29 「お待たせ」 「いえ、私も今来たところです」 よく聞くデートの待ち合わせの時のような台詞を言って、七海はわたしを助手席に乗るように促した。なんだか、まるでデートみたい。七海はそんなつもりはないだろうから、こんなことを勝手に考えて一人で恥ずかしくなっている自分を申し訳なく思う。友達だって当たり前に、休日に二人で出かけたりするものだ。 「ごめんね。今日休みなのに、迎えに来てもらっちゃって」 「いえ。名前も、お疲れ様でした」 あの日、「次は二人で」と七海からの誘いがあった。冗談かと思っていたら、あっという間に話が進み、本当に二人きりで出かけることになった。七海は今日一日オフで、わたしは溜まりに溜まった事務仕事が終わらず、なんとか午後休をもぎ取って休みを合わせた。困ったことにこの業界は、サポート側だっていつでも人手不足らしい。 「・・・失礼しまぁす」 「いい加減、慣れてください」 くすりと笑いながら、七海はシートベルトを締める。慣れて、って言われても。二度や三度じゃ無理な話だ。それに、今日の七海、私服だし。あの頃より大人っぽくて、いや、実際大人になったのだけど、そんな姿を見て変にどきどきしてしまうのだ。 「お腹空いてますか?」 「うん、とっても」 「それは良かった」 遅めのランチのお店は、七海が予約してくれている。七海が選ぶお店、なんだか敷居が高そうで少し不安だ。どんなお店かわからなかったので、伊地知くんと飲む時のカジュアルな服装とは違って、わたしも少し大人っぽい格好をしてきた。七海と並んだ時、ちゃんと釣り合って見えるだろうか。 「大丈夫ですよ」 「え?」 「名前が緊張しないようなお店にしましたから」 「なんでわかったの?」 「顔に書いてありますよ」 揶揄うような視線でちらりとわたしを見た七海は、わたしが思ったとおりの顔をしていたのか、吹き出すように笑った。 「良かったぁ。あんまりそういうお店行き慣れてないから、不安だったんだ」 「行き慣れていたら困ります」 どういう意味だろう。問いかけようと運転席の七海を盗み見れば、楽しそうな顔をしているものだから、まあいっか、という気持ちになる。どんなお店なんだろう。楽しみだなあ。そんなことを思いながら、窓の外に立ち並ぶ高層ビルを目で追った。 ≫ 「美味しかったなあ」 「それは良かったです」 「ねえ、また七海のおすすめのお店、連れてってくれる?・・・あ、でも、あんまり堅苦しくないところでね」 遠慮がちに小さくそう付け足せば、七海は目尻を下げて笑う。七海はよく笑うようになったなあ。ぼんやりとそんなことを思う。 びゅうびゅうと北風が吹いている。飛行機は滑走路に向かって整列し、順番どおりに離陸して、空からは着陸をする。よく見る日本の航空会社の機体もあれば、見慣れないマークの国外の航空会社の機体もある。夜の空港の展望デッキからは、遠くの工業地帯の灯りまで、綺麗によく見える。 「綺麗だね」 「はい」 七海は素直に頷いた。盗み見れば、真っ直ぐ前を見据え、飛び立っていく飛行機を見つめている。その鼻先がほんのりと赤く見える。 ランチを食べ終わって少し街をぶらぶらとした後、帰るにはまだ早いからと、どこか行きたいところはないかと声をかけてくれた。わたしが飛行機が見たいと言えば、七海は意外そうに目を瞬いた。 「七海、寒くない?」 「名前の方が寒そうに見えます」 「わたしは大丈夫。七海、鼻が赤くなってるよ」 隣で飛行機を眺める七海の鼻先を指差せば、正面を見やっていたその瞳がわたしを捉えた。至近距離で交わる視線に、心臓がまたどきりと鳴った。慌てて顔を逸らし、また一機、飛び立って行く飛行機を目で追いかける。 「みんな、どこへ行くのかなぁ」 「どこでしょうね」 「・・・どこにでも行けるんだろうね」 びゅうと吹いた風に、くしゅん、と小さなくしゃみが出た。 「名前」 今日はやけに、わたしの名前を呼ぶ。なんとなく甘い響きを持って聞こえるのは、気のせいだろうか。呼ばれた声に七海を見上げれば、冷たい手でわたしの頬を撫でるように触れた。 「ほら、こんなに冷えているじゃないですか」 「・・・」 驚いて固まるわたしを見て、七海はまた笑う。 「少しは私のことを意識してくれましたか?」 「へ」 「・・・そろそろ中に戻りましょう。温かいものを買って、帰りましょうか」 フリーズしたままのわたしの手を取って、七海が展望デッキの出入り口に向かって歩いて行く。まずい。今室内に戻ったら、わたしのこの真っ赤な頬を、七海にまた笑われてしまう。 そんなの、聞くのはずるいよ。 どうせわかっているくせに。 ≫ 翌日、なんだかふわふわとした気持ちで出勤した。朝もニュースを見ながらぼうっと食パンをかじり、歯磨きをして、どこか夢心地で家を出た。 デスクに着けば、隣の席の伊地知くんは朝から忙しそうにエクセルのファイルをいじっているところだった。 「おはよう、伊地知くん」 「おはようございます」 数字と睨めっこして細めていた目をぱちぱちと瞬きし、伊地知くんはわたしに向き合った。 「昨日、七海さんと出掛けてたんですよね?」 「え、あ、・・・うん」 「それじゃあもう聞いていますか?」 何を、と問いかけようと口を開いたまま、わたしは言葉を失った。 「七海さん、結婚するらしいですよ」 |