トウヤは昔から頭がよかった。
それは決して毎回毎回テストの点がいいだとか、授業中に当てられてすんなり答えてたとかではない。そういう勉強の類はチェレンのほうが断然得意で断然頭がよかった。
トウヤが勉強が出来ない、とは言っていない。寧ろ彼は勉強も出来る方の人間であった。
でも、私が彼を頭がいいなと心底思うのは、人の心をコントロール出来るところで。
それは一体どういうことかというと、例えば自分より目上で尊敬する人には無邪気な年下を演じたり、自分にとって利益に繋がる人には逆らわなかったり、女の子には大事な壊れ物のように優しく接したり。それは一見当たり前のようなことに見えるのだが、謂わば彼は本当に人の心に漬け込むのが得意だったと言えよう。
そんなことを言ってしまえば聞こえが悪いかもしれない。でもこれは彼の長所なのだ。生きていく上で上手く綱渡り出来るよう、本心ならば誰しもが欲しがっている能力。それを彼は生まれた時から身に付けていた。
だからこそ彼を悪くいう人なんて一人もいなかったし、みんな彼が大好きだった。
かっこよくて優しくて、世渡りが上手な器用なトウヤが大好きだった。


「俺さ、ベタベタくっ付いてくる子が好きなんだよね」
「…いきなり何?」
「素直で可愛い子が好き」
「…ふーん…」

時々疑問に思う。
なぜトウヤは私と一緒にいるんだろう。私の隣を歩くのだろう。私と付き合っているんだろう。
先程トウヤも言った通りの子が好みだとしたら私と付き合うのはあまりに不合理だ。だって私は彼の好みとは真逆の性格をしているのだから。
性格というものは変えたいと思ってもなかなか上手くいくものではなくて。それこそ彼のようにいくつもの顔を持っていて人によってころりと変えられるのならば話は別だけれども、生憎私はそんなに器用な女ではなかった。
これもトウヤのなんらかの計画なんだろう。私という一つの球を上手く転がす計画。真っ白な手球を上手くキューで突き、あらゆるクッションへ当てて攻め方を変えていく。こちらが駄目なら次はこちら。鋭い鋭角なコースから緩い鈍角のコースまで彼にとってはお手の物だ。全て計算した上で、その純粋な白の手球を人の心に次々と当て付けコーナーポケットへ落とす彼はまるで緑色のテーブルの上で球を突いて転がすお洒落な紳士のようだ。
そんな彼に毎回まんまと手の上で転がされているのは私だけど、それでもやっぱり納得がいかないのも事実であった。

「なんか恋人の俺しか知らない一面っぽくてよくない?」
「…いや、だから私そんなキャラじゃないし」
「えー、甘えてきてよー」

にこにこと笑いながら私の腕を軽く引く。これではどう見たって甘えてきているのは彼ではないか。
でも私は知っていた、これも彼の戦略なのだと。トウヤは私が彼に心底甘いということを知り得ていたからの行動だと。
しかし、はぁ、と深い溜息が口から漏れるも、私の口からはまんまと彼の思惑通りの言葉が出てしまっていた。

「じゃあ例えばどんな感じ?」
「トウヤートウヤーってぎゅって抱き付いてきたり」
「……ごめん、ないわ」
「えー、なんだよ、ケチー」

ムスッと頬を膨らませて不快そうな表情を作るトウヤ。「リカーリカー」なんて言って抱き付いてくるのは彼のほうが性に合ってるだろう、なんて思ったが敢えて口には出さなかった。
「んー…」なんて言って己の唇を親指で触れる彼は本当に可愛かった。彼は今私がどんな風に甘えてくるのかということを表面上では懸命に考えている。しかし、その内面では次はどの角度からキューを打ち、手球をボールにぶつけようか悩んでいるということは私には見え見えであった。彼は今、緑色の台の周りをぐるぐると回り、どのコースで球を突くのが一番効率がいいのかということを考えているのだ。唇を親指で触れるという行為は、彼の昔からの癖であった。
このままでは駄目だ、このままでは私はもうすぐ彼に落とされてしまう。また彼に乗せられてしまう。その前に先手を打たなくてはならないのだ、私は。

「…トウヤートウヤーぎゅってしてー」
「……なんで棒読みなの」
「え、ぼ、棒読みなんかじゃないよ」
「…バレバレだから」

やっぱり私は不器用な女であった。先手を打ったつもりその言葉は、いつもよりも低いテンションで明らかに偽りの自分であることは誰が見たってバレバレであるに違いない。あぁ、私はどこまで頭が悪いのだろう。
自己嫌悪と共に零れた深い深い二回目の溜息は冷たい空気に溶け込み消えていって、でもそれとほぼ同時に体は何か温かいものに包まれていた。
それが何か、なんてことはよく分かっていた。程よい温かさ、ふわりと香るいい匂い、それは私をいつも安心させるもので。いつもいつも、私はこの温かさに惑わされて些細なことなどどうでもよいなどと考えてしまうのだった。

「……トウ」
「でもいいや、嬉しかったから」

私が彼の名前を呟く声をかき消して呟かれた彼の声。ふとその先の表情を見れば嬉しそうに僅かに頬を染めてふわりと微笑む彼が見えた。もし、もしこれも彼の策略の内だとしても、私は今本望だろう。勿論、彼のこの表情が本心からくるものだということは、もう長い付き合いで分かっているのだけれど。
その表情は本当に可愛いものだった。当たり前だ、黙っていても整った綺麗な顔をしているのだ、その顔が笑顔になるのなら行く先は可愛いの他に一体どこがあるというのだろう。
そんな彼の表情をちらりと見上げると、瞳を細めでにこりと笑う彼と目が合い、不意に額に口付けられる。軽く音を立てて離れていった形のいい唇の感触は、他の何にも変えられないくらいに心地のいいものだ。
軽く触れて離れてしまうという戦法もまた、彼の戦略だろう。コツンと当たった白い手球に私はコロコロとコーナーポケットに転がされ、それでもあと一歩で届かない、あとちょっとでポケットに落ちることの出来ないもどかしい球になってしまった。
もうこれならいっその事、自ら落ちてしまいたい。でも、どうせ落ちるならば、

「トウヤ、」
「ん?」
「もっと、して?」



まさに計画通り
(落ちるなら一緒に落ちて)
(天才計画犯さん)





「……あ、ははっ」
「…何?」
「いや、リカは本当に俺を転がすのが上手いなって」

コツンと再び黄色い球に当たった白い手球は吸い寄せられるように転がり、そして黄色と一緒にコーナーポケットへと音を立てて落ちて行った。
緑のテーブルを驚いたよう目を大きく開いて見つめた紳士は暫し困惑の意を知らしめるかのように固まった後、眉を下げ困ったように、でも楽しそうに笑いながらゲームを終わらせるためにキューをテーブルに転がす。
重なった唇はいつもよりも熱かった、気がした。


11/04/26




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