26 ※話の都合でヒロインが誕生日です。 「名前、お誕生日おめでとう!」 ぽやぽやと眠気を残し、目をこすりながら寮の食堂までの道のりを歩く。昨日の任務、遅かったからなあ。今日も寒いのに、朝から体術の授業があるし。ネガティブな感情も眠気には勝てず、ふああ、と大きなあくびをすればどこかに吹き飛んでしまった。寮母さんの作ってくれたごはんを持ってよろよろとしながらなんとか席に座れば、朝から元気いっぱいの灰原が満面の笑みで目の前に立った。 そういえば。今日はわたしの誕生日だ。 「ありがとう、灰原」 「じゃーん!」 そう言って、後ろ手に隠していた大きな包みをわたしの前に差し出した。テーブルにどん、と大きな音を立てて置かれたそれに、別の席に座る七海がちらりと視線を寄越す。 「開けていい?」 「うん!」 ピンク色の大きなリボンを解けば、前にレンタルしてどハマりした少年漫画が新刊まで揃えてそこにあった。そうか、確か前に灰原に言ったことがあったっけ。面白すぎて買うか悩んでるって。目の前には、驚くわたしのリアクションを見て誇らしげに胸を張る灰原が、嬉しそうに口角を上げている。 「ありがと。わたしが買うか悩んでたの、覚えててくれたんだね」 「まあね。それに、僕も読みたかったんだ!」 読み終わったら貸してくれない? そう言って照れくさそうに首筋に手を当てる灰原に思わず笑ってしまう。 「うん!わたしも、灰原に読んで欲しかったから」 「やったあ!」 これから新刊が出るたび、灰原と語り合うことができる。さっきまで眠気であんなにぼんやりとしていたのに、嬉しさではっきりと目が覚めた。朝からこんなに嬉しい気持ちになるなんて、今朝起きた時は思わなかった。 「灰原、ありがとう。嬉しい」 「へへ」 正面から改めてそういえば、灰原は珍しく照れたように笑った。帰ったら漫画を読み返して、早く灰原に貸してあげたい。あれこれ語り合うことを想像して、もうすでにうきうきと胸が弾んでいる。 ≫ 「おせーぞ名前」 「おはよう名前。誕生日おめでとう」 「おめでとー」 教室には、二年の先輩たちがいた。わたしの机に五条先輩が座り、椅子には硝子先輩が座っている。夏油先輩は七海の席に座って、わたしにひらひらと手を振った。 「ありがとうございます!」 「私もお祝いできて嬉しいよ。これ、プレゼント」 そう言って夏油先輩はわたしの手のひらに小さな包みを置いた。驚いてその顔を見上げれば、開けてみて、と甘い声で囁く。逸る気持ちを抑えてなるべく丁寧にその包みを開ければ、そこには綺麗なイヤリングがあって、光を反射するたびきらりと輝きを変えた。 「名前の好きな色だよね?」 「覚えててくれたんですか?」 「うん。よく似合う色だと思って」 「今日から死ぬまで一生外しません!」 そう力を込めて宣言すれば、夏油先輩はからからと笑う。冗談だと思ってるんでしょう。だけど、半分はほんとだ。窓から差し込む光にイヤリングをかざせば、その度きらきらとわたしの好きな色が反射する。 「私からはこれ」 ぽん、と手のひらに乗せられたそれに視線を落とす。 「名前が見たがっていた映画のチケット」 「硝子先輩・・・!」 「うわあ、手握ってきた」 え、なんで今振り払った? 「今度一緒に行きましょうね!」 「ええー、それあんま興味ないや」 げえ、という顔をする硝子先輩を見てうなだれるわたしに、硝子先輩は片方の口角だけを上げ、いじわるな顔で楽しそうに笑う。こういう顔似合うなあ、この人は。だけど、いつも適当に相槌を打って聞いていないと思っていたわたしの話を、意外にもちゃんと聞いてくれていたことがわかって嬉しくなった。わたしの扱いは五条先輩の次にひどいけど、一応、大事に思っていてくれるのかもしれない。・・・多分。 「名前、俺は何だと思う?」 さて、この人が何かを用意してくれているわけがない。きっと、夏油先輩に言われてわたしの誕生日も知ったことだろう。プレゼントなんていらないから、今日はわたしにいじわるをしないで欲しい。 「・・・ゴミとかですか?」 「ぶっ飛ばすぞ」 お前俺を何だと思ってんの? きいきいと文句を言っているけど、普段の行いからしたらごみとかいらないグラビア誌とか、不要なものをくれる以外想像できない。それくらいにわたしからの信頼はないということだ。 「授業が終わったらこの店まで行け」 「え」 手渡されたショップカードを裏返せば、一駅先のお店の住所が書いてある。 「ケーキ屋さん?」 「そう」 ・・・いや、先輩が食べたいだけじゃん。わたしの誕生日に乗じて。 喉まで出かかった言葉を慌てて飲み込む。まあ、いっか。これはこれで、この人の優しさだろう。そう思うことにする。それに、帰ってみんなとケーキを食べるのも楽しみだ。 「七海、お前荷物持ちでついてってやれ」 「え?いや、別に・・・」 「わかりました」 え。なんで。だって一駅先だし。 いつもなら「嫌ですよ、なんで私が」くらいは言いそうなのに、黙って従っている。なんだかそれが逆に怖い。 ≫ 「付き合わせちゃってごめんね」 「いえ」 北風がびゅうっと吹く。昼間は陽が差して暖かったけれど、陽が落ちてくれば途端に気温も下がっていく。寒さに弱い七海は、相変わらずマフラーに顔を埋めていた。文句も言わずにその手にわたしの誕生日ケーキを持って、黙って隣を並んで歩いてくれている。なんだかここまで大人しい七海は珍しい。それに、朝からずっと、どこか思い悩んでいるように見えた。 「誕生日のプレート、ついてましたね」 「ね。それに、わたしの好きなケーキだったから、びっくりした」 「・・・そうなんですか」 「うん。絶対先輩の好きなケーキ選ぶと思ってたのに」 思い出したらなんだか笑ってしまう。店員さんが確認させてくれたそのケーキには、「ハッピーバースデー名前」と書かれたプレートが乗っていて、わたしの大好きなショートケーキだったから。五条先輩は、意外と本当に、優しいところもあるのかもしれない。 「ショートケーキが好きなんですね」 「うん」 「・・・・・・」 やっぱり、今日の七海はなんだか様子がおかしい。盗み見た横顔は、どこか難しい顔で、考え込んでいるように見える。 「七海、何かあった?」 前を見据えていた瞳が、じとりとわたしに視線を落とす。自分で言っておいて、なんだか恥ずかしくなってきた。七海はわたしに相談なんてするわけないのに。きっともうすぐいつも通りのため息が聞こえてくるはずだ。 そう思っていたのに、いつまでもそれは聞こえてこない。 「私はアナタのこと、何も知らないんだな、と今日一日思っていました」 「・・・そんなこと?」 驚いてその横顔を見上げれば、不満そうな顔で七海はわたしを見下ろす。だって、それがどうしたっていうんだ。七海は別にわたしのことなんて知らなくても何にも困らないだろうし。そう思っていることが顔に出ていたのか、七海がついに小さくため息をついた。 「アナタが今日誕生日だということも、知らなかった」 確かに、言ってなかったもんなあ。聞かれてもないし。そう記憶を思い起こしながら、七海の言葉の続きを静かに待つ。 「アナタが好きなものを、何にも知らなかった。もう一年近くも一緒にいるのに」 「麺好きなのは知ってるじゃん」 「そういうことじゃない」 ぴしゃりと七海は言う。だから、それが、なんの意味が。七海が思い悩んでいたことと、どんな関係があるんだろう。だってわたしの好きな色なんて、七海は知ったってどうしようもないのに。 ぴたりとその場に立ち止まった七海を、一歩先から振り返る。 『アナタのことが知りたい』 その瞳は切実な色を持っている。わたしはあまりに驚いて、小さく口を開いたまま七海を見上げた。とっぷりと陽が沈み、いよいよ夜の気配がする道端で、わたしたちはしばらく黙ってお互いを見つめていた。 「あ!」 勘違い、なんだろうけど、七海の視線が熱を持っているような気がして。わたしは話を逸らそうとぎくしゃくと手足を動かし七海の前を歩き出す。 「じゃあさ、今度、わたしの行きたいラーメン屋さんに一緒に並んでくれる?」 「いいですよ」 「あ、でも・・・」 「なんですか?」 「そのお店、平麺だ・・・」 いいですよ、名前の行きたい店なら、特別に。 行きとは違い、七海の言葉尻はなんだかご機嫌だ。辺りはもうすっかり暗く、駅からの道のりは人通りも街灯も少ない。こんなに暗くて助かった。今、どんな顔をして七海の隣を歩けばいいのかわからないから。 「名前、誕生日おめでとう」 |