音也は以前にも増して溜息を吐くようになった。 自分の席で頬杖をつき、深い深い溜息を吐く。その浮かない顔は音也には似合わないものであった。 しかし、音也のその憂鬱な気持ちの原因を知っている真斗と那月は、下手に音也を励ますことも、かと言って莉子に事の詳細を聞くことも出来なかった。 僕の恋が叶うまでの10歩 04 「…最近一十木くん、元気無くて」 「……」 「一十木くんはいつも元気だったから、心配で」 「……」 「あの…何かあったのかな、聖川くんと四ノ宮くんは知ってる?」 今日もまた、音也は自分の席に突っ伏して溜息を吐いていた。 音也の周りには、ずしんとした重たい雰囲気のオーラが漂っており、そのあまりの暗さに、誰も近付こうとはしなかった。 そんな音也を心配したのは、彼のパートナー兼隣の席の少女、そして彼の想い人である莉子であった。 莉子は休み時間に突然2つ後ろの席の真斗と那月のところへ向かい、心配そうな表情を浮かべてぽつりぽつりと話し出した。 真斗と那月はそんな彼女のことを目を丸くして見つめる。返事など、している余裕はなかった。 「…あ…ごめんね、急に相談しちゃって…」 一向に一言も返事をしない真斗と那月に、莉子の不安は一気に掻き立てられる。 急にこんなことを相談してしまって気分を悪くしてしまったのだろうか、それとも、まさかいつも仲がいいと思っていたこの3人が喧嘩でもしてしまったのが原因なのだろうか。そんな信じがたいことまでも想像してしまうくらい、彼女の頭は不安という不確定要素に取り付かれ、思考回路は最早どんどんとマイナスの方向へ向かっていく一方であった。 徐々に下へと下がっていく莉子の視線、そして項垂れるように垂れた頭部を見つめ、真斗は漸くハッと我に返る。那月はそんな真斗と莉子の様子を、にこりと微笑みながら見つめていた。 「ち、違うんだ、星野。俺たちは別にお前から相談を受けたことを悪く思っている訳ではない」 「そうですよぉ。寧ろ嬉しいんですよ、僕たちは。莉子ちゃんが音也くんの心配をしてくれて」 「え?」 那月の言葉の真意に莉子が気付くはずもなく、少女はただただ驚いたような表情で那月と真斗を交互に見つめる。那月は相も変わらずにこにこと機嫌が良さそうに笑みを浮かべているだけだ。 不思議そうに首を傾げた彼女に対し、那月も真斗も核心に付くような返答はせず、「大丈夫」「音也に直接言ってやれ」の一点張りで莉子の背中を押した。少女はスッキリと解決しなかった問題に更に不安と疑問を浮かべながら、隣の席の音也を心配そうに見やって静かに席に付いた。 放課後はそれからすぐにやってきた。 音也はいまいち乗らない気分のまま、レコーデング室に重い足を運ばせていた。 音也がこのような気持ちでその場所に向かうことは非常に珍しかった。彼はいつでも元気いっぱいで、尚且つ大好きな歌を歌うときはより一層元気になる男である。パートナーである莉子にレッスン室を予約され、誘われたのなら、いつもの彼なら飛び跳ねて向かうところだ。 しかし、音也の足は重いどころか、半ば引きずるような形で1歩1歩ゆっくりと進んでいた。 それは、その1歩を踏みしめて感じているだとか、そういうものではない。単に、音也の足が前へ進むことに躊躇していることの表れであった。 「ごめん、遅くなっちゃって」 レコーデング室のドアを開けながら、音也は懸命に作った笑顔を貼り付けた。 しかし、その笑顔はいつもの彼の屈託のない明るい笑顔ではなく、困ったような苦笑いのようになってしまう。そんな音也の笑顔を見て、莉子は表情を曇らせた。 そして音也もまた、そんな彼女の曇った表情を見て、更に上げていた口の端を引き攣らせた。挙句の果てには、その口端は徐々に下へ下がってしまい、アイドルを夢見る人間に似つかない不格好なものになってしまった。 (…あんな顔、俺にはしてくれないんだろうなぁ) 音也の脳裏に浮かぶのは、先日の昼休みに見た彼女の照れたように頬を赤らめる顔だった。 恥ずかしそうに、でも幸せそうな温かい微笑みを浮かべる彼女の顔を、音也は初めて見た。その瞬間、彼は感じたのだ。彼女のあんな顔は俺には向けて貰えないのだ、と。 彼の心に嫉妬心という醜い感情が沸き上がるのに、時間は全く掛からなかった。彼自身、その感情にいち早く気が付き、大きな罪悪感と嫌悪感を抱いたのだから、とても隠し切れるなんてものではないだろう。 音也は、彼女と彼女と仲のいい自分の友人へ向けて造られてしまったものに、酷く落胆し、後ろめたさを実感した。その結果、いつもの元気が根こそぎ持っていかれてしまったのである。 「あ、あの!」 密かに唇を噛み締める彼の耳に入ってきたのは、透き通った高いソプラノであった。 ドアを締めた密室の、2人っきりのレコーディング室に響く彼女の声。音也は、音の根源である彼女にゆっくりと視線を向けた。 音也の視線に気が付いた莉子は、瞬時にパッと目を逸らし、俯いてしまう。だが、少し恥ずかしそうにもじもじとしながら、制服のジャケットの袖を握り締める彼女の頬が微かに赤いのを、音也は見逃さなかった。 「…星野?」 「一十木くんに、聞いて欲しい曲があるの!」 音也の声に重なるように口を開きながら、莉子はレコーディング室の大きなオーディオセットに手を掛けると、そのまま機材を弄って曲を掛け始めた。 スピーカーから流れるしっかりと刻まれたアップテンポのリズム、そこに乗っかる明るくも優しく心地いいBGMに、反対に力強いメロディーライン。それはまるで、キラキラと光る宝石のような、いや、キラキラと輝く太陽のような、そんな曲であった。 音也は自分の身体の中に流れる血がドクリと波打つのを肌で感じた。今までにないくらい高騰する気持ち、上昇する頬の熱、握った手にうっすらとかかれた汗。身体全身で感じる彼女の曲に、彼は心からの喜びを感じた。 「一十木くん、最近ずっと元気なかったから心配で…!だから、元気になって欲しくて…。こんな事くらいしか出来ないんだけど…」 なんだ、この気持ちは。 話を進める度に自信なさげに小さくなってしまう語尾、再び下がっていく彼女の長い睫毛。 ドクンドクンと高鳴る鼓動に、熱くなる身体。久々に感じた甘く切ない気持ちは、直ぐに音也の身体を、脳を、心を支配する。 しかし、音也はこの感覚が決して嫌いではなかった。 「私、一十木くんの笑顔が好きだから!」 いや、音也はこの気持ちが大好きで、とても愛おしいと感じていたのだ。 君の些細な一言にも一喜一憂します (単純だって分かってる、でも、)12/08/10 |