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「うわああぁぁん」

・・・こ、困った。
目の前には、おそらく迷子であろう大泣きする男の子。長蛇の列の女子トイレからようやく解放された先で、小さな男の子が一人で泣いている。周りをきょろきょろと見回しても、子供を探していそうなお父さんやお母さんは見つからない。
・・・困ったな。わたしの荷物、灰原に預けたままなのに。わたしもまた、二人を探して目線をあちこちに向けてみる。そこら辺のお土産でも適当に見てるよと告げた二人は、この人混みの中ですぐには見つけられそうにない。

「ママーーー!!!」

素通りしていく人たちの真ん中で、しゃくりあげるように泣き続けるこの子を、もう放っておくことなんてできなかった。

「大丈夫?一緒にママとパパを探そう!」

突然目の前にしゃがみ込んだわたしを見上げ、その男の子は大きな瞳でぱちくりと瞬きをした。





任務のあと、依頼主のお爺さんからもらった大人気のテーマパークのチケットで、わたしたち三人は休日を使って遊びに来ていた。休みの日にわざわざ並びたくないと顔を顰める七海を、灰原と共に問答無用で寮から引っ張り出し、半強制的に三人で入園することとなった。七海はやっぱり、大きなため息をついていた。

アトラクションもひと通り乗り、ようやく一息ついたところで、軽食やお土産探し、お手洗いなどそれぞれ異なる目的を果たそうといったんその場で解散することになった。
気が遠くなるほど長く続く女子トイレの列に並ぼうとしたところで、既にお土産でパンパンのリュックに気付いた灰原が、「それ持っとくよ」と声をかけてくれた。携帯は、ポケットに入っている。それならいつでも連絡は取れる。申し訳ないけど、と灰原の心遣いに甘え、リュックを託したのだった。
長蛇の列に並ぶ間、テーマパークのマップを広げながら、次はあれに乗ろう、パレードは何時から、夜はこのお店に行きたいなあ。なんて、わくわくと胸を躍らせていた。

そうして、よくやく解放された女子トイレの前には、大泣きする迷子の男の子。
・・・うん。この感じ、きっと二人もまだ買い物中だろう。それならさくっと、この子を迷子センターまで送り届けてあげよう。そう思い、声をかけたのだった。

「今日はどの乗り物に乗ったの?」
「・・・あれ」

指差す先には、可愛らしいコーヒーカップ。子供たちがくるくると、一生懸命にハンドルを回している。・・・ああ、あれ。わたしたちもさっき乗ったよ。灰原が目を輝かせてぐるぐるとハンドルを回すもんだから、わたしと七海はほとんど白目を剥いていた。乗った後はベンチにもたれかかり、しばらく吐き気を抑えるので精一杯だった。そうして、もう二度と、灰原とは乗らないと心の中で誓ったんだ。

「あ、あとこれも」
「ええ、もうこんなの乗れるの!?」
「おねえちゃんのれないの?」
「乗ったけど、怖かった・・・」

素直にそう言えば、ようやく男の子がくすりと笑う。笑われている内容はともかく、それに少しほっとした。迷子センターまでの道のりで、少しでも気持ちが落ち着いてくれたらと思っていたから。

つぎに男の子が指差したフリーフォールは、急速で頂上まで上昇し、そこから何度も急降下するもので。高いところがあんまり得意ではないわたしと、絶叫は好まない七海は渋い顔をしたものの、「せっかくだから!」と灰原のあの100点の笑顔で押し切られ、わたしたちの乗車は決まってしまった。
垂直落下のアトラクションが大の苦手のわたしは、隣の席の七海の手を嫌がられるのも構わず握り、そうしてマシンは動き出した。終わったあと、わたしの手汗でびしょびしょになった自分の手のひらを、七海は汚いものでも見るように見つめていた。灰原はやっぱり満足そうに笑って、「景色が綺麗だったねえ。みんなも見た!?」と当たり前のように言う。

「おねえちゃんはだれときたの?」
「お友達だよ」
「おともだちはどこ?」

マップを広げ、迷子センターの位置を確認する。男の子からのその質問に、そういえば、と二人を思い出す。そろそろ連絡してもいい頃か。この子を送り届けたら、二人に迎えに来てもらって合流すればちょうど良い。ポケットに手を突っ込み、そこにあるはずの携帯電話を探す。
・・・あ、あれ。ない。あれ、ここもない。こっちもだ。

「・・・・・・」

突然立ち止まるわたしに引っ張られるような形で、つられて男の子も立ち止まる。突然顔面蒼白になるわたしを、男の子は不思議そうに首を傾げて見上げている。

「どうしよう、お姉ちゃんも迷子かも」
「え」

携帯がない。どこにやったんだっけ。
・・・あ。ジェットコースターに乗るからって、リュックのポケットに入れたんだった。・・・や、やってしまったあ。

「お、お姉ちゃんも一緒に行っていいかな?」
「いいよ」

さっきまでくずぐずと泣いていた男の子は、なんだかあっという間にしっかりとしている。きっとあまりに頼りないわたしを見て、自分がしっかりしなきゃと覚悟を決めたのだろう。こうやって、子供は大人になっていくんだろうか。いや、なんか違う気がする。

手を繋ぎ、ようやく着いた迷子センターを目の前に、ぴんぽんぱんぽんと高らかにその音が園内に鳴り響く。

「ご来園中のお客様に、迷子のお知らせをいたします」
「・・・・・・」
「東京都からお越しの、名字名前さま。名字名前さま。お連れさまがお待ちです・・・」
「わ、わたしだ・・・」
「名前、だいじょうぶだよ。きっとおともだちきてくれるよ」
「う、うん。ありがとう」

半泣きのわたしを励ますように、男の子はわたしの手をぎゅっと強く引いて、迷子センターで元気に二人分の名前を告げた。





「アナタ、恥ずかしくないんですか。この歳で迷子って」
「ハイ、オッシャルトオリデ・・・」
「でも、あの男の子も家族が見つかって良かったね!」

名前、ばいばい!七海からのお説教に項垂れていたわたしは、その声に顔を上げる。そこには、出会った時よりしゃんとした男の子の姿があった。両隣で男の子としっかりと手を繋ぐご両親が、にこやかにわたしに向かって会釈をする。七海と灰原と同時に迷子センターに駆け込んできたあのご両親は、付き添いのわたしまで迷子と知って驚いたようだった。

「目を離したらすぐこれだ」
「スミマセン」

はああ、と七海はいつもより長いため息をつく。きりりと目を吊り上げて、いいですか、と言い継ぐ。

『私の目の届くところにいてください』
「・・・ハイ」

しゅんとして落ち込むわたしの肩を、灰原がぽんと叩く。すっかり暗くなってしまった空にまた申し訳なく思って肩を落としていれば、「ちょうど良くショーの時間になったね!だからそんなに気落ちしないで」と灰原は優しく声をかけ、わたしを慰めてくれた。

一番楽しみにしていた夜の水辺のショーは、聞いていたよりも壮大なスケールで、様々なライトの色に照らされた水柱がきらきらと立ち上がり、あまりに幻想的で魅入ってしまう。水を使った鮮やかなパフォーマンスに雄大な音楽が合わって、美しいストーリーが水面の上にその世界を広げていく。

「綺麗だねえ」
「だねえ。それに、今日一日、楽しかったなあ。・・・ねえ、また三人で来ようね!」
「ええ。・・・ですが、灰原はアトラクションに乗れる人と来た方が、もっと楽しめるんじゃないですか?」

七海が少し申し訳なさそうに、灰原にそう問いかける。ショーの光をきらきらと目に浮かべて、灰原は大きく首を振った。

「違うよ。三人でいるから楽しいんだ」

そう言って、わたしと七海へ順番に視線を向ける灰原に、わたしたちは揃って何も言えなくなってしまった。灰原ほど乗り物に強くないわたしたちは、きっとそれぞれ、灰原が十分に楽しめているのか不安に思っていたのだろう。そんな心配を吹き飛ばすように、灰原はやっぱり屈託なく笑った。真正面から受け取ったその真っ直ぐな笑顔と言葉に、わたしたちは急にくすぐったい気持ちになって、照れた顔を隠すように、またショーに視線を戻す。

「だから、また三人で来よう!」
「まあ、灰原が良いなら」

名前は?そう問いかける灰原に、わたしは微笑んで頷く。それを確認し、灰原は満足そうにまた笑って、立ち上がる水柱に目を輝かせていた。



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