10 「ひっっっ」 今日の任務も無事終わり、ごはんとお風呂をちゃっちゃと済ませ、わたしは自室でごろごろと漫画を読んでいた。盛り上がる終盤に差し掛かり、真剣にページをめくる。 ・・・・・・あれ、今、なんか動いた? ふと何かの気配を感じ、恐る恐る視線をベッドの横の壁に向ける。わたしは小さく悲鳴をあげた。ヤツが静かに壁を歩いている。 突然視界に入った黒光りしたヤツから、音を立てない歩き方で静かに距離を取る。すごい、ここで体術の基礎が役に立つなんて。いやいや、こんなアホなこと考えてる場合ではない。アイツらは本気になったらIQが340になるという。わたしなんて、簡単にやられる。立ち竦むわたしなんて気にも留めず、ヤツは何食わぬ顔で優雅に壁を散歩している。くそう、わたしがこんなにさいあくな気持ちになってるというのに。 ・・・は、早く助けを呼ばなくては。 スマホを引っ掴み、そろそろと着の身着のまま部屋を飛び出す。まず硝子先輩の部屋へと向かったが「うっさーい」と、ドアも開けずに門前払いされてしまった。この人絶対めんどくさいと思ってる・・・! 次は灰原だ。虫とか平気で握り潰しそうなあいつなら、絶対になんとかしてくれるはず。慌てて電話を発信するが、何コールしても電話に出そうにない。ああ、早くしないとヤツを見失ってしまう。見失ったらこれからもずっと一緒の部屋で生活することになってしまう。わたしは今、なんなら呪霊退治より真剣に取り組んでいるかもしれない。・・・嘘でしょ、全然電話出ないんだけど。灰原、絶対爆睡してる。 こ、困った・・・。 途方に暮れ、廊下をとぼとぼと当てもなく歩く。だって部屋には帰れない。最悪のパターンだけど、五条先輩は・・・、と思ったけれど、夏油先輩と泊まりで任務だった。そうだった。もう今夜は硝子先輩に土下座して、硝子先輩の部屋の床で寝させてもらうしかない。タバコのカートンくらい、余裕で献上する。 「何してるんです」 「・・・な、ななみい」 うげ、という顔をする七海が、不審そうに距離を置いてわたしの背後に立っていた。遅くまで任務だったであろうその姿はまだ制服で、一刻も早く休みたいと顔に書いてある。そうだ、七海がいた。捨てる神あれば、拾う神あり。もうわたしには七海しかいない。・・・まだ拾ってもらってないけど。 「七海、お願いがあるんだけど」 「・・・嫌な予感がする」 「あのね、お願いっていうのは、」 「ちょっと、まだ話を聞くとは言ってない」 何か言われる前に、ぐいぐいと七海の背中を押す。大きなため息をつく七海が、抵抗をやめ、めんどくさそうに小さく歩みを進めた。しめしめ、ヤツさえ退治してもらえばこっちのもんだ。あとでどれだけ文句を言われても、部屋から追い出して耳栓をして寝てしまおう。 「どこに向かってるんです」 「わたしの部屋」 「は」 「お願い、七海しかいないの」 「・・・・・・」 ていうか、七海って虫とか嫌いそうだけど大丈夫かな。まあ最悪七海をこの部屋に閉じ込めて、わたしは七海の部屋で寝てやろう。 体重をかけ歩く七海を一生懸命に押しながら、ようやくわたしの部屋の前まで来ることができた。よし、あとは頼んだぞ七海。 「入って」 「いや・・・、」 「さあ、この部屋のどこかにヤツがいるの!駆除して!よろしく!」 「そんなことだろうと思いましたよ」 七海を自室に押し込み、急いで扉を閉める。七海が何か言っていたような気がするけど、そんなことはもう関係ない。あ、七海の大きなため息。気にしない気にしない。 しばらくがたがたと音を立てていた部屋から「もういいですよ」と七海の声がする。 ドアに全体重をかけるのをやめ、ゆっくりと開くドアに備える。七海に声をかけようとドアから部屋を覗けば、ぐいっと腕を引き込まれ、部屋には二人っきりになった。 「ほら、ここに」 「ひいいい」 七海はティッシュで掴んだヤツをわたしに見せて、ベランダからぽいっと投げた。うわ・・・、その手で絶対何も触らないでよね・・・。顔に出ていたのか、七海はやれやれという顔をする。そうして、ヤツを掴んでいなかった方の手で、わたしの手首をぐっと掴んで、わたしを体ごと引き寄せた。 『危機感がなさすぎます』 「だって緊急事態だし」 「部屋に男と二人きりで、アナタはそんなに薄着ですし」 「いやでも」 「口答えしない。わかりましたか?」 尖った唇はなかなか元に戻らず、また言い返しそうになるわたしを七海はなぜな真剣な目で見下ろしている。 「この手で触りましょうか?」 「イエ、スミマセンデシタ。ワカリマシタ。ニドトイタシマセン」 「わかったならいいです」 それでは、おやすみなさい。と七海はわたしの頭をぽんと撫でて部屋から出ていった。 あ、お礼言い忘れちゃった。 明日七海に会ったら、一番にありがとうを言わなくちゃ。 ・・・あれ?待って。 七海、どっちの手で頭触った・・・? |