夏休み 2
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(留三郎視点)






相変わらず綺麗な字を書くなと彼の手元に見とれていると、1分も経たぬ間に容赦ない鉄拳が頭に降りてきた。文次郎の書く文字は丁寧で、昔から非常に読みやすい。

「おまえも手を動かせ」

「いちいち叩くな、この野郎」

「目ぇ覚ましてやったんだろうが」



仙蔵から半ば強引に文次郎の課題の手伝いを押し付けられ、今は何回目かになる勉強会の最中であった。始めは文次郎に勉強を教える役割に意気込んで構えていたものだが、賢い彼は留三郎からテキストとノートを奪い取ると黙々と自分で課題に取りかかり始めた。ときどき質問されるが、教えられるより自分が他の課題を教わる回数の方が多い。



冷房をガンガンに効かせていたら文次郎に怒られたので、今は地球に優しい設定温度で代わりに扇風機がまわされている。ひとたび集中し始めると彼は言葉を一切発さないため、ぶーんという規則的な音だけが部屋を占領している。

それでもどんなに部屋の温度を下げたところで、文次郎と自宅に二人きりという環境を意識する度、身体にかっと熱が宿るのは避けられない。好いた相手を目の前にした思春期の男なんてこんなものだと、自分を納得させるのに必死である。


斜め前に座りノートを睨む男を、頬杖をつきながらぼんやり観察する。俯いているために分けられた前髪が影を作り、目元の隈が一層不健康そうに見えた。鍛錬の時間は、今度は勉強に当てられているらしい。現代になっても文次郎のアイデンティティの隈が消えることはなかった。その隈をなぞりたい衝動に駆られながら穴があくほど見つめていると、再びバカタレと頭を小突かれる。動いた拍子に、シャツの隙間から覗く鎖骨の溝にどきりとした。

「あー…、何か飲むか?」

「…おう」


勉強しろと何度怒られても集中できる気のしない留三郎は、アイスコーヒーをつくるために立ちあがった。台所に移動しながらも、視線はつい文次郎の方へ向いてしまう。


普通に考えたら、こんなにおいしい機会はないのだと思う。

学校では文次郎と二人でいる時間など喧嘩のとき以外にあるはずもない。けれど、衝動的にキスをして避けられてからというもの、二の舞を演ずるまいと留三郎は慎重になっていた。記憶のない文次郎にとって、自分は数ヶ月前に初めて会った友人のひとりにすぎない。ましてや同性の喧嘩相手からの告白など、受け入れられるとは到底思えなかった。振られるのが怖いのかといわれれば、答えは肯定だ。何百年越しの想いが拒絶されるのは、留三郎としてもまだ受け入れられそうにない。それに下手をすれば、あの頃とは異なり現代では友人という繋がりですら容易に壊れてしまう。



文次郎のコップにだけガムシロップを加えて、リビングに戻る。あのときから嗜好が変わっていなければ、彼は意外と甘党なはずだ。確認したいところであるが、二人で記憶云々の話をするのは初めて会ったときから未だに躊躇われる。

机の邪魔にならないところに飲みものをおくと、文次郎はゆっくりと顔をあげた。微かに笑って礼を述べられる。以前と比べ穏やかな関係が築けていることは、現在喜べる唯一のことかもしれない。


「課題は進みそうか?」

「ああ。教科書とノートさえあれば問題ない。それよりおまえもちゃんと勉強しろよ」

してるってとふてくされた表情を作るも、嘘つけと一蹴された。文次郎が美味しそうにアイスコーヒーを飲み干すのを確認し、留三郎は安心して自分のものに手を伸ばす。どうやら甘めに作って間違いなかったらしい。


と、不意に文次郎が真面目な声で問うた。

「毎日のように押し掛けて悪いな」

「あ?何がだ?」

「いや…正直、教科書やノートを借りてひとりでやればいいと思ったんだが…」

どうやら文次郎は、自分が留三郎の夏休みを邪魔していると気にしているらしい。同じような台詞を既に初回の勉強会で聞いている留三郎は、「俺がいいって言ってるんだから気にすんなよ」とその言葉を遮る。

「でも…夏休みに毎日のように、俺なんかに会っていても楽しくないだろ?」

「一人じゃどうせ勉強しないし、こっちも助かってるよ」

こちらの想いが伝えられないのはもどかしいものだと、多少苛立ちをこめてそう返すと、僅かに文次郎が委縮したのがわかる。

「何だよ、おまえはそんなに俺と勉強するのが嫌なのか?」

「そうではないが…その、小平太が、俺が部屋にいたら留三郎はこの夏、女を部屋に連れ込めないなといっていて…」

そこまで言うと、文次郎はらしくもなく怖気づいたように顔を伏せた。

「そんなことするのは小平太だけだろ。第一、俺は恋人なんていねえし」

明らかに怒りを込めてそう言うと、文次郎は何故か不安げな表情でこちらを見ていた。おまえが好きな俺にそんなことを言うのはやめろと言いたいのを堪えて、これだけはと宣言する。


「俺はずっと好いている奴がいる。そいつ以外、興味ねぇから」


留三郎の宣言に、文次郎がゆっくりと目を見開いた。歪な瞳がぐるりと揺れる。

そして冷静な声で「そうか、悪かったな」と一言呟いた。





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