23

「三井、サインちょうだい!」
「は?」

サイン?そう言って三井は首を傾げる。またなんかはじまんのか、みたいなちょっとめんどくさそうな顔をして。そう、わたしが言うサインとは、多分三井が今想像しているそのサインのことだ。

「うん、ちょっと書いてみて」
「オレサインなんてねえぞ」
「じゃあ考えよう」
「急だな」

三井だから、MITSUI、でしょ。うーん、筆記体って書き慣れないなあ。なんかアイって書きづらいし。なんかこう、しゅーって伸ばせるアルファベットだったら、なんとなくそれっぽくなりそうなのに。ああ、それじゃあヒサシで書いてみたらどうだろう。・・・あ、またアイがつく。三井の名前って、母音が「い」ばっかりだ。ノートの一番後ろのページにあれこれ書いてみるけれど、どれもしっくりこない。わたしの手元を覗いているだけだった三井が、ノってきたのか椅子をわたしの机に寄せ、本気でサインを練習し始めた。なんだ、結局乗り気じゃん。

「なんで急にサインなんか欲しがんだよ」

それは、と思わず口籠る。こんなこと、正直に言っていいものか。三井が最近、密かにモテていることを知っているからだ。ルカワくんの親衛隊の女の子たちとは少し様子が違って、三井のことを好きな女の子はきゃあきゃあ言うんじゃなくて、多分、本気のやつで。
だからといって、それがなんでサインが欲しいのか、という答えにはなっていないけれど。気軽にサインをもらうなら、今しかないと思ったのだ。

「三井がプロになった時のために、サイン一号もらっとこっかなって」
「はあ?」
「そして後々高く売り捌く」
「てめえ」

三井は、きっとプロになるだろう。バスケが強い大学に入って、そこでもたくさん活躍をして、プロチームにスカウトされる。三井はいつも中学時代の自分と比べて、何故か自分を過小評価するけれど、そんなことない。あんなに人を惹きつけるプレーをしているのだから、みんながファンになる。そしてあっという間に人気選手になって、めちゃくちゃ可愛い女子アナとかと結婚するんだろう。絵に描いたようなスポーツマン、って感じ。

「どうした?」
「え、あ、なんでもない」

気づいたら、ペンを握ったままぼうっと考え込んでいたらしい。三井がじいっとわたしの顔を覗き込んでいた。慌ててまたペンを走らせ、ああでもない、こうでもないとあれこれ書いてみる。三井は疑うように、わたしを見つめたままだ。
三井が活躍したら、嬉しいはずなのに。今までだって、そうだったのに。
三井の視線に耐えきれず、話を逸らそうとあれこれ思考を巡らせる。

「あ、ねえ、三井がプロになったら、その時は試合観に行っていい?」
「いーけど」

まあ、まだなれるかもわかんねーし。と三井はようやくわたしから視線を逸らし、また紙にペンを走らせる。なるよ、絶対と心の中で返事をする。どこか確信めいて、わたしにはわかるのだ。

「やった、そしたら応援行くね」
「別にプロになってからじゃなくても来いよ、大学とか」
「やだよ、ファンだと思わるじゃん」
「なんでオレのファンがやなんだよ」

三井は、卒業後も友達でいてくれるのだろうか。
わたしたちは卒業したら、連絡を取り合ったりするのかな。新しい生活が始まって、三井は新しい環境でバスケをはじめて、きっともっと夢中になるだろう。そうして、あっという間にプロの世界に行くのだろう。
今だって、席が隣なだけで、この距離が離れてしまえば、挨拶すらろくにすることもないのかもしれない。この先、どんどん先に進んでいく三井に、わたしは遠慮することなく声をかけられるだろうか。
・・・わからない。なんでこんなに寂しいと思ってしまうんだろう。赤木だって木暮だって、離れ離れになることは同じなのに。今日のわたしは、なにか変だ。どうしてこんなにも心がざわついて、切なくなるのだろう。

「なんか考えてんだろ」
「あ、いや、ほら、どのサインがいっかなって」
「サイン、してやるからなんか出せ」
「・・・え、じゃ、じゃあこれで」

不意をつかれたわたしは、たった今までサインの練習をしていた古典のノートを差し出す。これじゃねえという顔をした三井が、わたしの周りを何かを探すように見て、そうして腕を伸ばす。あ、それ。おそろいの。

「サインなんてわかんねーから、とりあえずこれで」
「フ、フルネーム・・・」
「かっこいいだろ」

三井とお揃いでつけている犬のストラップの背中にデカデカと漢字三文字を書いた三井は、いたずらに笑う。確かに、かっこいいサインよりこういう方が三井っぽい。豪快な文字に思わず吹き出せば、三井も安心したように笑う。

まあ、と言葉を発した三井は、照れたように唇を突き出して明後日の方を向く。

「もしもプロになった時は、最初にお前にサインしてやるよ」
「うん、約束だよ」
「おー」

たった一言で、さっきまであんなにうじうじしていたわたしを、三井はこんなにも嬉しい気持ちにさせてくれる。

「このストラップ、将来いくらで売れるかな」
「おい」



- ナノ -