夏休み 4 . (文次郎視点) 無事に勉強会が終わり気が抜けていたのだろうか。それとも、祭りの熱気に浮かれていたのか。 文次郎は自分の失態に狼狽しながらも、留三郎から逃げることに集中した。人の波を縫うように神社を通り抜け、自宅へと全力で走る。しかし、体育祭でリレー代表に選ばれただけあって留三郎の脚力も並みではない。少しでも力を緩めればすぐに追いつかれかねなかった。 「おい、文次郎っ!潮江文次郎っ!待てっつてんだろうが!」 近所の人々はみな祭りに出掛けているからだろう。閑散とした住宅街で、夜間だというのに留三郎が怒鳴っているのが背後から聞こえる。だが、文次郎は脚を止めるわけにはいかなかった。 距離が保てている間に留三郎の家へ向かい、自分の自転車を取り戻せばよかったと後悔するがもう遅い。とにかく今は留三郎から逃れることだけを考えひた走るも、体力等身体能力に大差ない相手を巻くことはできなかった。 自転車で10分程かかる距離にある自宅が目と鼻の先にあるところで、文次郎は留三郎に肩を掴まれた。仕方なく立ち止まり、まずは互いに全力疾走した後の荒げた呼吸を落ち着かせるのに必死になる。 先に口を開いたのは留三郎であった。 「…文次郎。おまえ、本当は俺のこと思い出してたんだよな?」 その言葉を否定する言い訳など思いつくはずもなく、文次郎は黙りこむ。隙をついてまだ逃げようと考えているのに気付いているのか、留三郎は文次郎の肩を引っ張り、無理矢理に自分と向き合わせた。 「逃げたってことはそうなんだろ?…いつからだ。いつから思い出していた?」 問い詰める必死なまなざしに、目を逸らすことも叶わない。じっと数秒見つめあった後、文次郎が落ち着いた声色で「全て説明する」と応じた。 勉強会は教わる側である文次郎が留三郎の家を訪れていたので、彼を自宅にあげるのは初めてである。同じく独り暮らしである文次郎は、腕を放そうとしない留三郎をどうにか説得して室内に招き入れた。 リビングに辿り着いても、留三郎は目の前に机と椅子があるというのに座ろうともせず、文次郎の腕を握りしめたままだ。結局、場所を移動しただけで、状況は何も変わっていない。 詰問される覚悟決めて、顔を上げる。すると反対に留三郎は俯き、ぽたぽたと涙を落とし泣いていた。ぎょっとする間もなく、覆いかぶさるように彼が抱きついてくる。 「と、留三郎…?」 「…いつから。いつから思い出してたんだ…?」 肩口で震える声が囁いた。責められると考えていた文次郎は予想外の展開にうろたえながら、せめての誠意と正直に告げる決意を固める。記憶を偽ったことは自分なりに考えた結果ではあったが、留三郎に嘘をついていたことに変わりはない。 「最初から…だ。思い出すもなにも、おまえを忘れたことなんてない」 「俺、は……卒業してから二度と文次郎に逢えなかったから。おまえにとって俺は、離れると同時に忘れられる程度の存在かと思っていた」 「そんなこと…あるわけないだろう。ちゃんと誓っただろうが。別れても、それは忍びとして生きるためだからであって――…」 そうだな、文次郎が約束を破るわけがないよなと、ただ抱きしめてくる留三郎の背に、恐る恐る手を添え、そっと服を握り引き寄せる。その行動で、こちらの想いなど相手に全て伝わったに違いない。彼は何も言わずに、抱きよせる力を一層強めることで応えた。 本来であれば文次郎が転校してきたその日にするべきだった再会の瞬間を、ただ身体を寄せ合い分かち合う。 「…何で忘れたふりをしてたんだよ」 まだ名残惜しそうにしながらも身体を離した留三郎は、当然の疑問を口にした。本来であれば文次郎を詰ってもいいところだが、彼は憤りより、今はただ忘れられていなかった事実が嬉しいらしい。 そんな留三郎を相手に、文次郎も素直に話さざるを得なかった。 過去の記憶と自分の決意をゆっくり説明していく。留三郎はうんともすんとも言わずに、目の前でただ自分の眼を凝視していた。 話し終えると、彼は漸く口を開いた。 「つまり今生では、今度は好いた奴とずっと穏やかに暮らしたいという俺の夢を守ろうと考えたわけだな?」 了承の意を込め、小さく頷く。 「そしてその夢を守るために、自分は邪魔だと考えたわけだ」 相手を想い秘めてきた決意が露見し、本人に確認されるのはさすがに決まり悪く、文次郎は不機嫌な調子でそうだと呟く。 すると留三郎は泣きそうな顔をしたまま、突然ククッと笑いだした。文次郎が茫然とその様子を見守っていると、再び彼に抱き寄せられる。 「俺たちって何だかんだ、似たもの同士でもあるよな」 「?」 「あの頃、俺も同じ気持ちでおまえを手放したんだ。おまえの夢を邪魔するくらいなら。ひとりでも、忍者という同じ道を進んだ方がいいと思った。そして今回は、文次郎が俺のためを思って俺を突き放そうとしたわけだろう?だが、おまえは1つ重要な思い違いをしている」 笑われたのが気に食わず、むすっとしながら続きの言葉を待っていると、留三郎は不意に真剣な面持ちでこちらを見た。その表情につられて、こちらも真面目な態度になる。至近距離でかちりと目が合った後、留三郎はわざとらしく耳元に口を寄せ、宣言した。 「俺が好きになる相手は、おまえ以外ありえねぇんだよ」 ――何百年来に聞く恋人の甘い囁きに、文次郎は突如恥ずかしさのあまり居心地の悪さを覚えた。 逃げようとするも、先を読まれて留三郎の腕の中に再び拘束される。抱き締められているために見えるのは彼の首筋だけだが、相手が意地の悪い顔で笑っているのが容易に想像できた。 「なぁ、今度は俺の夢をかなえると決めたんだろ?」 「…そう、だ」 「あの頃よりは世間体的に悪いかもしれないが…男同士なんて、おまえが嫌じゃなければ別に俺にとってはたいした障害じゃねぇし」 「…そうかよ」 「何より、おまえと競ったり喧嘩してる方が楽しいからな」 「…馬鹿たれ」 「お互い様だろ」 「……俺の方がおまえの百倍そう思ってる」 「そうだったのか?」 「…そうだよ」 「なぁ、おまえから言えよ」 にっと笑って、留三郎が身体を離す。文次郎は心底嫌そうな顔で相手を見つめた後、観念したように自ら彼の肩に額を押し付けた。 「俺と一緒にいろよ、留三郎」 「おう」 . 戻る TOP |