昔、人々は言った。博聞強記な僕は秀才だと。 そして、人々は言った。彼は天才だと。僕はそれに奥歯をきつく噛み締めるような思いで頷いた。 ゼロの確率論 08 1番道路は子供の頃から結構遊んでいたから進んでいくは余裕だと思っていた。しかし、実際遊んでいたのはカノコタウンに程近い草むらであり、それは1番道路の半分にも満たしていなかった。 初めて一人で通り抜けたカラクサタウンへの道は想像していたよりも遥かに険しく厳しいものだった。 カラクサタウンへ近付くとさっさと進んで行ったベルが待ち構えていた。聞けばトウヤとどちらのほうが多くのポケモンを掴まえられるか勝負をしているらしい。ベルは女の子なのに案外僕らの中で一番好奇心が強く、行動的であった。 「おぅい!トウヤ!今何匹ー?」 「…博士から貰ったの含めて3匹」 「あー、負けちゃった。私2匹!トウヤはやっぱりすごいね!」 へへっと笑みを零しながら頭にある緑色のベレー帽を被り直してベルは言った。トウヤはそれを興味無さそうに聞き流す。僕は腰に付いた2つのモンスターボールを密かにジャケットの裾で覆い隠した。 「あっ、カラクサタウンでね、アララギ博士が待ってるって。行こ?」 くるりと踵を返してベルがカラクサタウンへ向かって歩き出す。トウヤも黙ってそれに続いた。 彼の茶色の外はねの髪の毛が春風に誘われるようにサラサラと流される。鮮やかな水色の服に包まれた背中は華奢な造りをしていそうであるというのに、とても逞しく見えた。 僕はそれを追う。追う。追う。 それがいつの日か遣り切れない虚脱感を伴うものだと知っていても。 チェレンは頭がいいね。何でも知っているね。勉強熱心だね。記憶力がいいね。学んだことを生かせる子だね。いつも冷静で間違ったことをしないね。 そんなことを子供の頃から言われてきた。幼い頃はそれが素直にとても嬉しかった。しかし、それが苦痛に感じてきたのはいつ頃だったのだろうか、今となっては思い返すことも出来ない。 人は言った、僕は博聞強記、冷静沈着という言葉がピッタリだと。そして、学ぶことが大好きで、頭のいい僕は秀才だと。 幼い頃からずっと一緒だった幼馴染にやっと勝てるものが出来た、そう思って内心喜んだのはつかの間のことだった。僕には喜ぶ時間さえ感じられない、そのくらいの短さで思い知らされるのだ。僕と彼との決定的な格差を、天性の差を。 「トウヤくんは秀才っていうより、天才型だね」 人は言った、彼は生まれ持った才能を授かる子だと。 いくら勉強をしても、努力をしても、敵わない。そんな絶望的な大きな壁を見た気がした。 それからというもの、僕は彼の背中を追うことに必死になった。それでもいつかは彼を追い越したいという願望を胸に、学問を学び、トレーニングをし、実践練習だって毎日欠かさなかった。いつかは越せる、そういう希望と夢を持って日々向上をしていかなければどんどんと広がる差により一層虚しさを覚えることは自分自身よく分かっていたのだ。 だから、今も僕は彼を追う。昔から夢見たいつか、が現実になるように。誰にも負けない強さを持ち、彼を追い越してチャンピオンになるために。 「チェレン」 後ろから声がする。凛とした、真っ直ぐな声の持ち主は振り返らなくても分かった。 「なんだい、トウヤ」 灯りを落として最低限の電気しか付いていない人気のないポケモンセンターのロビーにトウヤの足音がコツンコツンと響く。それは、僕の背後近くまで来てピタリと止まった。 「笑っちゃうだろ」 「…何のこと」 「リカのこと。俺が連れて行くとかいったくせに、拒否されてるなんて」 クスクスクス、とポケモンセンター内に小さな笑い声が反響する。それは、トウヤ一人しか笑っていないというのに他の誰かまで一緒に笑っているかのような、そんな錯覚さえ起こしてしまって一瞬頭にくらりとした緩い眩暈までも発生させた。 昔から負けず嫌いであった彼が、ここ最近の出来事をどう思ったのか、なんて分からなかった。いや、そもそも僕は彼でないのだから、彼の全てを理解することはとても難しいことなのだ。その上、トウヤという人間は人になかなか心の内を見せないので、理解を更に困難にさせた。 なぜ僕に笑ってしまうだろうと問いかけたのか、そしてなぜ今彼が笑っているのか、全く分からなかった。ただ、僕が今理解出来るたった一つのことは、トウヤは心のどこかでとても悲しそうな、寂しそうな感情を持ち合わせているが、笑顔という分厚い仮面で表情を隠しているということだった。まぁ、彼の場合、笑顔というより嘲笑という言葉のほうがしっくりくるのだろうけれど。 「…そんなことないよ。僕だって拒否されたのと同じだ」 「……お前は別に拒否されてないだろ」 背後の笑い声が止み、ひやりとした冷たい感覚が背筋に走る。彼が醸し出す冷たい雰囲気に嫌々誘われるように漸く後ろを振り向けば、眉を寄せ苛立っているようなトウヤと目が合った。 「…でもリカの場合、拒否したんじゃなくて、あれは」 「分かったような様な口聞くなよ」 「トウヤ、冷静になって考えてみなよ。リカは拒否したんじゃない。リカは、」 「黙れ」 ギラリと光らせ敵意を剥き出しにした茶色の瞳をしっかりと見た気がしたのは、彼が今いつもの帽子を被っていないからだろうか。帽子を被る時は邪魔だといって横に避けてしまっている前髪の隙間から睨みつける目は真っ直ぐにこちらを見据えていた。トウヤはどこまでも真っ直ぐな人間だと思う。それは同時に我が強いことも示していた。 僕を強制的に黙らせたトウヤは更に苛立ったように自分の握った拳に力を入れた。ぷるぷると小刻みに拳が震える。それはまるで感情を懸命に抑えている子供のようで、その感情が溢れ出した時、彼は壊れてしまうのではないか、となんとも不気味な考えが頭を過ぎった。 「……リカは、自分で新しい一歩を踏み出したんだよ、トウヤ」 薄暗いポケモンセンターの奥から優しく宥めるような声を発しながら出てきたのはベルだった。少しだけトウヤから距離を置いて話す辺りがなんとも彼女らしい判断だと感じる。案の定、トウヤの強く握られた拳の力がほんの僅かに弱められたようだった。 「だから、お祝いしてあげようよ。ね?」 決して強制的でない言葉を紡いだベルの声色はとても優しく、穏やかだった。しかし、そんなベルの表情が今にも泣きそうに歪みながら笑顔を作っているということを、きっと、背を向けているトウヤは知らない。そして、そんなトウヤの表情も、彼の背中を見ているベルにはきっと、分からないだろう。 どちらの表情も見えてしまっている僕には、今の光景が哀切この上なく見えた。 真向から逆行する天才 (ひどく不器用な天才は)(世界を嘲笑して泣いた) 「…どうしてこうなっちゃったんだろうねぇ…」 再び暗闇に消えて行くトウヤの小さくなった後姿を見てベルはぽつりと呟いた。 僕はただ、天から授かった才能を持つ少年のあまりの不器用さに胸を痛めて曖昧に首を傾げることしか出来なかった。 11/06/08 |