38 後輩たちから花束を受け取り、昨年卒業したばかりの先輩たちからも祝福を受け、写真撮影やら何やらで、カバンを取りに教室に戻ってきたのは、もう空が赤く染まる頃だった。 夕焼けに染まる教室に、七海はいた。 教室の窓から真っ赤に染まる空を見上げ、ぼんやりと窓枠に腰掛けている。春だとはいえまだ肌寒いこの季節だから、窓から吹き込んでくる風はひんやりと冷たい。だけど七海はそんなこと気にする様子もなく、静かに何かを考えるように、窓の外を見つめていた。 もう、とっくに帰ってしまったと思っていた。卒業式が終わって早々に姿が見えなくなってしまった時、一言も言葉を交わせずに、さよならをしてしまったとばかり思っていた。 七海に会えるのは、今日が最後だろう。 それなのに、寂しいより、悲しいより、七海がここから離れる決断をしたことに、心底ほっとしてしまった。あれからの七海はずっと、自分だけが生き残ってしまったことへの罪悪感を抱えて、自分で科したその罪の重さに押しつぶされてしまいそうに見えたから。 あの日のたらればは、もう100通り試した。もしあの日、灰原が任務じゃなかったら。もっと早くに一級案件とわかっていたら。どんな答えを見つけようとしても、どこにも正解なんてない。だってもう、何をしたって、灰原は戻ってこない。 だからこそ、七海にはもう罪悪感なく生きていてほしいと思った。燃えるような夕焼けに染まる七海の身体は、そのまま儚く消えてしまいそうに見える。もう、十分だ。 「七海、」 七海の横顔に、呼びかける。 わたしはこの学生生活で、七海のことをずっと見つめていた。困ったように笑う顔も、穏やかに伏せた目も、眉間に皺を寄せてため息をつくいつもの表情も。何度も何度も、盗み見た。それももう、今日が最後になるだろう。気づけばいつからか、七海を目で追っていた。最後だから目に焼き付けてしまいたいのに、じわじわと涙が込み上げてきて、視界が歪む。 それでも、忘れたくない、何一つ。 どんなに辛くても、悲しくても、ここに確かにわたしたちがいたんだってこと。わたしだけは忘れたくない。 だから七海は、この教室に思い出を全部置き去りにして、そうしてここでのことを、全て忘れてしまえばいい。 お別れをしよう、七海。 「楽しいことも、たくさんあったね」 「・・・そうですね」 七海の胸に飾ってあったはずの、卒業生の花飾りはどこにもない。七海はもうここに、思い残すことはないのだろう。そうして最後にわたしに別れを告げるため、待っていてくれたんだ。 「七海、今までありがとう」 声は震えていないだろうか。自然に言えただろうか。笑顔がぎこちなくなっていないだろうか。なんでもないことのように、言えただろうか。 「元気でね」 持ち手に腕を通し、もうほとんど中身のないリュックを背負う。その時、強い風と共にカーテンが大きくはためいた。その音に驚いて顔を上げたわたしに向かって、七海は一歩ずつ歩み寄る。そうして静かにわたしの隣に立って、何も言わずに腕を引き、すっぽりとその胸の中にわたしを収めた。 「七海?」 驚いて顔を上げた瞬間、唇に温かい感触があった。それは一瞬触れて、すぐに離れていった。七海の背中越しに見える夕焼けがあまりにも眩しくて、思わず目を細める。 「名前、」 『 』 七海の唇が、微かに動いた。するりとわたしの体を離し、七海は目の前から去っていく。七海がわたしに告げた言葉を聞き返そうと振り返れば、彼の姿はもう、どこにも見えなかった。 振り返って、もう誰もいないその教室を見つめた。わたしたちが過ごしたありふれた日々。出会った日、寝坊して怒られた日、口喧嘩した日。お祭りで手を繋いで、怪我をしたわたしをおんぶしてくれて、初めて名前を呼んでくれた日。その何もかもが愛おしく、特別で。取り留めのない日常が、わたしにとって何よりも大切だった。今になって思い返すのは、モノクロになってしまった三年間ではなく、あの色鮮やかな一年半の美しい日々ばかりだ。 ぼろぼろと、とめどなく涙が溢れた。 七海のことが大好きだった。 実らなかった初恋も、三人で過ごした日々も、涙が枯れるまで泣いたあの日も。愛おしい日々全てを、燃えるような夕焼けが照らすこの教室に閉じ込めて。 わたしたちは今日、二度と交わらないそれぞれの道を歩き出した。 |