9 「あ、名前。このあと寄ってほしいところがあるんだよね」 「ええ・・・、帰ってドラマ見たいんですけど」 「あ、そこ左ね」 「ねえ聞いてます?」 次、三つ目の信号を右。 五条先輩が勝手にナビをし始めた。普段はかったるいことは全部人任せの人だから、これはいよいよ面倒くさいことになりそうだ。さっさと降ろして、さっさと帰ろう。お金はあるんだから、帰りは勝手にタクシーで帰ってくればいい。 「ちなみに、名前ももちろん参加だよ」 わかってるよね?と当たり前に助手席に座る五条先輩が見えない横目で圧をかけてくる。これは本当に嫌な予感しかしない。もう長い付き合いになるから、経験からわかる。予感とかいうレベルではなく、確信だ。 「いやです」 「冷たいなあ、七海の歓迎会だよ?」 ほら、的中した。 ≫ 「それじゃあ、ちょっと遅くなっちゃったけど。七海おかえりー、かんぱあーい!」 「「・・・・・・」」 「ノリ悪いなー」 かちんと、ジョッキがぶつかる音だけが響く。 高専に戻ってきて口数の少なさに拍車がかかった七海と、あまりの居心地の悪さに置き物のように黙りこくるわたしを置いて、五条先輩は一人で盛り上がり始めた。ねえこれ、普通にわたしいらなくない?呪術師同士、五条先輩と七海だけの方が盛り上がるんじゃなかろうか。・・・いや、七海のこの顔。早く帰りたいとはっきりと書いてある。もうこんなの、五条先輩が一人で飲めばいいじゃん。いらんことばっか巻き込みやがって。ていうか下戸のくせに、なんで飲み屋。帰りに家まで送って欲しくてわたしに付き合わせてるかと思いきや、五条先輩は嫌がるわたしにビールを強引に勧め、自分はコーラを飲んでいる。・・・ますます怪しい。 「硝子も呼んだんだけどさー、仕事が終わらないって言われちゃって、」 「そうですか」 「残念だよねー」 硝子先輩、逃げたな。 七海はサラリーマン勤めを終え、すっかり似合っているスーツのネクタイを緩めビールを飲んでいる。おしゃれなバーにいそうな見た目なのに、今日の七海のくたびれた雰囲気は、この大衆酒場にも意外としっくりきた。外の世界も、きっといろいろと大変だったんだろう。 「七海は会社員やってたんだよね」 「まあ」 「何の会社だっけ」 「証券会社です」 「だって、名前」 お通しの枝豆に夢中になっていたわたしは、急に話を振られたことに驚いて、枝豆を握り潰してしまった。飛び出した豆が、コロコロとテーブルの上を転がっていく。な、なんで、急にわたし。 「それは・・・、大変そうだね」 「いえ、」 「「・・・・・・」」 「ちゃんと親睦を深めなさいよ」 五条先輩がくねくねと体をしならせ、わたしのわき腹を肘でつつく。くそ、絶対面白がってやがる。ろくに口も利かないまま卒業して、数年ぶりに突然対面で座って、急に親睦を深めろと言われても。 それができるのは、お互いにその意思がある人だけだ。 「七海と久しぶりに任務に行けるの、楽しみだなー」 「私は楽しみじゃありません」 「この感じ懐かしいわあ」 たしかに。この感じ、懐かしい。学生時代も途中までは、いつもこんな気の抜けた会話ばかりしていたっけ。誰も食べないエイヒレを黙々と口に運びながら、どこか遠くで二人のやり取りを聞いている。会話に入るわけでもなく手持ち無沙汰になったわたしは、緊張のせいもあって、気づけばいつもより多めにお酒を飲んでいた。わたしも五条先輩のことを言えないくらい、お酒が弱い。 「名前、今日はよく飲むね」 「うるさいです」 「はいはい。・・・それじゃ、名前もこんなんだし、残念だけどそろそろお開きにしますか」 七海が残念と思うわけがないでしょう。きっと、ようやく解放されると思っている。 体がふわふわする。これは久しぶりに、結構酔ったかもしれない。帰り、どうやって帰ろうか。五条先輩、また送ってってくれないかな。 「名前、トイレ行くから待ってろ」 「はーい」 「お前どうせ寝るんだから、先に家のカギあるか探しとけよ。この前みたいなのは御免だ」 「了解しました」 七海、これで先会計しといて。テーブルに諭吉を乱暴に置いて、五条先輩は席を立つ。ラッキー。これはきっと、送っていってくれるに違いない。カギ、ちゃんとあるかな。この前送ってもらったときは、硝子先輩に飲まされ泥酔し、助手席で爆睡。挙句に家のカギをなくして大騒ぎ。結局その日は高専で寝たのだった。カギは翌日、普通にカバンの内ポケットから出てきたもんだから、五条先輩には思い切りぶん殴られた。 「アナタの家、五条さんは知ってるんですか?」 「うん、硝子先輩たちと飲んだ後とか、たまに送ってくれるよ。普通に遊びに来る時もあるし」 「はあ」 あ、また、ため息。 七海はわたしといると、ため息ばっかりだ。今も昔も。 「危機感がなさすぎます」 「え?」 「女性の部屋に、そんなに簡単に男を上げるんじゃない」 そんなこと言われても。 七海は知らないだろうけど、わたしたちは高専での学生生活から今日まで、ほとんど同じ時間を過ごしている。七海が卒業してからは、一緒に地方に任務に行って、泊まりだった日だってある。男の人に警戒してないわけじゃない。だけどわたしたちは、今日までずっと兄妹のように育って、今更こんなことぐらいで関係が変わるわけがない。 七海は何も知らないくせに。 なんて、いじわるな言葉が喉元でつっかえる。 「こんなこと言って、困らせてすみません」 「・・・え」 「勝手なのはわかってます。ただ、アナタたちの関係が羨ましく見えました」 自分から去ったのに、身勝手な発言をしてすみません。七海はテーブルの上からお札を手に取り、レジへと向かう。羨ましい、って、なんだそれ。あの七海にしては、ずいぶんと素直な言葉だ。 それは七海もまた、高専の頃のような友人に戻りたいという意味なのだろうか。 悪くないと思った。今度は好きな人としてではなく、友人として関係を築いても。あの気持ちにしていた重い蓋を外して、一から七海と友人になれたなら。今度こそ、わたしのこの初恋という名の呪いが解けるかもしれない。 |