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ワン!

ちょうどいい感じの枝を探して海岸を夢中で歩き回る大五郎が、突然顔を上げ、小さく吠えた。
その方向を見れば、そこには海風を受け、信じられないほど爽やかにこちらに走ってくる男の姿があった。
あんなにヤンキーだったくせに。前歯は差し歯のくせに。なんやかんや、三井はいつも爽やかだ。結局は顔だろうか。・・・ムカつく。

「おわ、名字かよ」
「かよってなんだよ」

大五郎と並んで立ち止まるわたしを、三井はしばらく目を凝らして見ていた。そうして、近づくにつれわたしと気づいたようにはっとした顔をした。
わたしたちの前で立ち止まった三井はTシャツの袖口で額の汗を拭き、ふうと息を整える。うわあ、いちいち爽やかだ。

「お前んちの犬?」
「そう」

三井はしゃがんで目線を合わせてから、尻尾をぶんぶんと振っている大五郎をわしゃわしゃと力強く撫でた。大五郎のふっさふさの尻尾が、嬉しそうにぶんぶん左右に揺れている。大型犬と三井。・・・なんだろう、また爽やかに拍車がかかってしまった気がする。通りがかる人が微笑ましい顔で三井と大五郎を見つめるくらいには、恐ろしく絵になっているからだ。

「可愛いな、お前。名前は何だ?」
「ダイゴロウでしゅ!」

裏声で答えたら無視された。さいあく。

「大五郎、お前のご主人様はアホで大変だな」
「ワン!」
「ねえわたしより意思疎通するのやめて」

海岸をランニングして、レトリーバーをわしゃわしゃ撫でる爽やかスポーツマン。まるで、少女漫画のヒーローみたい。・・・これが三井じゃなければ。例えば、そう、ルカワくんとか。

「三井、犬好きなの?」
「好きだぜ」
「散歩する?」

リードを渡せば、いいのか?と嬉しそうににいっと歯を見せて笑う。大五郎は三井を見上げ、おんなじように口角を上げて笑っているように見える。こんなこと言ったら三井に何か言われそうだけど、なんか、こいつら似てる気がする。

「・・・三井のこと、好きみたい」
「は?」

今にも走り出しそうな大五郎のリードをしっかりと掴みわたしの隣を歩く三井が、突然フリーズした。どうしたんだろ。ほら、と大五郎を指差せば、その方向を三井は目で追う。

「大五郎、めっちゃ嬉しそうな顔してる」
「・・・犬の話か」
「犬じゃなくて大五郎なんですけど」

なんにもわかっていない大五郎が、名前を呼ばれてなんですか?とでも言いそうな顔でわたしたちを交互に見上げる。
もうすっかり三井のことを気に入ったみたいだ。ヤンキーが動物に好かれるって、ほんとなんだな。

「今日練習は?」
「昼からだから、ちょっと走ってた」

インターハイ、近くなってきたもんね。そう言えば、まあな、なんて適当な返事が返ってくる。軽く答えているけれど、相当練習してるんだろう。いつもは図々しいくせに、努力してる姿はなんでか隠すんだよなあ。・・・でも、もしかしたら三井にとっては、キツい練習だって自主練だって、楽しいことなのかもしれない。

「三井、またバスケできてよかったね」
「うるせーよ」

隣の三井は照れくさそうに、私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。くそう、海風でそれどころじゃないってのに。ぼさぼさになった髪を手櫛で整えると、また強い風が吹いてわたしの髪はあっという間に元通りのぐしゃぐしゃになった。


「あら」


あらあらあらあら。
キキッという自転車のブレーキ音に、髪を整えることに夢中になっていたわたしは顔を上げる。大五郎が今にも飛びかからんばかりに尻尾を振って立ち上がった。

「あ、お母さん」
「!?」

三井が肩を跳ね上げた。ぎくりとした顔でわたしを見つめている。大五郎がお母さんに駆け寄ったせいで、リードを持つ三井は一歩お母さんに近づくこととなった。うける、明らかに気まずそうな顔してる。

「こんにちは。名前がいつもお世話になってます、名前の母です」

お母さんはよそ行きの顔で三井ににっこりと笑いかけた。うわあ、三井がちょっと顔が良いからって。お母さん、面食いだからなあ。

「は、はじめまして。三井です」
「お母さん、こちら同じクラスの三井」
「よろしくね。いやー、それにしてもハンサムねえ」

あんたも隅に置けないわー、とお母さんが大五郎の頭を撫でながらにやにやと口角を上げる。うわあ、これはなんか絶対めんどくさい勘違いをしてる顔だ。

「お母さん、三井は顔だけじゃなくてバスケもめっちゃ上手いんだよ」
「おい!?」
「ふーーーん、へえ、ほお」
「お母さん何その顔」

あ、あれ。わたし、なんか余計なこと言ったかも。お母さんの目はどんどん弓なりになって、三井は急にあたふたし出した。会話の内容がわからない大五郎だけは、なんの話ですか?とでも言いたげに、わたしたちの顔をのんびりと見渡している。

「あ、二人の邪魔しちゃだめね」
「別に良いけど」

そろそろいくわ、とお母さんは自転車に跨る。そうしてまた、よそ行きの顔で三井に視線を向けた。

「三井くん、名前のことよろしくね。今度よかったらうちでごはんでも」
「はい、ぜひ」

何をよろしくするんだ?ていうかこっちがよろしくされる立場なんですけど。三井は普段のふてぶてしい態度を隠し、錆びたロボットのようにギシギシ言いそうな動きで頭をぺこりと下げた。
お母さんは嵐のように去っていった。

「お前、親来るなら言っとけよ」
「知らないよ、偶然なんだから」

三井はふうと息をついて、いつものように悪態づく。ほうら、こっちが三井の本性だ。・・・なんでわたしのお母さんの前でいい子ぶったんだろ。お母さんに普段通りの態度悪い三井を見せてやりたかったのに。

「お母さん、三井のこと彼氏だと思ったんじゃないかな」
「あー、あー・・・かもな」

三井から、歯切れが悪い返事が返ってくる。まあ、人んちの犬の散歩してたらそう見えることもあるか。まいったな、変なタイミングで会っちゃった。

「まあいっか。早く帰って三井が差し歯だって教えてあげないと」
「ふざけんじゃねえ」





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