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※捏造ばかりです
・猪野が東京校出身設定
・猪野が怪我してます







行きの車内はわいわいと騒がしかった。助手席に座る猪野くんが、わたしにあれこれと武勇伝やら思い出話を披露してくれて、バックミラー越しに見える後部座席の同級生たちが、やれやれまた始まったといった様子で首を振っている。
底抜けに明るくて、前向きで、思いやりに満ちた猪野くんは、どうしても灰原と重なって見えてしまう。



「猪野くん、もう少しで高専に着くよ」

帰りの車内は静かだった。
血の気が抜けて青白い顔の猪野くんに声をかける。辛そうではあるけれど、大丈夫、意識もある。ぎゅっとその冷たい手を握れば、僅かな力でわたしの手を握り返してくれた。
高専まではあと少し。伊地知くんが空いていた補助監督をもう一人連れてきてくれて助かった。わたしもこんな状態で、とてもじゃないけれどハンドルを握ることは出来そうにないし。そこまで考えてくれているなんて、さすが伊地知くん。仕事が出来る。
息をするたびにぎりぎりと胸が痛む。この痛みには学生時代覚えがある。多分、肋骨のどれかが折れてしまっているんだろう。腕や足の切り傷はそんなに深くない。車のシートに、スーツで吸いきれなかった血が染みていく。クリーニング代、経費で落ちるだろうか。こんな時なのに、やけに現実的な心配事をしてしまう。


「着きました」

車のエンジンを止め、後輩の補助監督が後部座席のドアを開ける。

「猪野くんをお願い」
「名字さんは、」
「大丈夫、なんとかする」

猪野くんの体が小さく上下している。良かった、息がある。大丈夫だ、きっと間に合う。硝子先輩も準備をして待ってくれている。
自分を鼓舞するために、何度も何度も猪野くんが生きていることを確かめて、後輩に彼を託した。
すぐに人を呼んできます、と詫びるような目でわたしに視線を向けた後輩が、駆け寄ってくる人の姿を見て、心底安堵したようにその表情を緩めた。

「すぐに二人を家入さんのところへ」

聞こえた声に、その理由がわかった。七海が迎えにきてくれたんだ。後部座席に座るわたしを、七海が軽々と抱える。うわ。そんな、これってお姫様抱っこじゃん。ぼんやりとする頭の中でもまだ恥じらいはあったけれど、それを言葉にする体力はもうない。腕の中から見上げたその横顔は、怒っているようにも泣きそうにも見える。

「あと少しですから」

大丈夫だよ、そう言って安心させてあげたいのに、そう言葉にする体力さえもうなく、七海の温かい体温とその声にほっとして、わたしは意識を手放した。







「・・・ななみ」
「気が付きましたか」

すぐに家入さんを呼びますから。席を立とうとする七海のシャツの裾を、無意識に引っ張っていた。それに気づいて慌ててその手を引っ込めようとすれば、その手を七海が掴んだ。あまりに力いっぱい握るものだから、その痛みに少しだけ顔を歪めてしまう。だけどそんなわたしの様子も、今の七海は気づかないようだ。七海はベッド脇のパイプ椅子に再びゆるゆると腰掛け、繋いだ手に額を寄せ、大きく息を吐く。強張っていた体から力が抜けていくように見えた。七海の筋肉質で大きな身体も、今はなんだか一回り小さく見える。

「あんまり、心配させないでください」
「うん、ごめんね」

繋いだ手に額を寄せたまま、横たわるわたしを上目遣いで見つめる七海は、今度は見間違いじゃなく泣きそうに見えた。

「出血が多いそうなので、しばらくは安静にしてください」
「ねえ、猪野くんは?大丈夫なの?」
「はい。家入さんの治療を受けて、無事です」
「・・・良かったあ」

帳を降ろす前に、不意打ちを食らってしまった。猪野くんとわたしは奇襲を受け、無傷の残りの学生と共に一度現場を離れ、一級術師にその後を引き継いだのだ。多くを言わずとも伊地知くんは全てを察してくれた。本当になんて頼りになる後輩なんだろう。それに比べてわたしは。わたしがぼんやりしていたばっかりに、大切な学生を傷つけてしまった。

「呪霊も祓ったと、先程伊地知君から連絡がありましたよ」
「・・・そっか」
「アナタがあの学生の子を庇ったと聞きましたが」
「うん。でも大丈夫だよ、硝子先輩に治してもらえるし」

ほら、ね。と握ったままの手に力を入れようとしたけれど、思ったように力が入らず、却って七海に心配をかけてしまったようだ。みるみるうちに眉間の皺がまた濃くなっていく。

「アナタはただの補助監督だ。傷付く必要なんてない」
「うん。でも、補助監督の代わりはいくらでもいるけど、術師の代わりはいないから」

猪野くんは術師で、わたしはただの補助監督。どちらの命に価値があるかなんて明白だ。前に五条先輩が言っていたように、わたしの代わりなんていくらでもいる。
真っ白な天井を見つめていたら、握ったままの手がぎりぎりと痛いくらいに締め付けられる。見なくてもわかるくらいに、七海は怒っている。

「二度とそんなこと言うな」

掠れた声でそう言う七海に視線を向ける。揺らいだ瞳と目が合った。その目を見てやっと気づいた。七海にあの日と同じ思いをさせるところだったと。血の気のないわたしの顔を見て、意識なくベッドに横たわるわたしを見て、きっと思い出しただろう。だからきっとこんなに怒って、わたしを案じてくれている。

「ごめんね、七海」
「・・・・・・」
「あの子、ちょっと灰原に似てたでしょ?」

この世界にいるにも関わらず、腐らず、前向きで、屈託なく笑うから。
再び天井に目線を向けそう言えば、七海はわたしの頭をゆっくりと、驚くほどに優しく撫でた。

「家入さんを呼んできます」

そう言って目を合わさず部屋を出た七海の声は震えていた。わたしが何を言いたいか、きっと七海はわかってくれたのだろう。無茶をしたけれど、わたしは無事だった。猪野くんも無事だった。だけどそれは奇跡に等しく、きっと次はないだろう。
もう七海に、二度とあんな顔をさせたくない。
仕事に戻れるくらい元気になったら、きちんとお礼を言わなくちゃ。コーヒーくらいだったら、素直に奢らせてくれるだろうか。




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