美しい名前 . 焦る気持ちを抑え、学園へ駆ける。自分を庇って太刀で斬りつけられた留三郎が、闘いの最中に倒れてから半刻。任務完遂の報告は他の友人が請け負ってくれたので、文次郎は真っ直ぐに通い慣れた扉を目指す。 がらりと音を立て目的の場所へ乗り込むと、部屋の中央に座っていた医務室の主がおもむろに振り返った。 「文次郎」 伊作の前に横たわる人物は、自分が開けた襖から差し込む月明かりではっきりと確認できた。伊達に毎日のように睨みあい、拳を交わしていない。今朝も任務前だというのに口喧嘩したばかりである。つい先程までは、背中を預け合い共闘だってしていた。留三郎のことなど、気配どころか息遣い1つでわかる。 例え相手が身体中に包帯を巻かれ、ほとんど顔が隠れていたところで文次郎には見間違えようもなかった。 泣きたい時ほど涙は出なくて 唇噛んでる真っ白い夜 体中に管をたくさん付けて そうかちょっと疲れて眠ってるんだね 青白い光を辿るように、男へと近づく。伊作は一瞬牽制しようとしたが、既に文次郎の瞳がこちらを映していないことを認め、すっとその場を譲った。だが文次郎はそこに座らず、枕元に立つとただ男を見下ろしていた。 後方で伊作が、至極事務的な所見を諭していることがかろうじてわかるが、どうにも脳が情報を処理しようとしない。 「おまえを庇って、賊から受けた太刀傷自体は深くはなかったんだ」 「だから暫くの間は普通に動けもしたのだろう」 「ただあの太刀には毒が塗ってあった」 「動きまわった為に傷口から毒がまわり」 「おまえが自分を責めることはないんだよ」 「…最期に聞き取れたのは、おまえの名前だったよ」 茫然と立ち尽くす文次郎に、伊作が何か声をかけ、部屋から退出するのがわかった。背後から感じていた視線が消え、部屋にふたり取り残される。 「留三郎」 擦れそうな声で名前を呼べば、ふいにゾッとするほど虚しく響いた。 あぁ 時計の針を戻す魔法があれば あぁ この無力な両手を切り落とすのに がくりと膝を折り、留三郎の枕元に座り込む。覗きこむように顔を合わせるも、男の瞼は頑なに閉ざされている。 そのまま胸板に頬を押しつけ、僅かな心音を求めて必死に耳を欹てる。布団の隅から覗いていた指先を握りしめると、何だかまたこの手が握り返してくれるのではないかと妙な期待がわけもなく心を締め付けた。男の身体は、まだ温かい。 「留三郎、起きろよ」 「なぁ、留三郎」 「留三郎」 月は傾き、東の空から白い光が闇を払っていく。学園の鐘の音がひとつ鳴ったが、二人の男は僅かな身動き1つ許さない。 世界は二人のために回り続けているよ 離れてしまわぬように 呼吸もできないくらいに 何度だって呼ぶよ 君のその名前を だから目を覚ましておくれよ 今頃気付いたんだ 君のその名前がとても美しいということ . 戻る TOP |