母親が入れてくれた紅茶がすごく美味しかった、気がする。
一般的に紅茶を始め、緑茶類やコーヒーなど、温かい飲み物を他人に振舞う時、美味しく煎れられる人はその両親のどちらかも美味しく煎れられることが出来るという。
私は、紅茶を上手に煎れられることが出来るのだろうか。



たとえばキスをして恋をして 07



それは突然やってきた。
喩えるならば、それは突然吹いた突風のように、いや、そんな静かなものではない。けたたましいクラクションを鳴らしながら遠くから走ってくる自動車、いや、ジェットコースターのように、慌ただしくもの凄い速さでやってきた。無論、突っ込まれて怪我をするなどという事態は起こってはいないが、それと同じくらいの衝撃が脳内を走った。
脳内に走った衝撃に私は目を丸くしてその事態を見つめることしか出来なかった。響き渡る奇声のような叫び声。私の目の前で、一体、何が起こっているのだろうか。



それは30分程前からの一連の流れから始まった出来事であった。
今日もハルちゃんと友ちゃんに誘われて食堂で昼食を取ろうとしていた。そこでばったり会ったのが先日知り合った聖川さんと一十木くん。2人も食堂で昼食を取ろうとしていたらしく、フードコードの列に並んでいるところだった。

「あっ!莉子ちゃんだ!」
「あ、一十木くんに聖川さん、こんにちはー」

私と目が合うと一十木くんは満面の笑みでぶんぶんと手を振ってくれた。
足早に2人に近付きながら挨拶をすると、聖川さんは微笑みながら短く返事を返してくれた。一十木くんとは違うが、聖川さんの笑顔もとても優しくて素敵だ。

「あれ?音也とまさやん、莉子のこと知ってるの?」

トモちゃんが首を傾げながらきょとんとした不思議そうな表情を作る。一十木くんと聖川さんがほぼ同時に肯定をすると、彼女は意味深な笑みを浮かべながら「ふぅん」と頷いた。彼女の綺麗すぎる何かを言いたげなその意味深な笑みに内心冷や汗が垂れる。これは後で色々と聞かれそうだ。特に、先日私のほうから聞いた相手である聖川さんのことは。
そんな私の心配を余所に、一十木くんは「折角だから一緒にご飯食べない?」と笑顔で訪ねてきた。勿論、それを断る理由などなく、私たちは一十木くんたちとご飯を食べることにした。



フードコートで頼んだパスタを食べながらみんなの話を聞いているのはとても面白かった。と言ってもほとんどトモちゃんと一十木くんが話しているのだが。
普段からテンポよく喋るトモちゃんと同じようにぽんぽんと言葉を紡ぐ一十木くん。そのせいかハルちゃんと私と3人でいる時よりも更に早いテンポで話すトモちゃんを見ているのは、テレビでも見ているようで、とても楽しかった。
話を聞いているうちに分かったのは、一十木くんはハルちゃんとレコーディングテストのペアを組んでいると言うこと、4人はAクラスでも特に仲がいいということ、そして一十木くんの話にツッコミを入れるのがトモちゃんであるということだ。しかし、このポジションからして、トモちゃんはこの3人全てのツッコミ役なのであろう。彼女は絶対にバラエティにも向いている、そう確信せざるを得ない状況に自然と笑みが漏れた。

「ねぇねぇ、莉子ちゃんはペアの相手決まったの?」

そんな4人の会話を聞いていると、突然一十木くんが会話のパスを飛ばしてきた。突然のパスで思わず食べていたパスタが飲み込めずにゴホゴホと咽せ込む。ハルちゃんが慌てて水をくれ、それを飲み込んでからパスを受け取った。無理矢理飲み込んだせいか、胸が、少し苦しい。

「いや、それがまだ…」
「じゃあ、レディはオレと組めばいいんじゃないかな」
「じ、神宮寺さん!?」
「……」

上半身を折るように前屈みになりながらいきなり参加してきた艶やかな声に驚いて声が裏返ってしまった。
そう、会話に参加してきたのは先日探していたパスケースを拾って返してくれた神宮寺さんだ。神宮寺さんは驚くこちらの事を特に気にした様子もなく、相も変わらずなペースで「オレとじゃ不満かい?」などと聞きながら首を傾げた。そして、神宮寺さんがそう言った瞬間、視界の端に映った聖川さんの顔色が一気に変わり、眉間の間に深い深い皺が刻まれたのが見えた。

「彼女は素晴らしい才能の持ち主だ。お前などには勿体無い」
「おや?じゃあ誰なら勿体無くないのかな?」
「それは…、…とにかく、お前のようなやる気のない奴に彼女のペアなどを申し込む権利はない」
「今日はいつにも増してご機嫌斜めなようだね、聖川家の坊っちゃんは」

厳しい目付きの聖川さんのぴしゃりと言い放った言葉に神宮寺さんは眉を下げて笑いながら肩を竦めた。その表情は呆れたようにも、おどけたようにも見える何とも微妙なものであった。
それにしても、先程まで優しい表情でメロンパンを食していた聖川さんの豹変ぶりに、私は動揺を隠せなかった。聖川さんと神宮寺さんは仲があまり良くないのだろうか。

「あちゃ-…またやってる」
「また?」
「まさやんと神宮寺さんは犬猿の仲なのよ。やっぱり大きい財閥同士諍いとかがあってなかなか難しいんだろうなぁ…」

トモちゃんが苦笑いしながら私にこっそりと耳打ちしてくれた言葉は、2人のことをまだ良く知らない私には半分くらいしか理解出来なかった。
しかし、事の発端は自分である。どんなに犬猿の仲のような関係であっても、今この状況で彼らに小さな言い争いをさせてしまった原因は、少なからず私の発言にあるのだ。パートナーが決まってない自分に気を使ってくれた2人に敬意を示し、ここは、責任を持って彼らの言い争い、そしてこの場の雰囲気をどうにかしなくてはならない。
それは頭では理解しているが、聖川さんは相変わらず神宮寺さんを睨み上げているし、神宮寺さんは笑いながら聖川さんを見下ろしている。テーブル内は、誰も口を開くこともなく、無言のままであった。一部の女の子がこちらのテーブルの周りにいて、何やら聖川さんと神宮寺さんの言い争いを少し見惚れたような表情で見つめているが、他のほとんどの人々は楽しそうにランチをしていた。それが、また自分の心に焦りを生み出した。
早くなんとかしなくては。背中に変な汗が垂れる。無理矢理作った笑顔は、とてもぎこちのない表情であった、と思う。

「あ、あの…」
「まぁまぁ、マサもレンも落ち着いて!パートナーの相手を決めるのは莉子ちゃんなんだからさ!」
「う、うむ…そうだな」

あぁ、一十木くんはどこまでもヒーローのような人だった。



食べ終わった食器をフードコートの返却口へ返し終わった時だった。それは突然やってきた。
遠くから、何かを叫びながら、こちらへ向かって、走ってくる。その何かとの距離はあっという間に詰まった。

「危ねぇ!!」

その何かが自分に向かって降りかかってくるのと同時に、私は強い力でドンッと押された。後ろにいたトモちゃんが咄嗟に支えてくれなければ、間抜けなまでに尻餅を付くところであった。
そして、そんな私の目に入ってきたのは衝撃でしかなかった。

「超超可愛いですうぅー!」
「ぎゃあああ!いてぇ!いてぇ!落ち着け那月いいい!!」

私の目の前では背の高い男の人が背の低い男の子を思いっきり抱き締めていた。抱き締めるというか、全身を使って握り潰しているようにも見えるくらい、強い力で男の子を抱き締めている。腕の中に収まる小柄な男の子は涙を浮かべながら奇声を上げていた。
一体、自分の目の前で、今、何が起こっているのだろうか。

「那月!翔が死んじゃう!」
「はぁ…こっちもまただよ…」
「え?」

一十木くんが慌てて背の高い男の人の腕の中から小柄な男の子を懸命に解放しようとしている。トモちゃんは苦笑いしながら支えていた私の身体を離した。
また、ということはどういう意味であろうか。またもや意味が理解しきれず、トモちゃんの方を見たが、彼女は眉を下げ笑いながら小さく溜息を吐くだけであった。
私の足元に漸く解放されたのであろう男の子が蹲って盛大に咽せ込んでいる。その姿があまりにも悲惨で、思わず相手に合わせるようにしてしゃがみこみながら声を掛けた。

「あの、大丈夫…?」
「い、いやっ、俺は大丈夫だっ、…はぁっ、お前こそ、大丈夫か?」

息を整えながら顔を上げた男の子はとても可愛らしい顔をしていた。明るい金髪に鮮やかなマリンブルーの大きな瞳が女の子のような可愛さを引き立てる。小柄な体型といい、一瞬女の子かとも疑ったが、声は高めだがしっかりとした男の子の声だったので、男の子であろう。
状況は未だに飲み込めないが、どうやら勢い良く走ってきた背の高い人の攻撃から身を張って守ってくれたようだ。自分が犠牲になりながらも身体を張って相手を守るなんて、見掛けによらずとても男らしい子だ。

「あ、はい。私は大丈夫です」
「ならよかった。突き飛ばしちまってごめんな?」

漸く息が整ったらしい彼は私が大丈夫だということを告げるとニッと白い歯を見せて笑みを作った。
人間というものをいくつかの部類ごとに分けるとするならば、彼の笑顔は一十木くんの笑顔に似ていた。屈託のない、明るい笑顔。しかし、一十木くんとの大きな違いを上げるなら、彼の笑顔にはどこか内面から湧き出る大人っぽさというか、頼れる兄貴肌のようなものが見えたというところだろうか。
見た目から判断すれば、どう見ても彼は可愛い弟のようなキャラクターだと思うのに、先程の行動といい、今の笑顔といい、とても大きなギャップのようなものを感じる。彼は奥の深い男のようだ。
そんな彼と話しているうちにもう片方の、攻撃を仕掛けてきた背の高い彼のほうは、一十木くんを始めとした他の人々にお叱りをうけているようであった。

「春歌の時も言ったけど危ないじゃない!気を付けなさいよ!」
「すみません、彼女も小動物のようでとても可愛かったので…」

小動物。
確かにあの背の高い眼鏡を掛けた人はそう言った。そんなことを言われたのは初めてであるので、どう反応していいか分からず、困ったように笑うことしか出来なかった。春歌の時も、とトモちゃんは言っていたが、ハルちゃんも彼からこのような攻撃を受けたのであろうか。
彼は、すみません、とトモちゃんたちに謝ってはいるが、温厚そうなその表情に悪気は一切感じなかった。

「那月が迷惑かけてごめんな。俺は来栖翔。お前は?」
「星野莉子です」
「星野、これからも那月にはじゅーぶん!気を付けてくれ!俺もいつも那月の監視してらんねーから、俺がいない時は自分の身は自分で、」
「あぁ!翔ちゃん狡いですよぉ!先に自己紹介しちゃうだなんて!」

十分、という言葉に力を入れながら喋っていた来栖くんの言葉は最後まで聞かないうちに横から入ってきた言葉にかき消されてしまった。
そして、言葉を遮って入ってきた男の人は再びこちらへ近付いてくる。金色に輝くふわふわとした癖のある髪の毛が、彼が歩く度にふわりふわりと動き、彼の雰囲気をより一層柔らかくした。眼鏡の奥に輝く綺麗なグリーンの瞳は細められ、ほわっとした笑みが浮かべられる。先程の猛突進で走ってきた印象とはガラリと変わるものであった。

「僕は四ノ宮那月。なっちゃん、と呼んでください、莉子ちゃん」

なっちゃんは、前屈みに軽くしゃがみこんで私の手を下から掬い取るように優しく握った。そしてそのまま私をゆっくりとした動作で立ち上がらせる。その優雅で優しく、紳士的な一連の流れに、私の目は、彼をどこかの童話の王子様のようなものに見えるという錯覚さえも起こさせた。
そして、なっちゃんは私の手を取ったまま、どこかうっとりとしたような表情で口を開いた。それが、王子様の悪気のない悪魔の囁きであるとも知らないのは、私だけであった。



アフタヌーンティーをご一緒に
(そんなお誘いと静止の言葉)
(どちらを選べばいいの?)





「なっ…!やめろ!星野!死ぬぞ!」
「え?」
「何か言いましたか?翔ちゃん」

来栖くんは私に小声で耳打ちをした。
その言葉の意味すらも分からなかった私が地獄を見るのは、彼からアフタヌーンティーとクッキーを頂く約2時間後のこと。


12/05/02





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