17 かつて「恋人の鐘」と呼ばれたその場所は、想い合う男女が一緒にその鐘を鳴らすと永遠に結ばれるという、どこにでもありふれた人工的な縁結びスポットだ。資料をぱらぱらとめくり、かつて賑わったこの地の写真を見つけた。ここ、女の子たちの間で有名だったよなあ。学生時代にテレビの旅番組で何度か見たことがある。今はもうすっかり、この写真の頃の面影はない。 「誰もいないね」 「呪霊はいますけどね」 その鐘のある岬から若いカップルが身を投げてしまってからは、こうして人気のない場所になってしまったという。たしかにこの場所に呪いが発生すると聞いても、何の不思議もない。 呪いの発生による禍々しい空気と、恋人たちのためにデザインされた塗装の剥げたピンク色の柵や看板が、物悲しさに拍車をかけている。 海風に靡く資料を抑え、七海の半歩前を歩きながら事件の詳細を読み上げる。かちゃかちゃと不思議な物音に書類から目線を上げれば、つぶらな瞳の犬と目が合った。そうか、犬の爪がコンクリートに触れる音だったのか。さらに視線を上げれば、この場にそぐわないスーツの二人組を、リードを引く高齢の男性が訝しげな表情で見つめている。 そりゃあ、怪しく見えるよねえ。 眉を下げた男性と目が合い、こんにちはと愛想良く微笑み軽く会釈をすれば、すれ違う瞬間に呼び止められた。 「あの鐘に、二人で行くのかい?」 「調べていることがありまして。お騒がせしてすみません」 「・・・あそこはあんなことがあってから、呪いの鐘なんて呼ばれるようになってしまってねえ」 かつての賑わう観光スポットを知る者から見たら、この廃れた場所を見るたび、きっと寂しく思うのだろう。今となっては、鐘を鳴らせば呪われる、別れる、不慮の事故にあう。まったく散々な言われようだ。 昔を振り返る間、地平線を見つめていた男性は、ゆっくりとわたしに視線を戻し、それから後ろにいる七海に視線を向けた。 「恋人同士で行くのは、やっぱりやめた方がいいんじゃないかなあ」 「ああ、わたしたちなら」 そういうのじゃないので。 苦笑いで答えるわたしのその言葉に被せるように、厳しい社会で身につけたのであろう他所行きの顔で七海が笑う。 「私たちなら大丈夫ですよ」 「は」 「ね」 まるで恋人にするかのような眼差しに、思わずぎょっとした顔をしてしまう。・・・何だ、この七海は。ね、って何・・・。ていうか、いらない嘘をつく必要がどこにある。それになんだかご機嫌だ。ご機嫌すぎて恐怖すら感じる。 最後まで心配そうな顔の男性に「お気遣いいただきありがとうございます」と別れを告げ、先を行く七海に続き、呪いのいる鐘に向かって歩き出す。 「・・・なんで、」 「あの方、説明したところで納得しなそうだったので。それなら手っ取り早く会話を終わらせた方が効率がいい」 「・・・・・・」 ええ、そんなことだろうと思いましたよ。 「恋人の鐘なんて、ばかばかしい。所詮ただの観光誘致です。こんなことで一生一緒にいられるなら世話ない」 「・・・あんたねえ」 「アナタのあの顔・・・、ふ」 息を漏らすように吹き出した七海が、くつくつと笑いを噛み殺すたびにその背中が揺れる。 ・・・なにこれ。わたし、まさか七海にからかわれた? 「こういうの、信じるタイプですか?」 「違うけど、」 ふ、とまた笑い出した七海の背中を待っていたバインダーで思い切り叩く。七海の言う通り、鐘を鳴らしただけで一生一緒にいられるなら世話ないのはわかるけど。 ・・・ムカつく、人の気も知らないで。 一瞬どきどきしてしまったわたしの気持ちを返してほしい。そして思う。恋人のことは、ああいう優しい目で見るんだなあと。 「帳を下ろすよ」 「はい」 やっぱりまだ半笑いの様子の七海と目が合い、気持ち早口で帳を下ろす。きっとわたしの表情は、さぞかし不貞腐れたものだっただろう。 帳が下りてから、ぼんやりと海を眺めた。学生時代のわたしは、テレビを見ながら「いつかここで七海と鐘を鳴らせたら」とか、そんな恋する乙女みたいなことを思ったこともある。あの頃はまだ、その願いが叶うかも、なんて夢みたいなことが信じられるくらいには、毎日がそれなりに平和だったんだ。 「終わりましたよ」 「お疲れさま」 まだ言葉に棘が残っている。それを隠すように出来るだけ平静と「行こうか」と七海に声をかけた。今度は大丈夫。いつも通りだ。駐車場へ歩き出そうとすれば、静かに鐘を見つめていた七海がわたしに視線を寄越す。 「せっかくだから、あの鐘、鳴らしてみましょうか」 「七海が?」 「二人で、です」 いや、なんで。 「ええ・・・、でも呪われるらしいよ」 「それなら今祓いました」 そりゃあそうだ。呪いを祓うためにここに来たのだから。もうこれ以上の断る理由もない。 こんなの興味ないくせに。そう表情に出ているわたしを見て、七海は目尻を下げて笑う。灰原みたいに豪快に笑えばいいのに、「そんなつもりはなかったのに仕方なく笑ってしまった」みたいなその笑い方が懐かしくて、悔しいけれどわたしもつられて笑ってしまった。学生時代、わたしがやらかした後や何か変なことを言った時、こうしてちょっと困ったように眉を下げて笑う七海が好きだった。 しょうがないなあ、と勿体ぶって鐘に向かって歩き出す。 「うわあ、このロープきったな」 「鐘も、ものすごい錆だ」 目を合わせて、ふ、とお互いに吹き出す。こんな鐘を鳴らしたところで一生一緒にいられるものか。そんなこと、みんなわかっている。だけどきっと、大切な人と鐘を鳴らすこの時間や思い出を彼らは楽しんでいたのだろう。 「それじゃあいきますよ」 「せーの、」 海風に錆びついた鐘は上手く音を響かせず、なんとも不恰好な音が小さく響く。その情け無い音に、七海と目を合わせてまた笑った。 |