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「ねえ、灰原」
「ん?」
「今日の七海、なんか変じゃない?」
「え?・・・そうかなあ」

生姜焼きを少し口に運び、そのまま幸せそうに口いっぱいごはんを詰め込んで、灰原は記憶を思い起こすように黙ってもぐもぐしている。
今朝からなんだか、七海は落ち着きがない気がするのだ。座学の授業は頬杖をついてぼうっとしているし、体術の授業も心ここに在らずな様子で灰原の後ろ回し蹴りを受け流していた。わたしよりも七海と仲が良く、意外と鋭い灰原がなんにも気になっていないようだし、これはわたしの勘違いなのかもしれないけど。

昼休み、さっさとごはんを食べ終えた七海はどこかに行ってしまった。普段からわたしたちより遥かに物事を考えている七海のことだけれど、よほど思い悩むような何かがあったのだろうか。
・・・うーん、さすがに心配だ。
そうわたしが思っている横で、灰原がごはんを大盛りでおかわりしている。

「気になるなら七海に直接聞いてみれば?」
「教えてくれるかなあ」
「ダメで元々だよ!」

あっという間に漫画みたいな大盛りごはん二杯目を平らげた灰原が、口元に米粒をつけたままにっこりと笑う。邪気のないこの顔で見つめられたら確かに何でも話してしまう気がするけれど、なんせ相手はわたしだ。七海が心を開くはずはない。は?急になんですか気持ち悪い。くらい言われたっておかしくない。うわ、想像しただけでイラッとした。

「灰原、ごはん粒ついてるよ」
「え?どこ?」
「違う違う、逆」

灰原はほっぺに付けたごはん粒を探すのに苦戦して、ぺたぺたとあちこち顔を触っている。・・・灰原なら、いっか。そう思って手を伸ばし、灰原のほっぺにしぶとく付いたごはん粒を手に取った。

「はい、取れたよ」
「ありがと名前!・・・あ、おかえり七海!なんだかすごい顔してるね」

いつの間にか戻ってきて、七海はじろりと冷ややかな目でわたしを見下ろす。はいはい。どうせまた、アンタたちは子供ですか、とか、距離感が、とかなんとか言うんでしょう。そう覚悟していたのに、七海は黙ってわたしの隣の席に座った。
・・・やっぱり、今日の七海はなんだかおかしい。





放課後。七海のことで午後はずっと頭を悩ませていたせいか、甘いコーヒーが飲みたくなって自販機までの道のりを歩く。この前まであんなに暑かったくせに、吹く風はもう時折り寒いくらいだ。どこからか金木犀の柔らかな甘い香りがする。秋はいつの間にやらやってきて、きっとすぐ、ここで過ごす最初の冬が来る。
これだけ気温が下がったら、自販機のラインナップも変わっていたりして。なんて期待して自販機への角を曲がれば、見知った金髪男が相変わらずぼうっとした様子で財布を握りしめたまま突っ立っていた。

「何悩んでんの?」
「え」
「飲み物の話ね。先買っても良い?」

なんとも言えない顔をして、わたしの一挙手一投足を七海が見つめている、気がする。なんか、選びづらいなあ。自販機のラインナップを確認すれば、わたしの好きなコーヒーはまだホットの入荷をしていないようだ。そうだよね。業者の人も、しょっちゅうここに出入りするわけにも行かないし。仕方ないから冷たいやつで。ピ、とボタンを押せば、がこんと大きな音を立てて微糖のコーヒーが転がって出た。・・・ついで、ついでだ。心の中で誰にともなく言い訳をして、おつりが残ったままの自販機のボタンを再度押す。再び大きな音を出して落ちてきたそれを、七海に差し出す。なんでブラックはホットがあるんだろう。ずるい。

「ほら、あげる」
「・・・・・・」
「七海、なんか今日変だよ」

そう言えば、難しい顔をして手元の缶コーヒーを見つめていた七海とかっちりと目が合った。何かを言いたげなその瞳を見つめ返し、口ごもる七海の言葉を待つ。ふー、と大きく鼻から息をはいて、七海は諦めたように体の力を抜いた。

「これ」

制服のポケットから取り出した紙切れが、秋風にひらひらと揺れている。

「なにそれ?」
「水族館のチケット。昨日の任務で会った冥さんにもらいました」

まったく、子供扱いして。
七海はそうぼやいて、チケットをわたしに手渡す。

「あ、ここ!」

ここ、アザラシの赤ちゃんのいる水族館だ。このあいだ寮で夕飯を食べている時に流れていた夕方のニュースで特集されていた。大きなマンボウがいたり、魚の群れがライトアップされていたり、ちょっと行きたいと思っていたところだ。なんてタイミングの良い。
チケットを裏返せば、五人まで半額と書いてある。七海、灰原、わたし。硝子先輩、夏油先輩、までで五人だ。・・・五条先輩はボンボンだから、定価でいいだろう。あの人ならきっとそれでも来るはずだ。
楽しみだなあ、冥さんありがとう。なんて緩んだ表情のままチケットから顔を上げれば、どこか意を決したような眼差しで七海がわたしを見つめていた。

「どうした?」
「・・・別に」

そっぽを向いて、七海はぶっきらぼうに言う。あれ。てっきりみんなで行くものだと思っていたけれど、もしかすると七海はそういうつもりじゃなかった、とか。別に誘いたい子がいて悩んでいた、とか。そういうことなら今日の様子がおかしい七海にも合点がいく。
・・・それだ。それしかない。

「ごめん、勝手に話進めちゃって。その、誘いたい子がいるんじゃない?・・・あ、もちろんみんなにはこのチケットのこと内緒にしとくよ!」

七海にチケットを返し、約束するよ、という意味を込めて力強く頷けば、七海はなぜだかやれやれという表情と共に手のひらで目元を覆ってしまった。

「アンタの読みのくせに、大方当てられるとは」

ぼそりと何かを言った気がするけれど、七海が誰を誘いたいのか、というところがなぜだか胸にちくりと引っかかっていたわたしは、その言葉を聞き逃してしまった。

「一緒に行きませんか?」
「え、いいの?・・・やったあ!みんなで行こう!」
「そうではなく、」
「へ?」
『二人で、です』
「・・・ふ、二人で?」

わたしの口は、ぽかんとみっともなく開いていることだろう。驚いて七海を見上げれば、いつも通りの澄ました顔でわたしを正面から見下ろしている。
・・・二人?いやいや、なんで。二人って誰だ。まさか、わたしと、七海・・・?いやいや、だから、なんでわたしと。

「なんで?」
「は?」
「あ、罰ゲームだったりして。だってそうじゃないとおかしくない?七海がわたしを誘うとか」
「・・・罰ゲーム?」

みるみるうちに、七海の眉間に皺が寄る。あれ。なんかわたし、まずいことでも言ったんだろうか。だって七海、明日槍でも降ってきそうなくらいにはびっくりすることを言っているって。自覚ないのだろうか。

「うん。ほら、たとえば先輩たちとのゲームに負けたとか?そうでもしないと七海、わたしのことなんて誘ったりしないでしょ」

自分で言ってて笑えてきた。犬猿の仲、とまでいかないけれど、会えば口喧嘩ばかりのこんなでこぼこなわたしたちだ。惚れた腫れたより罰ゲームの方がよほどしっくりくる。そこの角からドッキリのプラカードを持った先輩たちが出てきてもなんにも驚かない。

「違う」

笑っていたわたしも、七海のぴしゃりと放った一言にぎくりとして顔を上げる。さっきよりも深く刻まれた眉間の皺は、明らかに七海の怒りに比例していた。
確かに、七海もそこまで酷ではない。そんなひどいことするのは五条先輩くらいか。
・・・だとしたら、なんで。
七海が水族館にわたしと二人で行きたい理由。
・・・あ。あの日、七海も一緒に見てた、あのニュース。まだ小さなヒレで一生懸命に床の上を滑っていくアザラシの赤ちゃんを、食べる手を止め、食い入るように見つめていた。

「ごめん、気づかなくて」
「はい?」
「七海もアザラシの赤ちゃん、見たかったんだよね」

大丈夫、七海が水族館行くの楽しみにしてることはバレないように、わたしが上手くみんなのこと誘ってあげるから!安心して任せて!
そう言って胸をとんと叩けば、七海はついにブチ切れた顔になり大きく舌打ちをした。

「・・・クソ」
「え!?なんで!?」









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