここだった。でも、デート、だからなあ。そう思って遠慮がちに七海に提案すれば、七海は驚いて目を見開き、それからすぐに吹き出した。「私も、同じことを考えていたんです」そう言うのだから、わたしたちは目を合わせてまた笑った。

「灰原、来ましたよ」
「二人で来るのは初めてだね」
「はい。・・・灰原、私たち、付き合うことになりました」

冷たい水に悴む手も服に跳ねる泥水も気にせず、ようやくぴかぴかに磨き切った墓石に向かい、お線香に火をつけながら話しかける。仏花にしては色とりどりのそれをいっぱいに手向けて、大きなおにぎりと、それからいつも飲んでいた缶のコーラを置き、七海と二人、墓前に並んで手を合わせた。

灰原、久しぶり。わたしね、やっと七海に好きって言えたんだ。たくさん心配かけちゃったね。でも、ずっと見守っていてくれてありがとう。

「・・・灰原、なんて言うかなぁ」
「私は、よくやったと褒めて欲しいですね」
「どうして?」

七海の言葉の意図するところがわからず、何気なく問いかける。七海はまるで「わかってないですねえ」とでも言いたげに眉を下げ、それから愛おしむようにその目を細め、わたしを見つめた。

「この世界に戻ると決めた時、アナタを二度と手放さないと、同時に決めたんです」

ああ、もしかしたらこの人は。わたしが思うよりもずっと、わたしことを好きなのしれない。ようやくそれに気づいたら、なんだか堪らなくなってしまった。どれほどの覚悟をもって、あの夜わたしに想いを告げてくれたのか。そう思えば、胸がぎゅっと締め付けられて、鼻の奥がつんとした。

「外から見ていたら、簡単なことだったのでしょうね」

ゆっくりと立ち上がった七海は、昔を懐かしむように目を細め、墓誌に刻まれた灰原の名前を目で追っている。

「アナタのことは好きだったけど、三人でいる時間も同じぐらい大切で。言おう言おうと思っていたら、こんなに時間が経ってしまいました」
「・・・うん」

わたしも、三人で一緒に過ごす時間が、大好きだった。
返事のない墓石に向かってそう言葉を発するわたしに、七海は少し困ったように笑って、言葉をかける代わりにわたしの頭を優しく撫でた。なんだかしんみりしてしまうような言葉だけれど、決して後ろ向きな気持ちだけではない。七海はそれをわかっているから、何にも言わないんだ。

「・・・会いたいね」
「そうですね」

いつかわたしたちにその日が来る時は、灰原に迎えにきて欲しい。いつものように屈託のない顔で笑う灰原と、お疲れ!ってハイタッチをするんだ。

「だけど、早々に会いに行かれては困ります」
「え?」
「これからたくさん行きたいところも、やりたいことだってあるんですから」
「・・・うん」
「出来るならその時は、うんと先がいいですね」

そうだね、その時は二人でね。
空に向かってゆっくりと昇っていくお線香の煙を目で追いながら、七海に続いて立ち上がる。七海が隣で、ええと一言、どこまでも優しい声で返事をした。

「そろそろ行きますか」
「うん。・・・灰原、またね」

そう言って墓石に背を向ければ、びゅうと強い風が吹いた。振り返っても、もちろんそこには誰もいない。それでも、灰原がそこにいてくれたんだったらいいなあ、なんて。ほんのりと温かい気持ちになりながら、わたしは七海の背中を追いかけた。







お寺を出たところで、わたしの歩幅に合わせてゆったりと隣を歩く七海が、ふと触れた指をそのまま絡め取った。まだ慣れない恋人繋ぎにも、いちいちどきどきしてしまう。

「七海、これからどうする?」
「・・・そうですね。今すぐにでも籍を入れたいところですが、アナタがテンパるのが目に見えていますし。まずはご両親にご挨拶をして、それから指輪を買って、」
「待って待って!な、何の話!?」
「これからの話ですよね?」

驚いて七海を見上げれば、片方の口角を上げ、いじわるそうな表情をしていた。思った通り顔を真っ赤にしあたふたするわたしを見て、してやったりとでも言いたげな顔で、満足そうに笑っている。

「ふふ、冗談ですよ。・・・いえ、冗談ではないのですが」
「え」
「アナタのいろんな表情を見れて、楽しいですね」

あの鐘に、願ったかいがありました。ご機嫌な七海はそう言って、またくすくすと笑っている。

「え!あの呪いの鐘!?」
「だから呪いはもう祓いましたって」
「いや、そうじゃなくって」
「はいはい、わかっていますよ。・・・名前と結ばれるよう、あの時祈ったんです」

普段ならあんなジンクス小馬鹿にして絶対信じないであろう七海が、真顔でこんなことを言うとは。
七海はよく笑うようになったし、随分素直になったけれど、そのたびにこんなにどきどきさせられてしまうのだから、いい加減困ってしまう。
あんぐりと口を開けるわたしを見て、七海は更に追い討ちをかけるように言う。

「次にここに来るのは、灰原に結婚の報告をする時ですね」
「え!?」
「アナタの方が驚いてどうするんです。まあ、そんなに先にならないと思いますが、」
「へ・・・」
「先にする気はないので、覚悟しておいてください」

七海は絡ませた指に力を込める。思わず小さな段差につまづくわたしを見て、七海が肩を震わせてくつくつと笑い出した。恥ずかしさで涙目になりながら、ほんの些細なことでこんなにも笑ってくれる、隣を歩く愛しい人を見つめる。ありあまるほどの幸せを確かめるように、骨ばったその手をゆっくりと指で撫でた。

「せっかくですから、灰原の故郷を散歩して帰りましょうか」

火照った頬を冬の空気に冷ましながら、灰原が楽しそうに話していたたくさんの思い出話を頭に思い浮かべる。

「あ、ここ」

何かを思い出したように、七海が通りのコンビニを指差しぴたりと歩みを止めた。

「・・・あ」
「灰原が、アイスの当たりを四回連続で引いたコンビニじゃないですか」

移動の車の中、授業の休み時間、任務後に寄った中華屋で。灰原が話してくれた、たくさんの思い出話のなかの一つだ。夜の学校のプールに忍び込んで、全身蚊に刺されまくった話も、子供の頃、水筒にコーラを入れて公園に遊びに行ってしまった話も。ああ、わたし、まだこんなにたくさん覚えていたんだ。

「七海、よく覚えてたね」
「アナタも覚えているでしょう?」
「・・・そうだね」

繰り返す日々に大切な思い出が色褪せてしまっても、その度にこうして二人で何度でも思い出そう。そうすればきっと、いつでも思い出の中で会える気がする。

いつものように七海の横顔を盗み見、ようとしていたわたしに気づいた七海が、したり顔でわたしの顔を覗き込む。

「また私のこと見てるんですか?」
「わ、」
「昔から、よく飽きませんね」
「っ!?」

あまりの恥ずかしさに声も出せないでいるわたしを、七海はいよいよ顔をくしゃくしゃにして笑い始めた。悔しいほどに翻弄されるばかりのわたしは、冷ましたばかりの頬をまた赤く染めた。

柔らかな日差しに、もうすぐそこまで、春の来る気配がしている。



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