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「最近、帰り道に変な男がいるんですよね」
「変な男?」
「そう。じいっとわたしを見てるんです。それが、昨日はついに追いかけられて」

路地裏を走ってなんとか撒いたのだけれど。
毎日同じところに立って往来の人の波を見つめていた中年の男は、一体何が面白いのかいつの間にかわたしに視点を定めるようになっていた。

「いつだって、恐ろしいのは人間のほうだよねえ」

のんびりとした口調でそう言って、本日はもう店仕舞いの硝子先輩がぐいっと缶ビールを呷る。本当にその通りだ。呪霊は祓えば良くても、人間相手じゃそうもいかないし。

「危ないから誰かそこら辺の男にでも送ってもらったら?」
「やっぱり、そうですよね。五条先輩、今日は早いかなあ・・・」
「それより、そこに適任がいるじゃない?」

すらりと伸びた指でさしたその先には、特徴的な柄のネクタイを緩め本日の業務が終了したことを告げる七海が疲れ切った顔をして立っていた。

「で、七海。どう?」
「私はかまいませんが、」

アナタは?という質問を含めた鋭い目で七海はわたしを見つめる。その瞳に耐え切れず、行き場を無くした視線を硝子先輩に向ければ、にやにやと五条先輩そっくりな意地悪な顔で笑っていた。うわあ。はめたな、この人。七海がそこにいるって気づいてたから言ったんだ。わたしが昔、七海を好きだったことを知ってるから。一つ上の代の先輩たちにはいつまで経っても敵わない。
そろそろと再び七海を見れば、やっぱりまだこちらを見つめわたしの答えを待っている。・・・こんなの、断りづらいじゃないか。だからって、終業後の七海に頼むのも申し訳ないし。だって、こんなのただのサービス残業だ。七海になんのメリットもない。

「いやー、七海に残業頼むわけにはいかないよ。今日はタクシーで帰ろっかな、なんて」

あはは、と乾いた笑いが部屋に響く。隣で硝子先輩がまたぐいっと缶ビールを傾けた。きっとこれは、あーあという言葉を飲み込んでくれた彼女のせめてもの優しさだろう。わかってるよ。ほんと。あーあって思うよ、わたしも。

「五条さんには頼めるのに、私ではダメなんですか?」
「・・・そ、それは」
「はいはい、いちゃつくなら他所でやんな」

出てった出てったと飲みかけのコーヒーカップを下げられ、背中を押されあっという間に部屋を追い出されてしまった。助けを求めて肩越しに硝子先輩を振り返れば、昔から得意のいたずらっ子の顔で、こっそりとわたしだけにわかるように笑う。その視線はさっきとは違い、がんばれという意味を込めたものに見えた。
がちゃりと背後でドアが閉まり、静かな廊下に二人きり。恐ろしいほどの沈黙が息がつまるほどに突き刺さる。

「そんな顔しないでください」
「へ・・・、」
「アナタを困らせたかったわけじゃない。五条さんに頼んでください。今日はもうすぐ戻ってくるはずです」

恐る恐る正面から見上げた七海の瞳は、サングラスが夕陽を反射してしまい上手く見えない。くるりと背を向けて、七海は去って行く。
・・・これでいいんだ。七海だって任務終わりで疲れているはずだし。そもそもお互いに硝子先輩に揶揄われただけの被害者なわけだし。自分を納得させようとするけれど、勘違いじゃなければ最後の七海の表情がどこか寂しそうに見えてしまった。
・・・これで、いいのかな。わたしも七海と友達に戻りたいって思ったのに。これじゃあずっと、いつまでもこの距離のまま。
わたし、ほんとにこれでいいの?

「待って、七海」

立ち止まった七海は、振り返らずに律儀にわたしの言葉の続きを待ってくれている。この人は、結局いつもわたしに優しい。優しいというより甘いと言った方がしっくりくるほどに。いつだって七海は、わたしにやり直すチャンスをくれた。

「違うの」
「・・・・・・」
「送ってもらうのがいやだったわけじゃないの。七海が残業になっちゃうのが、申し訳なくって」

そう言えば、七海がゆっくりと振り返った。眉間にシワを寄せ、明らかに今から怒りますよ、というような顔をしている。やばい。またわたしの発言が彼の何かのスイッチを押してしまったらしい。

「アナタとのこと、仕事だなんて思ったことはありません」

心外だ、というように七海は渋い顔をする。気づけば自然とごめんと口から出ていた。それを聞いた七海は、どこか困ったように少しだけ表情を緩める。

「少しは私のことも頼ってください」

吐き捨てるように言うくせに、その言葉は温かい。大人になったはずのわたしは相変わらず素直になれないままで、また七海を困らせてしまったみたいだ。それなのに、見上げた七海のわたしを見つめる視線があまりに優しいものだから、どんな顔をしたら良いかわからずにあからさまに目を逸らしてしまった。

「ごめんね」
「こういう時は、他に言うことがあるでしょう」
「・・・ありがとう?」
「なぜ疑問系にしたんですか」

まあ、いいでしょう。そう言って小さく笑った七海は、あの頃の面影を確かに残していた。






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