16

「うう・・・」

どんよりとした下腹部の痛み。
この痛みをわかってくれる人は、今日の任務にはいない。

呪いが集まりやすいところなんて、人の気配が少ないところ、薄気味悪い自然のなか、持ち主のいなくなった建物なんてのが大半で。綺麗なトイレとか、清潔なベットとか。そんなもの、期待するだけ無駄なのはわかっている。すなわち、今日のわたしはこの痛みと闘いながらも呪霊を祓わなきゃいけないわけで。世の中の女性の呪術師たちはすごいなあ。なんて、他人事のように尊敬してしまう。朝一に飲んできた薬もどうやら効果は切れてしまったようだ。早いところ薬を飲んで温かいベッドの中で小さく丸まっていたい。その願いが叶うのはまだ先になりそうだ。低級を三体祓っただけなのに上がる息を整えながら、物陰にしゃがみ痛みに耐える。息が整ったらまた祓わなければ。うう、さっさと終わらせて帰りたいのに。

「わ、・・・名前!?」
「灰原、」

広い墓地から少しだけ外れた木の陰にしゃがんでいたら、びっくりするような方向から灰原が飛び出してきた。確かに、灰原の来た方向からも呪霊の気配がする。だめだ。痛みで感覚が鈍くなっているみたい。

「調子悪いの?」
「その、生理痛がキツくて」
「それはしんどいね。ここは僕たちでなんとかするから、そのまま休んでなよ」
「でも、」
「大丈夫!名前の前に出てきた呪霊だけ祓って。終わったら迎えにくる!」

灰原はまた来た方へ向かって走り出した。灰原の心配そうな表情と優しさだけの心からの気遣いに、余計に自分の情けなさを感じて落ち込む。一方で、灰原の言うとおりもう立ち上がれるような気力も残っていない。お腹を抑えて小さく蹲っていればどれぐらいの時間が経ったのだろう。明るくなる視界に顔を上げれば、するすると帳が上がっていく。どうやら残りの呪霊は二人が祓ってくれたみたいだ。

わたしは、何しにここに来たんだろう。
ぎゅうっと自分の膝を抱えて顔を埋める。情け無くて、申し訳なくて、合わせる顔もないから二人を探して歩き出すこともできない。こういう時、思考はマイナスになりがちなのはわかっていても、やっぱり気持ちは落ち込んでいく。

わたし、呪術師向いてないのかなあ。

そんなことを考えていると、ふと一人分の足音が聞こえた。きっと灰原が迎えに来てくれたんだろう。やっぱり顔を合わせ辛くて、わたしはそのままの格好で思い当たる人物に言葉をかけた。

「灰原、ごめんね。結局わたし、」
「大丈夫ですか?」

足音の主は七海だったらしい。
驚いて半分顔を上げたわたしは、前髪の隙間から恐る恐る七海を盗み見る。彼は真剣な眼差しでわたしの体をくまなく視線で追って、怪我がないかを確かめているみたいだった。あまりにも緊迫した七海の様子に、今から何と言い訳をすれば納得してくれるかを考え始める。

「ごめん、大丈夫」

出来るだけ表情を消して、何事もなかったかのように立ち上がる。いつまでも目を合わせないわたしを七海が隣でじっと見つめている気配がする。

「灰原には理由、言ったんですか?」
「え?」

あまりに突拍子のない質問に思わず言葉が溢れた。七海は相変わらず、真剣な表情でわたしを見下ろしている。

「さっき、私のことを灰原だと勘違いしていましたよね。灰原には理由、言ったんでしょう?」
「・・・その、」

今更、何をどう言い訳しても七海はきっと嘘を見抜いて納得しないだろう。理由はただの生理痛だ、なんて七海に言ったところで、きっとまた溜め息をつかれるだけだし。・・・違う。本当は、そんなことかと正面きって七海にがっかりされるのが怖いだけだ。
ああ、気まずい。七海、めっちゃこっち見てるもん。迎えに来るって言ったのに、灰原どこ行っちゃんだろう。

「灰原には言えて、私には言えないんですか」

拗ねたような、いじけたような、予想外のその声色に驚いて地面から顔を上げれば、そっぽを向いた七海が唇を尖らせている。
・・・なんだそれ。もし、もしもだけど。自分に都合よく捉えるなら、七海が自分にも話して欲しかったと言っているようにも聞こえてしまう。

「ご、ごめんね。七海に言いたくないわけじゃなくて、言いづらかったんだよ」

わたしの言葉の続きを七海は顔を背けたままでじっと待っている。これはもう、多分言うしかないやつだ。腹を括って小さく息を吸う。どきどきと心臓がうるさい。やっぱりわたし、七海に呆れられるのが怖いんだ。

「その、ただの生理痛なの」
「・・・は」

ぽかんとした表情の七海と目が合う。多分、予想外の答えだったのだろう。フリーズした七海がゆっくりと瞬きし、こっちが居た堪れないような気持ちになるくらいに申し訳なさそうな顔をする。

「・・・なんか、すみません」
「あ、いや、わたしもごめん」

こんなに引っ張ったくせに結局ただの生理痛だなんて、そりゃあ七海も驚いただろう。

「でも、何で灰原には?」
「灰原は妹いるから、こういうこと話しやすくって」

この世界は女性が少ないから、こうやって女性特有の事情を察してくれる友人は貴重なのだ。

「理由はわかりました。アナタが私に言いづらかった理由もわかります」
「うん」

だけど、と付け加えた七海の眉間には再び深い皺が寄る。

『少しは私のことも頼ってください』
「・・・へ」
「返事は?」
「は、はい」

慌てて返事をしてしまったけれど、今わたし、さらりと七海にすごいことを言われた気がする。あの七海がわたしに、頼ってくださいって。・・・明日は嵐にでもなるんだろうか。なんて、敢えておどけた考えをしてしまうぐらいには、あまのじゃくのわたしにとって七海の正面きった優しさは照れくさい。

さっきまであんなに気持ちが塞いでいたのが嘘みたいだ。相変わらずお腹は痛いけど、なんだかそんなことどうでもよくなってしまうぐらいには、頭の中で七海の一言が繰り返し繰り返し再生される。

「何ニヤついてるんですか、気持ち悪い」
「なっ」
「さっさと帰りますよ」

ふ、と息を漏らすように笑った七海が歩き出す。
少し先で、まるでわたしたちの様子を見守っていたかのように灰原が姿を現して、おーい、と大きく手を振った。




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