去年の今日は「好きだよ」だった。
一昨年の今日は「付き合っちゃう?」だった。
その前の年の今日は「結婚の約束しちゃおっか」だった。
どれもこれも、私の好きな人が言ったセリフ。
私の、大好きな、彼が。
エイプリルフールの今日は様々な嘘が飛び交う。
「カノコタウンがカノコシティになるんだって!」「こっちに色違いのマメパトがいるよ!」「あ!ビクティニだ!」
子供がいう嘘はみんな可愛げがあった。バレバレの嘘を早口で捲くし立て、泳いでしまう目を必死に一点に集中させながら平然とした装いをする。本当に子供の吐く嘘は可愛かった。
だから、私もベルに嘘を吐いてみた。子供の言う小さく可愛げのある悪戯、それをすれば自分も少しは可愛くなるかも知れない、そんな気がしたのかもしれない。
そんなことをしても、決して可愛くなるはずなんてないって分かっているのに。
小さい頃からとても素直で純粋なベルはまんまと私の嘘に騙されてくれた。私の嘘に慌てふためき、困ったような泣きそうな表情で真意を確かめてきたベルに「本当だよ」と言ってやれば、彼女は一目散にその場からいなくなった。きっと、チェレンに一大事だ、などと伝えに行ったのだろう。
チェレンはきっと、私の嘘には騙されてくれない。チェレンは昔から頭の切れる賢い少年だった。と、同時にリアリストな彼のことだから、私の言ったことの矛盾点にすぐ気がついてしまうだろう。利口そうな顔は伊達じゃない。
「誰が引っ越すって?リカ」
ふと後ろからチェレンの呆れたような声が聞こえた。ほら、やっぱり彼は騙されなかった。彼を騙すことは多分、イッシュ地方の伝説のポケモンを卵から孵ったばかりのポケモンで戦わせて勝利するくらい難しいのだろう。
「…私が」
「何の準備もせずに引っ越すのか、君の家は」
「…あー…んー…」
「とりあえず、」
「ベルに謝りな、でしょ?」
私がチェレンより先に言ってしまうと彼は一瞬少し驚いたような顔をしたけれど、いつものように指先でクイッと眼鏡を持ち上げながら頷いた。
チェレンの後ろにいるベル。その顔は不安でいっぱいな怯える子供の顔に似ていた。眉を下げ、綺麗な緑色の双方の瞳をぐらぐらと揺らしながら私を見る彼女を前にして、自分は本当にひどいことをしてしまったのだなと後悔した。
「ベル、さっきのね、」
「嘘、だったの…?」
「うん…ごめん」
ベルの真っ直ぐな瞳に耐え切れなくなって頭を下げて謝った。ベルからの返事は返ってこない。とうとう怒らせてしまったのかと恐る恐る顔を上げれば、そこにはぽろぽろと涙を零す彼女がいた。
「よかった、本当によかったぁ」なんて言いながら零れる涙を懸命に拭うベル。泣きながら笑顔を作るなんて、彼女はどれだけ器用なのだろう。
いや、そうではない。彼女が器用なのはもっともだが、それ以上に私が不器用すぎるのだ。不器用、それでいて、素直でなく純粋でもない。私はベルとは真逆の人間だった。
やっぱりいつでも可愛いのはベルで。そんなベルが昔から大好きだけれど、時々ひどく虚無感に襲われる。なんで私はベルのように可愛くなれないのだろう。
今日会ったのはベルとチェレンだけだ。カノコタウンがいくら小さい町だからって幼馴染に毎日会うなんて限らない。実際、ベルやチェレンとも会わない日だって何回もあった。
でも、今日は絶対会える気がしてた。彼が毎年のように私の心に鈍く突き刺さるような嘘を吐きに来ると思ってた。そして今年も思うのだ、トウヤなんて嫌いと。
嫌いだ嫌いだ、私の心を毎回平気な顔で揺さぶって、それなのに私の心を熱くするトウヤなんて嫌いだ。今日はそう自分に言い聞かすのに一番最適な日だった。
しかし、そんな彼は今日に限っていない。毎年毎年膨らんでいく想いを抱え、今年は例年にも増してはち切れそうだというのに。
早くきて、早く私に残酷な嘘を吐いて、嘘だよと笑って。
自分の膝を抱え込んでぎゅっと身を縮めた瞬間、私のライブキャスターがけたたましい音を立てて鳴り始めた。
ライブキャスターの画面を見ればそこには私の想い人の名前が刻まれていた。いつもならドキンドキンとなる胸の音は、これから突き刺される覚悟をして縮こまるかのように驚くほど静かだった。
通話ボタンを押せば我慢いっぱいに広がる彼の姿。明るい月の光のおかげで屋外にいるのは分かったが、月の光があまりに明るすぎるせいでトウヤの顔はよく見えなかった。
「もしもし」
「ベルのこと泣かせたんだって?」
「……うん」
「リカは昔から嘘を吐くのが上手いようで凄く下手だよね」
「…それ、どういう意味?」
「そのまんまの意味」
そう言ってトウヤの口角が少し上がったのが分かった。彼の顔が見えずらいのは、月の光によって作られてしまった帽子の影のせいのようだ。
トウヤが口を開く。きっと次に言われるのは、私の心に鈍くも鋭利に突き刺さる刃物のような嘘。
けれども私にとっては何よりも効く恋の連鎖の処方箋だった。
「リカ、好きだよ」
ぐさり、というよりぐちゅりと生々しい音を立てて心に突き刺さった言葉の刃物は私の恋を強く切り刻む。
はず、だった。
「……なんで、もっと早く言ってくれなかったの」
ライブキャスターの画面の端に表示されているデジタル時計はもう0時を回っていた。彼があんな前置きをしなければこの言葉を0時より前に聞けたのに。嘘を吐いてもいい日からタイムオーバーしてしまった嘘は、儚くも私の心を甘く包み込んだ。
なんで、どうして。これでは嫌いになれない。0時を1分でも過ぎてしまった嘘は、ただの嘘で。だから分かっているのに嫌でも期待してしまう自分がいるのだ。
彼にとっては少しの遅れなど全く気にならないだろう。毎年の如く私に吐いて来た嘘。それを今年もやったのだから。
でも、それでも、
「…遅いよ…トウヤのバカ」
ときめいてしまった自分の悔しさや、何とも言えぬ寂しさを覚えて無意識にぽろぽろと零れ落ちる涙。
大きく鼻を啜る音までさせて泣く私は、やっぱりベルより何十倍も可愛くない女だった。
顔は俯かせてあるけれど、トウヤのライブキャスターには私のこの情けない姿が映ってしまっているのだろう。恥ずかしい。それでも零れ落ちる涙は止まらなかった。
「うん、ちょっと遅かったね」
クスクスクス。そんな楽しそうな笑い声が聞こえる。それにカッとなって唇を噛み締めながら顔を上げライブキャスターを見れば、顎を少し上に持ち上げながらニヤリと笑みを浮かべる彼と目があった。
「だって、わざとだもん」
超加速ラリアット
(彼の投げた縄に捕まった私は)
(もう逃げられない)ドキンドキン。さっきまで鳴らなかった心臓が再び大きく跳ねだす。
「ねぇ、早く外に出てきてよ。返事、聞かせて?」
その言葉が終わるのとほぼ同時に玄関に向かって駆け出す私。
嫌いだなんて言って逃げるはずなんて、もうないのだけれど。
11/03/31