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大振りのピアスを外しポーチにしまう。髪はバレッタを外して、・・・セットを崩すのはむずかしいから、このままでいっか。ロッカーからジャージを引っ張り出し、長い廊下を更衣室へと向かう。着替えが必要な時や、高専に泊まることになった時のために用意しているそれは、においを嗅げばちょっと埃くさい。この前洗濯してから、どれぐらい経ったっけ。
まあいっか。誰かに会う前に、さっさと着替えてしまおう。誰かとは言わないけど、めんどくさい人に会わなきゃいいけど。


「うわ名前、珍しくおめかししてるじゃん」

早々に出会してしまった。
よりによって、どんぴしゃの五条先輩。
ていうか、うわって何。こっちのセリフなんですけど。しかも珍しく、って。いちいち余計なことばかり言う、この人は。

「中学の友達の結婚式だったんですよ」

そっちこそ珍しいじゃないですか。という言葉は飲み込んだ。さっさとこの場を切り抜ける方が先決だ。五条先輩と七海は談話スペースのソファに、向かい合って座っていた。まだ二つのコーヒーからは湯気が立っている。一体、今からここでどんな企みを巡らせるのだろう。おそろしい。

「中学の同級生ですか」
「うん。・・・あ、ほら。七海は昔会ったことある子だよ。えーっと、・・・そう、クリスマスツリーの前で」

七海は英字新聞から顔を上げ、昔を思い起こすように視線を天井に向ける。
そう、たしか、クリスマスの時期。わたしの地元に新しく設置されたホワイトツリーの前で偶然再会した時だ。あの時、わたしの隣には七海がいた。

「もう行っていいですか?着替えて仕事しないと」

明日も早いんで。嫌味のようにそう言い加えれば、五条先輩は全く気にするそぶりを見せず、可愛こぶって唇を尖らせる。

「えー、着替えちゃうの?もったいない。せっかく可愛いのに。ねえ七海?」
「だからそうやって七海に絡むのやめてくださいってば!ごめんね、七海」

七海が言葉を探している間に、一方的に矢継ぎ早にまくしたてる。七海は「はあ」と、相槌とため息の中間のような音を口から発した。ほんっとにありえない。七海にこういう絡み方するの、冷や汗出るからやめてほしい。結局こうして先輩の思惑通りにわたしがあたふたしてしまうから、毎度玩具にされるのだろうけど。くやしい。

「・・・わたしだってこんな日に職場に寄りたくなかったですよ」

誰かさんが昨日の任務の報告書、ちゃんと確認してくれなかったから。不備があって上から差し戻されたんですからね!
そう語気を強めれば、先輩は悪びれずきゅるきゅるとした表情を作りわたしを見上げる。

「えー、誰だろうー、ひどいやつもいるもんだなあ」

お前だ。
喉まで出かかった言葉を押し込み、諦めて無視を決め込む。くねくねし出した五条先輩に何を言っても響くことがないことは、この長い付き合いでわかっている。

「まあ、とりあえず座ったら?」

その靴で立ってるのも疲れるでしょ、と五条先輩はぺしぺしと自らの隣を叩く。

「いや、仕事が」
「まだコーヒー残ってるし。ねえ七海」
「はあ」

本日二度目の曖昧な返事をする七海と、話しの通じなさにいらいらを募らせるわたしを置き去りに、五条先輩は席を立ち、給湯室の方へ向かう。先輩自らコーヒーを用意してくれるなんて珍しいこともあるもんだ。いい加減あの人に振り回されるのに疲れて、はあと大きなため息をつく。・・・なんかもう、どうでもよくなってきちゃった。コーヒー一杯くらいなら、付き合ってやるか。

さて、五条先輩と七海、どちらの隣に座るべきか。先輩の隣に座ったら、頭ぐちゃぐちゃにされそうだしなあ。やっぱりここは、七海の隣かな。新聞に顔を埋めて集中している七海の隣に、なるべく音を立てないように静かに腰掛ける。それでも七海は驚いたように新聞から一瞬顔を上げ、また伏し目がちに文字を追いかけはじめた。・・・あれ、もしかして隣に座られるの、いやだったかな?

「お待たせー」

コーヒーカップ片手に戻ってきた五条先輩がわたしの前にカップを差し出した。ありがとうございます、と一応お礼を伝えれば、何の興味もなさそうに片手をひらりと上げ、向かいのソファにどかりと乱暴に座りその長い足を組んだ。

「二次会行かなかったの?」
「・・・まあ」
「ふうん」

歯切れの悪い返事をしてしまったかな。
二次会には参加せず、仕事を理由に高専に帰ってきた。友人の花嫁姿は、涙が出るくらいに綺麗だった。中学まで一緒だった同級生たちにも久しぶりに再開して、会話に花が咲き、楽しい時間を過ごした。
仕事は、とか、彼氏は、とか。普通の女の子が当たり前にする年相応の話ばかりを、楽しそうに相槌を打ちながら、他人事のようにぼんやりと聞いていた。
仕事が終わってない、というのは程のいい言い訳だった。中学を卒業してから呪いの世界で生きているわたしには、あの普通で平和しかない空間にいることが、どこか居心地が悪かったのかもしれない。非術師しかいない、あの空間が。

「どう?いい男はいた?」
「へ」

仄暗い気持ちに浸っていたところで、にやにやした顔の五条先輩に顔を覗き込まれる。さっきまで英字新聞を読み耽り、まるでわたしの話に興味のなさそうだった七海もまた、顔を上げてわたしを見つめていた。
・・・あれ、なんでこんな話になってるんだっけ?

「さあ・・・」
「さあって、お前。誰かいねーのかよ、中学の頃好きだったやつとか」
「好きではなかったけど、中学の同級生の男子は出席してましたよ」
「つっまんねえー」

至近距離からじっと突き刺さるような視線に耐えきれず、ちらりと七海に視線を返せば、七海は無表情のまま何も言わず、また英字新聞に目線を落とす。なにこの人たち。みんなして、恋バナ、みたいな話好きなのかな。まあこの世界にいたら、浮かれた話の一つや二つ、聞きたくもなるか。

「そもそも、この世界にいる限り結婚とか恋愛とか、わたしには考えられないです」
「はあ?恋愛は自由だぞ」
「・・・同業者ならまだしも、いつ死ぬかもわからないこの職業を、どうやって非術師に説明したらいいんですか」
「じゃあ補助監督辞めればいいだろ」
「え」
いや、そんな簡単に言われても。
「お前の代わりなんていくらでもいるし」
そう、なんだけど。ここまではっきり言われるのもなんかむかつく。
「・・・・・・」
「お前、頭固いなー。本気で好きになったらな、理屈なんて考えてる余裕ないんだよ」

汚いものでもみるかのように顔を歪めた五条先輩が、わたしを上から指差し説教を垂れる。偉そうに言ってるくせに、先輩だって本気の恋愛なんてしたことなさそうに見える。うるさいなあ、とあからさまに顔に出して、話半分に聞いていたら、五条先輩は閃いた、とでも言うように、ぽんと大きく手を打った。
うわあ。なんかまた、余計なこと言いそうな気がする。

「じゃあさ、僕と結婚する?」

イケメンだし、スタイル抜群だし。お金もあるし、お前の言う同業者だし。それに僕強いから死なないし。ほら、優良物件だと思わない?
指を折り、自分のアピールポイントを数え終わった五条先輩の、アイマスクをしてわからないはずの目が弧を描いている気がする。めんどくさそうな話の流れに気配を消していたはずの七海の持つ新聞が、がさりと大きな音を立てた。

「たしかに同業者ですけど・・・。絶対いやですよ、御三家の人なんて」
「そこぉ?」

五条先輩は顔を歪めて煽るようなムカつく顔をする。人間性はいったん置いておいたとしても、絶対に嫌だ。御三家なんて。ろくに呪術の使えないわたしなんて、あの格式高い家でどれだけ肩身の狭い思いをするだろう。

「僕より魅力的なやつなんていないでしょ」

あっけらかんと自信たっぷりに言う。一体どこからくるんだろう、この自信は。いっそ羨ましくもある。

「お前の妹もさ、義理の兄がこぉんなイケメンだったら嬉しいでしょ」
「いや、うちの妹は伊地知くん推しなんで」
「・・・伊地知ぃ?」
「ほら、去年うちの母が倒れた時に、一緒に事務作業してた伊地知くんに病院まで送ってもらったことあったでしょ?そのときに」

普段からトラブルに慣れている伊地知くんは、どんな時も冷静だった。てきぱきと受付で病室の番号を聞き、わたしを案内して先に着いていた妹に引き合わせ、自分はさっさと車に戻り、文句も言わずに寒い車内でずっと待ってくれていた。その姿を見て、結婚するなら絶対ああいう人!と、妹は鼻息荒く言っていたのだ。まあ、伊地知くんからしたらいい迷惑だろうけど。

「はあ?お前の妹、僕に会ったら絶対この人ってなるでしょ。だって僕だよ?」
「いや、間違っても五条先輩みたいな人とは結婚するなって言ってましたよ」
「なんで!?」
「・・・不誠実だからじゃないですか」

だんまりを決め込んでいた七海が眼鏡を掛け直し、向かいの五条先輩を冷ややかに見つめた。そう、その通り。普段から五条先輩に食らったいたずらといういじめを報告していた妹に、飲み会の時の集合写真を見せたところ、わたしの肩に腕を回す先輩を指差し、こいつだけはだめだと言った。

「それじゃあ七海は?」
「えっ」

仕返しとばかり、五条先輩からどぎついボールが返ってきた。これはぜったいに嫌がらせだ。確信犯だ。散々僕の悪口言ったよな?と、見えないはずの目がそう言っている。

言ってもいいのだろうか。学生時代もそう名前をつけられなかった関係に。ただのクラスメイトから一歩進んだその名前でこの関係を呼んでしまっても。でも、違うと言われてしまったら。
だけどあの日、一から友達として関係を築くと決めたんだ。ごくりと唾を飲んで、口を開く。

「七海はその、・・・友達、だから」

あの時以来、初めてそう口に出した。友達。友達、でいいんだよね?ただの同僚ですが、とか。返ってきたらどうしよう。どこにでもありふれた関係のその名前を、やっぱり言わなければよかったとか、烏滸がましかったかな、とか。うじうじといつまでも考えてしまう。

「友達、ですか」
「う、うん」

七海は新聞を閉じ、遠くを見るように目線を上げた。七海はなんにも言わない。やっぱり、七海にとってわたしは、友達ではないということだろうか。たったこれだけのことで不安で押しつぶされそうになり、聞かれたらめんどくさいであろう質問をしてしまうくらいには、返事を待つ時間が怖かった。

「ダメだった?」
「・・・いえ。友達、そうですね。まあ、今は」

歯切れの悪い七海の返事に、それでもほっとする。いやに静まり返った空間に、ぶ、と吹き出す先輩の笑い声が響いた。何事かと向かいの五条先輩に目線を向ければ、お腹を抑えてげらげらと笑い出す。

「残念だったねー、七海。しっかり伊地知のこと牽制しときなよー」
「その前にアナタですよ。なんですかさっきの」
「おー、怖い怖い」

五条先輩はひいひいと苦しそうに笑う。こんな風に感情をむき出しでぷりぷりと怒っている七海は珍しく、思わずあんぐりと見つめてしまう。なんなんだ、この状況。わたしだけ理解できていない気がするのは気のせい?

「ねえ、七海はなんで怒ってるの?」

たまらずそう聞けば、七海の眉毛はぴりぴりと震える。これはなんだかよくわからないけれど、火に油の発言だったんじゃないか。ソファに丸まった先輩は、笑いすぎてもう声が出ていない。

「アナタは昔から鈍すぎます。いい加減にしてください」
「え?」
「そんなんだからいつまでも五条さんに遊ばれるんだ」

ここまで怒りをあらわにする七海の姿を見て、ふと学生時代を思い出す。五条先輩にいたずらをされた時、こうやってものすごい剣幕でぶちぎれていたっけ。七海は怒ってて、先輩は笑ってて、わたしはわけもわからずぽかんとしていて。変わってしまったようで、昔と変わらない。なんだか、学生時代に戻ったみたいだ。よくわからない状況だけど、昔を思い出して思わずふ、と笑えば、七海が青筋を立ててわたしを見下ろした。

「何笑ってるんだ」

いよいよ息もできないほどに笑った五条先輩が、向かいのソファから滑り落ちていった。




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