体育祭
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(文次郎視点)







大川学園に編入して早々、文次郎は委員会の仕事に追われていた。

そもそも転校したての自分が、すぐに委員会の委員長に任命されること自体例外であると思うが、あのカリスマ生徒会長の一存であれば逆らう輩などいないようだ。実際のところ、その仕事も全てが手慣れたものであり、困ることはなかった。元忍術学園の生徒でほぼ構成されるこの学園は、とても居心地が良く平和そのものである。



作業の手を止め、既に慣れ親しんだ会計委員会の持ち教室から外を見やる。窓の外では長次と仙蔵が後輩を引き連れ、なにやら忙しそうに動き回っていた。

この慌ただしさは、6月末に行なわれる1年の始めの大行事である体育祭が近づいているためだ。小中高一貫校である大川学園では、学校行事の多くを中学生と高校生が合同で行なうため、準備が大がかりになる。また特別参加として初等部の上級生も加わるので、この時期は様々な年齢の生徒が入り混じって作業を行なっていた。

大川学園が生徒を募集しだしたのはつい数年前のことで、高校3年生にあたる学年がこの学園には存在しない。よって、必然的に最上級生となるのが文次郎らの学年であった。










現在、会計室に他の委員会メンバーはいない。文次郎以外の会計委員は小・中等部に属するため、授業の関係上来られない後輩らの代わりにひとりで作業しているところだった。

書類の上に現代でも愛用している算盤を文鎮代わりに乗せ、風で資料が飛ばないようにと閉め切っていた窓を開ける。途端に入ってきた爽やかな風が、煮詰まった気持ちを少し軽くさせた。廊下から聞こえるトントンカンカンという規則的な音が、耳触り良く教室内に響く。

この教室を出て少し先の階段のところで、食満留三郎が階段の修繕作業を行なっているらしい。彼の親しげな笑顔を思い出し、自分の休憩がてら差し入れでも持っていってやろうかと思いつく。



文次郎はすぐさま行動に移し、静かに教室を出て階段とは反対側にある自動販売機で適当な飲みものを買うと、そのまま会計室を通り越して音のする方に向かった。

留三郎は作業に夢中で、背後に立っても文次郎に気付く気配はない。もしも忍術学園時代であれば、相手が誰であれ隙を見せるなと怒鳴っていたところかもしれない。


「おい、食満」

名前を呼ぶと、おもむろに彼が振り向いた。文次郎の姿を認め、一瞬驚いたように目を見開き、すぐさまその表情を柔らかいものに変える。この留三郎の笑顔を見ると、いつも心が落ち着かなくなるのを感じた。

「どうかしたか?…潮江」

「差し入れ、いるか?」

手元のスポーツドリンクを掲げてみせると、彼は嬉しそうに礼を述べた。犬猿の仲である相手の素直な態度に、恥ずかしさに似た感覚を覚え、投げるようにペットボトルを渡す。

そそくさと退散しようとする文次郎だったが、持っていた道具を投げ出した留三郎に脚を掴まれた。思わず前のめりに転びそうになり、無理矢理その手を振り払うよう脚を振る。


「何すんだよ!」

「おまえも休憩するんだろ?一緒に飲もうぜ」

「俺はもう作業に戻る!」

「なんだよ、ちょっとくらいいいだろ?せっかく差し入れ持ってきてくれたんだし」

鋭い目で訴える留三郎に、「何がしたいんだ…」とぼそりと呟き、結局隣に座る。彼は漸く満足したようで、自分が渡したスポーツドリンクを飲み始めた。

「おまえはコーヒーか」

「俺は眠気覚ましでもあるからな」

こちらをじっと見つめてくる留三郎に、文次郎は訝しげな表情で見つめ返す。

「なんだ…おまえもコーヒーの方が良かったのか?」

「い、いや。違ぇけど!差し入れ、ありがとな!」

急に慌てだした相手に構わず、コーヒーを啜る。こいつの隣にいるのはどこかこそばゆい。再び横目で隣を見ると、留三郎は特に気にした体でもなく、前を向いて嬉しそうにペットボトルを揺らしていた。


文次郎は必要があれば雄弁に喋るが、日常生活ではそこまでお喋りではない。どちらかというと話し上手なのは、他の友人たちのほうである。留三郎が話し出さないと、すぐに二人の間には沈黙が訪れる。



階段にいても、外で作業している生徒たちの揉めるようなやりとりやはしゃぐ声がよく聞こえた。

疾うに梅雨入りした6月半ば。久々に晴れた今日は多くの生徒が外で作業を行なっているようで、反対に校舎内は静まり返っている。休憩するには固く冷たい階段に、背が伸びてすっかりたくましくなった少年二人が並んで座っている様は、傍からみると些かおかしな光景かもしれない。


その余りにも平穏な空間に、文次郎は不意に強烈な既視感を覚える。コーヒーを飲んだ直後だというのに、頭がぐらりと鈍く重く感じる。一度目を瞑ってしまえば、ここが室町なのか現代なのかの区別はないものに思われた。


相手と触るか触れないかのこの距離がもどかしく、そして心地よい。相手の体温が伝わってくる距離を喧嘩以外で実感できることは滅多にない…貴重な時間に違いなかった。






留三郎に…おまえを忘れるわけがなかろうと言えば、彼はどういう反応をするのだろうか。


嘘をついていたのかと詰られるのか。前世は前世だと割り切られるのだろうか。また…甘い言葉を交わし合う関係になろうと囁かれるのだろうか。――実際は、あの頃も恋仲であったとはいえ、甘い雰囲気になることは余りなく喧嘩ばかりしていたが。

相手の気持ちを試すような真似をすることは、文次郎の好むところではない。けれど、考えずにはいられないこともまた事実である。随分女々しくなったものだと、思わず自嘲の笑みがこぼれる。


文次郎は前世の記憶の中に現れる愛しい男に対し、今生で出会えたときのためひとつの決意を固めていた。初めて生徒会室で留三郎と会ったとき、その決意を忘れ、再会の感動を共有したいと胸が苦しかったが。

今もこうして留三郎といると、その決意が揺らぐ。少なくとも、留三郎は自分の記憶が戻ることを望んでおり、それはまた自分に好意があるという事実からくることであろう。鈍感だと言われる文次郎ではあるが、向けられる笑顔や言葉が例え喧嘩のときであっても憎しみによる類のものでないことは自覚している。


(でも、俺は言うわけにはいかんのだ)







ぼんやりと考えに沈んでいたら、気付けば留三郎が無遠慮に頬を突いていた。気持ちの悪い行為に、不快感を露わにして手を振り払う。

「なにしてんだよ!」

「おまえは目を開けたまま寝れんのか?」

そんなわけあるかと怒鳴り散らすと、一向に反応しないおまえが悪いんだろとしれっとした調子で返された。

「また徹夜でもしてんのかよ?」

「そこまでしてねぇ…ちょっと考え事をしていただけだ」

「そこまでってことは徹夜はしてんのかよ。なんだ…悩みでもあるのか?」

どんな相手に対しても体調の悪い人間には面倒見の良さを発揮するところは、消せないは組の性質なのだろうか。



心配そうな様子で問う留三郎に、大したことではないのだといって聞かせ、立ち上がる。コーヒーはとっくに空になっていた。

「もう充分に休憩したことだし、俺は仕事に戻る」

不服だと言わんばかりに口をとがらせる用具委員長だが、彼も仕事が詰まっているのだろう。「頑張れよ」というと、ご丁寧に手をひらひらと振って見送るポーズをとった。

「おまえもな」

手を振り返すことはせず、階段を後にする。文次郎が会計室内に戻ったのを見計らったように、また釘を打ちつける甲高い音が響き始めた。





まだ頭の中で巡る追憶を振り切るように、文次郎は算盤に手を伸ばす。廊下から聞こえるリズム良い音に、指先から作りだされるパチンパチンという小さな音が重なった。





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