25 「あっれー、七海。後ろ空いてるよー」 「五条さんこそ、助手席じゃ狭いんじゃないですか?どうぞ上座に」 車のロックを解除した途端、大柄の男二人が同時に助手席のドアに手をかけた。そうしてどっちが助手席に座るかどうかで揉めている。どうしてこんなことが。ていうかそもそも普通の術師は助手席に座らない。 この組み合わせ、幸先不安すぎるんですけど。 「ねえ、どこでもいいんで早く乗ってもらえます!?」 「どこでも良くないから揉めてるんです」 「じゃあ二人で前座ればいいでしょ」 そう言って七海に車のキーを投げつければ、そういうことじゃない、と顔に書いてあからさまに舌打ちをした。いや、本当に意味がわからないんですけど。ねえ、さっさと出発しようよ。 「じゃあわかった。どっちに隣に座って欲しいか、名前が選んでよ」 「二人とも後ろで」 当たり前だ。 「どっちですか」 「えー・・・」 なぜ七海まで今日はそっち側なんだ。 どっちかと言えば七海、と言いたいところだけど、この感じ、五条先輩のことを選ばなかった時の方が後々めんどくさいことになりそうだ。たとえば、後ろから永遠にシートを蹴ってきたり。 「・・・じゃあ五条先輩」 「いえーい!」 ノリノリで車に乗り込む五条先輩を見てため息をつき、自分も運転席のドアを開ける。さて、何分出発が遅れたんだろう。これで残業なんてなってみろ、七海が。 ・・・あれ、七海は。やけに静かなその男を恐る恐るバックミラーで確認すれば、後部座席で長い足を組み、サングラス越しに殺気を放っていた。 ようやく発進した車内では、いつも通り五条先輩があれこれどうしようもない話をする。ラジオから好きな曲が流れればふんふんと歌って、リスナーの恋愛相談につまらなそうに文句を言う。そうして思いついたようにコンビニに寄ろうと提案をし、遠目で看板を見つけたそこに車を停車した。 一体いつになったら目的地へ着くことやら。 「あれ、名前は行かないの?」 「はい。待ってるんで、早く帰ってきてください」 「トイレ、行っといた方がいいんじゃない」 デリカシーのない発言を無視していたら、先輩はばたんとドアを閉めた。五条先輩だけが用があるのかと思っていたら、七海も続いて車から降りていく。 バックミラー越しにやいやい言いながら二人が戻ってくるのが見える。こんな田舎にこんな派手な二人。駐車場を歩く人が振り返って見ているのもわかる。そのまま二人は再び車内に乗り込み、がさごそとコンビニの袋を漁っている。シートベルトを着用しているのを確認し、もう何も言わずにアクセルを踏んだ。 「これ、良かったら」 七海が後ろからコーヒーを差し出した。左手でそれを掴もうと腕を反らせば、それはするりと横手から奪われた。わたしの分を代わりに受け取った五条先輩が、これ僕のね、と遠慮なく蓋を開けようとする。 「それ、名前のです」 「え?」 五条先輩がちらりとわたしを見た。それに気づいて、わたしは少しだけ苦い顔をしてしまう。先輩の「ふーん、そうなんだ」という声色が、嫌らしく楽しそうなものに変わっていく。うわあ。多分、気づいてしまった。お願いだから、七海に余計なこと言わないで。 「へえ、名前が微糖なんて珍しいね」 「はい?」 ほらやっぱり。五条先輩の煽る様なその言い方に、七海がいち早く反応した。期待なんてしていなかったけれど、余計な一言を言わなかったことなんて、一度もないんだこの人は。もうやだ帰りたい。誰だこのメンバーで任務組んだやつ。 「五条さん、それどういう意味ですか?」 「え?こいつ今、ブラックしか飲まないんだよ。だからさっきは僕の分だと思っちゃってさ。ごめんねー」 はい、名前の微糖だよ。 わたしの視界に入るようコーヒーを小さく左右に振り、運転席側のドリンクホルダーにそれを置く。恐る恐るバックミラーを見て後悔した。そこには今にも後ろから鉈を振りかざしそうなほど青筋を立てる七海の姿があった。 「そっか、知らなかったんだね、七海は」 「・・・・・・」 「まあ僕は、こいつのあーんなことやこーんなことまで知ってるよ」 だって、ずっと一緒だったんだから。 ね、と同意を求める様に五条先輩がわたしに向かって微笑む。勘弁してくれ。わたしを巻き込まないで。朝から何で揉めてるのか知らないけど、そっちで勝手にやっててください。まじで。 「名前」 「は、はい」 責めるように呼ばれた名前に、思わず敬語で返事をしてしまう。 「他に黙ってたこと、あるんですか?」 「ない」 「あるじゃん。お前パンもタルトも今は好きだろ。だからこの前お土産に買ってってやったのに」 「・・・・・・」 手汗でハンドルを持つ手が滑りそうだ。 「そうだったんですか」 どこか投げやりなその言葉に、勇気を出して再びバックミラーを確認する。いつも通り眉間に皺を寄せ腕を組み、七海は遠くの景色を見つめていた。その姿になんだか心が痛む。言わなかったんじゃなくて、言えなかっただけなんだと、そう素直に伝えた方が良い気がした。 「七海って昔からパンが好きでしょ?」 それが何か、というような意味を含んだ「はあ」が返ってくる。この短い言葉のニュアンスで、七海の考えていることがなんとなくわかるようになってきた。 「どうして七海は味がないパンなんて食べてるんだろ、ってあの頃は思ってたけど」 「・・・味はありますよ」 「うん。そうだよね、今はそう思う。卒業してからね、七海のこと思い出して、食べてみたら美味しくて、」 「・・・」 「その、つまりね、七海の好きなものを好きになってみたかったんだよ」 すいすいと窓の外の景色が流れていく。気持ち良いくらいの小春日和に、遠くの山までくっきりと見える。 あの頃のわたしが苦手な食べ物は、味のしないもそもそしたものだった。ハード系のパンが好きな七海を、いつも不思議に思っていた。好きになった今だからわかる。小麦の甘味とかもっちりとした食感とか、そういうの。七海が好きなものを知ろうとしたから、わたしは美味しいことに気づけたんだよ。 「五条さんの言うとおりですね」 ぽつりと溢すようにそう言う七海の声色は静かだ。 「所詮、私が知ってるのは、あの時までのアナタのことだけだ」 「・・・七海、」 「今のアナタのこと、全然知らないんだと思います」 ぽつぽつと七海は言葉を紡ぐ。どこか諦めたように聞こえるのに、不思議と何かを決意したかのような響きをもって。 「アナタのことを知りたい」 バックミラー越しに、まっすぐにわたしを見つめる七海と目が合う。サングラスをしているのに、しっかりと目が合っていることがわかるくらい、真剣な瞳をしている。あまりに直球なその言葉に何と返せばいいのかわからず、わたしはただ小さく頷いてまたフロントガラスの先の景色を見つめた。 「・・・待ってお前ら。僕がいること忘れてない?」 「いないことにしたんで、黙っててもらえますか」 振り返った五条先輩と七海がまたぎゃあぎゃあとまた口喧嘩を始める。静かだった車内が騒がしくなり、わたしはほっと胸を撫で下ろす。どきどきした。七海が急にあんなこと言うから。・・・ああ、びっくりした。 熱を持つ体を冷ますように少しだけ窓を開ければ、しんと冷えた冬の空気が頬を撫でた。 |