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「ごめん、お待たせ!」
「そんなに待ってないですよ」

最寄り駅で待ち合わせ。遅い、と怒られるかと思ったら、七海はそれ以上なんにも言わなかった。いつもとは違う合流の仕方も、他所行きの服装も、なんだか少し照れくさい。さっきまでお互い寮にいて、部屋着ですれ違っていたのに。七海もそう思っているのか、ちょっとだけ気まずそうに唇を尖らせている。

「映画、何時からでしたっけ?」
「えっと、14時ちょうどだよ」
「じゃあ、先にお昼を食べますか」

腕時計を確認し、七海はさくさくと段取りを決めて行く。なんだか今更になって、これでいいのかと思い始めてきた。だって、わたしの好きな映画を観て、わたしの行きたいラーメン屋さんに並ぶのって、七海に何のメリットがある?ため息なんてつかれたら、申し訳なさでいっぱいになってしまいそう。

「名前、電車が来ますよ」
「あ、うん」

呼ばれた声にはっとして、数歩遅れていた分を取り戻すように、七海の隣に小走りで並ぶ。

「やっぱりお昼、ラーメンじゃないのにしない?」
「何でです?」
「いや、その、わたしの食べたいものだから、」

七海があまりに淡々と聞くものだから、もごもごと口ごもり、声が小さくなってしまう。そんなわたしを見つめ、七海は小さく息を吐く。

「名前が行きたいお店だから、行ってみたいんです」
「えっ?」
「アナタが食べたいものを、私も食べてみたいんです」
「・・・」

あまりに真っ直ぐなその発言と、なんだかやけに楽しそうなその表情に、わたしはいつまでも返す言葉を探している。じわじわと、頬に熱が集まっていくのが嫌でもわかる。

『少しは私のことを意識してくれましたか?』

そう言って、七海はいたずらに笑った。
・・・冗談、だったのかな。だって、七海はもうあっけらかんとしている。
強い風と共に、電車がホームに入ってきた。行きますよ、そう言ってわたしの手を引く七海の横顔を後ろから見つめ、小走りでその背中を追いかけた。





「映画、面白かった?」
「名前はどうだったんですか?」
「うん。面白かった」
「私もですよ」

わたしばかりが楽しい思いをしていて良いのだろうか。七海は楽しめたのだろうか。不安になって上目遣いで問いかければ、七海はわたしに質問を返す。自分には気を遣わなくていいと、そう言われている気がした。

「ラーメンも、本当に美味しかった?」
「はい。美味しかったですよ」

ほら、言ってる側から。そう含みを持った顔で七海は目尻を下げて笑う。だってやっぱり、わたしにはわからない。今日は、わたしばかりが楽しい思いをしているような気がして。

「次はさ、七海の行きたいお店に行こう。観たい映画でもいいよ」
「それは是非。でも、言っときますが、私は今日だって楽しかったんですよ」
「・・・な、なんで?」
「名前の好きなものを知れることが、楽しかったんです」

みるみるうちに頬が赤く染まっていくのがわかる。休日のカフェの真ん中で、どうして七海はこんな小っ恥ずかしいことを恥ずかしげもなく言えるんだ。鏡をみなくてもわかるくらい真っ赤になっているだろうわたしを見て、くつくつと噛み殺すように七海は笑っている。くそう、また揶揄われている気がする。言い返してやりたいのに、今はもうそれどころじゃない。

「これ」
「・・・え?」
「遅くなってしまいましたが、誕生日プレゼントと、少し早いですがホワイトデーのお返しです」

七海はいつのまにか持っていたショップバッグをテーブルの向かいから差し出した。七海を見つめれば、どうぞ、と小さく頷くので、おずおずとそれを受け取り、包みを開ける。

「これ、さっきの」
「はい。アナタが見ていた気がしたので」
「うん、可愛いなって思ってたの」
「・・・ほんとに?」
「うん。本当だよ」

やけに真剣な七海の顔に、思わず吹き出してしまう。高そうな洋服屋さんの入り口に飾られていた、テディベアのぬいぐるみ。どっしりとしたがたいのいい体付きに、ふわふわな毛並みとつぶらな瞳をしていて、なんだか愛らしく思ったのだ。
試しにテディベアの頭を撫でれば、それは想像と変わらず、ふわふわと柔らかく気持ちがいい。

「七海、ありがとう。ずっと大切にするね」
「・・・はい」

小さな返事を不思議に思い、テディベアから視線を上げ向かいの七海を見つめれば、耳まで真っ赤にした七海がそれを隠すように手のひらで顔を覆っている。

「あんまりこっちを見ないでください」
「あ、うん、ごめん」

そういうわたしまで、つられてまた顔が赤くなる。
行きのホームで七海が行ったこと、聞き間違い、じゃなかったと思う。・・・意識、している。多分、もうとっくに。七海といる時だけ、触れられた時だけ、見つめられた時だけ、苦しいほどに心臓がうるさいのは、きっとそういうことなのだろう。




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