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「本当にお米、炊いてるんですか」

漸く聞き慣れてきたその声に振り返れば、驚いた表情をした七海が立っていた。どうしてここに?と目顔で問えば、どこか決まりが悪そうに、「家入さんから、ここじゃないかと聞いて」とぽつりと溢した。
七海はどうしてわたしを探していたんだろう。探していたわりには何も言わず、わたしと並んで湯気の立つ土鍋を静かに見つめている。

今年から新調した土鍋から、もくもくとお米の甘い匂いの湯気が立つ。高専の給湯室のコンロでお米を炊くやつなんて、今までもこれからもわたし以外いないだろう。本当は寮で炊きたいのだけれど、卒業してからははじめましての後輩たちにどん引きされたものだから、それからは遠慮して、ある年からここを選んだ。わざわざ高専でこんなことするのは、家で炊くのはなんだか違う気がするからで。

最初の年は、美味しいお米を買って、こっそり夜中に寮の炊飯器で炊いた。毎年希少なお米を買い、それでは物足りなくなってきて、ボーナスで炊飯器を買い替えた。そうしてついには土鍋。いつからか彼よりわたしの方がごはんにこだわり始め、最早趣味のようになってしまった。

この匂いにつられて、もしかして。

なんて、こんな大人が、いつまでも考えても仕方のない期待をしている。

「・・・灰原のためですか?」
「うん。お米、好きだったから」

好きな食べ物は米、と答えるようなやつだった。昔から七海はパンが好きで、わたしは麺が好きで、三人での任務のあとは、いつも何を食べて帰るかでくだらない喧嘩をした。道端でジャンケンして、パンになった日はわたしたちが大騒ぎするのだから、七海はため息をついて譲ってくれた。
でも、今日だけは特別。今日は灰原が食べたいものを、一番に選ぶ日だ。

「もうすぐ新米の季節だっていうのに、せめて、そこまで待ってくれたらね」

そんなに急いでいってしまうこと、なかったのにね。
毎年のように、お米屋さんでは「もうすぐ新米がでるけどいいのかい?」と声をかけられ、返す言葉がなく戸惑う。曖昧な顔で笑って、また新米が出たら買いにきますと伝え店を出る。新米も食べさせてあげたいけれど、それじゃあこの日には間に合わないから。

「今年は七海が戻ってきたから、来年あたり、この匂いにつられて、灰原も、」

目を輝かせながらひょっこりそこから顔を覗かせるんじゃないか。なんて、もうその言葉は言えなかった。見上げた七海があまりにも切ない目をしていたから。わたしの声が震えていたから。わたしがずっと抱えていた思いを、わたしなりの弔いの意味を、初めて口に出してしまった。
よりによって、七海の前で。

「ごめん、変なこと言ったね」
「・・・いえ」

鍋つかみで蓋を開ければ、目の前が見えなくなるほどの湯気が立った。ばかみたいな弔いも、続ければお米を炊くのがどんどん上手になっていった。こんなことなら、生きてるうちに食べさせてあげたかったと毎年思う。

「良かった、上手に炊けたみたい」
「本当ですね。これから食べるんですか?」
「灰原の分をよそって、わたしも一緒に食べるよ」
「私も、一緒に食べてもいいですか?」

あの頃、硝子さんに言われた。大切な人の凄惨な死を前にすると、生き残ってしまった方は、亡くなってしまった人に対して生きていることの罪悪感を抱いてしまうと。七海にも、生きていることへの罪悪感がどこかにずっとあるはずだ。わたしのなかでこれは、その気持ちに向き合う儀式でもあった。

こんなに彼のことを思っているのに、一生忘れないと思ったはずなのに、繰り返す日々や時間の流れのなかで、少しずつ、確実に、灰原との思い出が色褪せていく。生きていくということは、そういうことの繰り返しなのかもしれない。

「うん。久しぶりに三人で、一緒に食べよう」

灰原の命日を、初めて七海と過ごした。
あの日と同じぐらいに暑い、夏の日だった。




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