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「名前、あんたまた、五条にいじめられてないれしょうねえ」
「もちろんいじめられてます」
「きいー!五条のやつ!ただじゃおからいんだからあ!!」

だんっ、と両の拳でテーブルを叩き、歌姫先輩はそのままテーブルに突っ伏した。それからぶつぶつ五条先輩の悪口を言っていたかと思えば、いつの間にかぐうすかいびきをかいている。相変わらず、お酒が入ると嵐のようになる人だ。・・・あ、あとは五条先輩が関わるとか。
東京・京都の上層部の打ち合わせのため、京都側の一部の術師と補助監督もそれに同行することになったという。歌姫先輩との久しぶりの再会を待ち構えていた五条先輩が、彼女を煽り倒していた時からこうなることはわかっていたけど。むにゃむにゃと口の中で何か言葉を転がす歌姫先輩の眉間の皺はくっきりと濃い。夢の中でも、五条先輩にいじわるされているのかな。・・・かわいそう。

「名前も、もうそろそろ飲むのやめたら?」
「・・・全然酔えないんです」

さっきまで歌姫先輩が嵐のように場を荒らしていたので、なんだか逆に冷静になってしまった。彼女が寝てしまえば、あとは酒豪の硝子先輩と、いつまでも酔えないわたしだけ。困ったな、酔いたいから来たのに。なんなら大泣きして、二人に励ましてもらおうと思っていたのに。歌姫先輩がそれ以上に騒ぐから・・・、いや、そもそもは五条先輩のせいか。
しっぽりと飲み続ける硝子先輩との空間に、突然沈黙が訪れる。今更、大泣きするのは難しそうだなあ。

伊地知くんからあの話を聞いたあと、七海とはもう一週間以上も顔を合わせていない。どんな顔をして会えばいいかわからなかったから、この偶然には感謝した。もしかしたら、五条先輩あたりが暗躍してくれたのかなあ、なんてぼんやりと考える。やはり任務も不思議とばらばらで、お互い地方での仕事も多く、この時期には珍しく例年以上の任務の数をこなしていた。わたしが会おうと思わなければ、こんなに会わずにいられる。結局わたしだけが、いつも七海に会いたいと思っていたんだなあ。

「知ってますか、硝子先輩」
「なに?」

硝子先輩は顔色ひとつ変えず、歌姫先輩が持ってきた京都土産の日本酒を注いだおちょこを一息で傾ける。この人、もう何合目だろう。なんでもないようにとぷとぷと、再びおちょこに日本酒を注いでいる。

「七海、結婚するんですって」
「・・・は?名前と?」
「え?違いますよ」

何言ってるんですか、硝子先輩。
そう言うわたしの取り繕った笑顔を、彼女はただ静かに見つめている。日本酒の瓶を左右に振って残量を確認しながら、いつも通り何を考えているかわかりづらいその表情で、「誰に聞いたの」とぽつりと問う。

「伊地知くんから聞いたんです」

写真も見せてもらった。そこにいたのは、美人でスタイルの良い女性とぴたりと寄り添い、仲睦まじく笑う七海だった。二人はまさしくお似合いだった。それに、七海があんな風に穏やかな顔で笑っていることにも驚いた。きっと最近の七海が丸くなったのも、その人のおかげだったんだろう。高専に戻ってきてから、七海は段々と明るくなったと思っていた。それは、とんだ勘違いだったようだ。

「ふーん」
「うわ、興味なさそう」

ははは、と乾いた笑いをひとつこぼして、硝子先輩は意味深な顔でわたしを見つめる。何か言いたそうなその瞳からは、何も汲み取ることができない。しばらくそうして見つめ合い、硝子先輩は諦めたように息をつく。

「そんな時に悪いけど、明日、京都の補助監督と懇親会らしいから。飲むのはほどほどにしときな」
「えっ、聞いてないんですけど」
「まあ、そこで酔い潰れてるからね」

歌姫先輩は時折り唸り、テーブルをぱちぱち手のひらで叩く。これは酷いうなされようだ。懇親会なんて面倒くさいもの、普段のわたしなら絶対行かないけれど、今はもう、なんだか全部どうでもいい。投げやりな気持ちでわかりました、と答えれば、硝子先輩は困ったように笑って、肩をすくめた。五条め、と小さく唸る歌姫先輩の寝言が静かな部屋に響いている。





「名字さん、飲んでますか?」
「あ、はい」

懇親会、という名の合コンかよ。
昨日はあんなに酔えなかったのに、不思議と今日はどんどん酔える。それもこれも、くそつまらないこの会のおかげかもしれない。向こうは見事に男性だけ、一方こちらも女性だけ。まあ、歌姫先輩もこんなことになっているとはつゆ程も知らないはずだ。だから気持ちのやり場がなくて困っている。
久しぶりの懇親会、しかも向かいにはつまらない話ばかりする男たち。適当に相槌を打ちながら、グラスに向かって手が伸びる。
・・・あれ、グラスが上手く掴めない。ふらふらと傾くわたしの頭を支えるように、名前も覚えてない京都の男がわたしの肩を抱いた。耳元で何やら言っている、気がする。
・・・帰りたい。
でももう、ぜんぶどうでもいいやぁ。
そのままの体制で、目を閉じる。もしここに、七海が迎えにきてくれたらいいのになあ。困った時は、昔からいつも一番にわたしを見つけてくれた。来てくれたら、どんなに嬉しいことだろう。

「名前」

すぱんと勢いよく個室の障子が開き、みんなが一斉にそちらに視線を向けた。わたしは回らない頭でよろよろと、遅れてその方向へ目線を向ける。

「あ、ななみらあ」
「帰りますよ」

あ、なんか、めちゃくちゃ怒ってる。まあいいか、どうせ夢だから。七海に向かって両手を伸ばす。七海はわたしの肩に回る男の腕を振り払い、わたしの腰を抱いていとも簡単に立ち上がらせた。

「名前がお世話になりました」

それでは、失礼します。
吐き捨てるようにそう言って、七海は足がもつれるわたしの腰を抱き寄せ、自分の体にもたれさせながら器用に歩き始めた。ほんとに、七海が来た。なんて都合のいい夢だろう。いや、都合がいいから夢なのか。

今更、好きだと思ってももう遅い。だけどどうか、わたしがこの気持ちに区切りをつけられるまででいい。夢の中の七海は、わたしだけのものでいて。



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