11 「じゃじゃーん!」 ぱかんと大きなケーキボックスを開いた五条先輩が、目隠ししていてもわかるくらいにどや顔をしている。それも納得。箱の中にはきらきらと華やかで、色とりどりの美しいフルーツタルトがいっぱいに並んでいた。 「わあ、きれい」 「でしょう?僕からの出張土産」 僕のは別で包んでもらったから、それはみんなで美味しく食べてね。そう言った五条先輩はあまりにも紳士的で、これは何か裏があるに違いないと確信する。いつもなら甘いお土産は独り占めするような男だ。前にわたしが出張先で買ってきた名物のプリンも、あっという間にこの人に食べられてしまった。 「名前、コーヒー淹れてあげなよ」 「そうですね」 「じゃあ僕もそろそろ戻るよ」 振り返れば、五条先輩はひらひらと手を振ってわたしと同じく応接室に呼び出された伊地知くんと七海に別れを告げていた。わたしと同じタイミングで席を立つとは。なんだかいやな予感。 「この前の飲み会さぁ」 五条先輩がこつこつと足音を鳴らして後ろをついてくる。やっぱりこの人、わたしに何か言いたくてついてきたんだ。 「僕がトイレ行ってる間、少しは七海と話せた?」 ・・・この話かぁ。 高専で事務仕事に当たっていたわたしと伊地知くんは、「至急、応接室に集合」という短いメッセージを五条先輩から受け取った。半分嫌な予感を感じて隣を見れば、伊地知くんも苦虫を噛み潰したような顔をしてスマホを見つめていた。二人並んで廊下を歩き応接室のドアを開ければ、わたしと伊地知くんを見て全てを察したのであろう七海が手のひらで額を覆った。そうして、満を持して満面の笑みの五条先輩が登場したのだった。またこの人の罠に引っかかってしまったらしい。隣の伊地知くんは、絶望という言葉がぴったりの顔をしていた。 「少し、話しましたよ」 「どうだった?」 にやにやしてもいいはずなのに、五条先輩の声色はどこか心配しているように感じる。あの飲み会も、今日のこの集まりも、先輩がわたしたちの関係を心配してくれているという気遣いを感じて、どうにも無碍には出来ない。今回巻き込んでしまった伊地知くんには申し訳ないけれど。 「大したことは話してないんですけど」 もしかしたら、七海はあの頃みたいな友達に戻りたいのかなって、ちょっと思いました。コーヒーカップを見つめ、小さな声で言ってみた。だって、これはわたしの勝手な解釈で、あんまり自信がない。 「・・・友達ぃ?」 うわ、なにその顔。 五条先輩は眉を片方吊り上げて、口元を歪めた。なに、わたし、変なこと言った? 「そうです。だから、また昔みたいな友達に戻れたらいいなって」 「・・・・・・ふうん」 四つのカップにコーヒーを注いでいるわたしを、五条先輩は隣から突き刺さるような視線をもって見つめている。そんな目で見られても、これが今のわたしたちの等身大の距離感なのだから、仕方ない。 どこか責めるような視線に耐えきれず、一つのカップに角砂糖を五つ入れ、くるくるとティースプーンで勢いよくかき混ぜ五条先輩に差し出す。わたしの無言のメッセージを汲み取った先輩は、「仕方ないね、今日は勘弁してやるか」と、わたしの頭をぽんと撫でて去って行った。 トレーにコーヒーを載せて応接室に戻れば、渋い顔をした大人の男が二人、あのきらきらのケーキを囲んでいるのだからちょっと笑えてくる。 「伊地知くん、どれにするか決まった?」 「あ、いや私より先輩方から」 「だってよ、七海」 「いつまでもここにいるわけにもいきませんし。さっさと食べてしまいましょう」 七海は味気なくそう言った。その割に、さっさと決める気はないらしい。きっとそう言いながらも、わたしや伊地知くんが先に選ぶのを待ってくれているのだろう。 「これ、なんだろう」 「マンゴーですかね」 伊地知くんと顔をくっつけケーキボックスの中身を覗く。わたしたちが選んでも、ケーキはまだ数個余る。硝子先輩は甘いものは食べないから、あとで学長にでも持っていこう。 「決まりましたか?」 七海の抑揚のない声にびくりと肩が跳ねた伊地知くんが、慌てた様子で顔を上げた。そうして困ったようにわたしを見てきたので、「いいよ、好きなの選んで」と彼を安心させるよう微笑めば、伊地知くんはおずおずと選んだタルトをお皿に載せた。 さあ、わたしはどれにしよう。 七海は何を食べたいんだろう。この人の好みなんて、さっぱりだ。そもそも甘いものなんて食べるんだろうか。出来るなら、七海が先に選んでくれたらなあ。そんなことを内心願いながら、黙ってケーキボックスを覗いている。 うーん、イチジクのタルトも、桃と紅茶のタルトも、美味しそう。 「決まりましたか?」 「あ、まだ悩んでるから七海先に選んでいいよ」 「・・・何と何で悩んでるんです?」 「えっと、イチジクと桃の」 「半分こしますか」 「え?」 な、七海が、半分こって。 隣の伊地知くんも驚いたように顔を上げた。 あれ、でも、いつだったかおんなじことを思った記憶がある。フォークで器用に横真っ二つにタルトを切っていくその手つきを見つめる。七海の手、大きいなあ。あの頃よりごつごつしていて、すっかり大人の男の人の手だ。ぼんやりと見つめていた視線の先に、にゅっとお皿が現れた。半分に切られたケーキの先端の方が、二つ仲良く並んでいる。 「嫌いでしたよね、こういう生地の部分」 七海は自分のお皿の上に載ったケーキを指差す。七海のお皿の上には、当たり前だけどタルト生地の部分の方が二つ並んでいた。 ああ、そうだった。わたしは昔、ピザの耳とかパンの耳とか、肉まんの外側とか、そういう具のない部分がもそもそするからあんまり好きじゃなかったっけ。そう理由を言った時に、七海からわかってないですねえという顔をされた記憶がある。 「なにか可笑しいですか?」 「ごめん、懐かしいなって思って」 懐かしい思い出に思わず笑みが溢れてしまったようで、七海は怪訝な表情でわたしを向かいから見つめる。こんなこと、なんで覚えているんだろう。繰り返す毎日の中で、わたしの苦手な食べ物の一つなんて、真っ先に記憶から消えたっていいはずなのに。 わたしは、記憶から消せなかった。 任務帰り、一緒に行ったうどん屋さんで苦手な平麺をもそもそと食べていたり、低血圧で朝が弱くて、雨の日は気圧でいつも頭を痛そうにしていたこと。小さなこともひとつひとつ、つい昨日のことのように思い出せる。わたしはずっと、ずっと七海のことを見ていた。 「こんな小さなこと、七海は覚えててくれたんだね」 言葉に出したら鼻の奥がつんとした。七海は何も言わず、ため息のように小さく息を吐いて、困ったような、どこかばつの悪そうな顔をして微笑んだ。 |