梅雨 3
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(文次郎視点)



会計室に倒れるように逃げ込んだ後、文次郎はどうにか席に辿り着き、ぼんやりと座っていた。途中やりかけの帳簿の山が崩れ机に散らばったが、目の前にいるはずの彼の瞳がそれを映すことはなかった。

どのくらいぼんやりとしていたのか。早く帰宅しなければと頭の隅では考えているのだが、身体が重たく動くのも億劫である。電気もついていない教室は僅かに窓から西日が差しこみ、薄暗くなっていた。



ふと見上げた天井がよく思い出す記憶の中の風景と酷似していて、それに気付いたとき、思わず息を呑んだ。





いつのことだったか。会計の仕事を終え自室へ向かうと、自分以外の6年生がい組の私室で酒盛りをしていたときがあった。酒呑みといえば馬鹿ばかりやっていた一同であったが、卒業も間近に迫ったその日はいつになく真面目に今後のことを話し合っていたらしい。

常と違うその雰囲気に、私室であるにも関わらず割り込むことに気おくれした文次郎は、入口の前の廊下に座り込んで中の話に耳を欹てた。真冬の廊下はかなり肌寒かったが、日頃鍛錬で鍛えている文次郎にとってそれは大した問題ではない。


「伊作はどうするんだっけか?」

軽い調子で尋ねる留三郎の声が聞こえる。

「一応忍者として仕事をしたいと考えているけど…新野先生から保健医としての仕事もいただいていて悩んでいるところ」

「おまえはタソガレドキの曲者からも声がかかっているんだろう?」

まあね、と言葉を濁す伊作が苦笑する様は、見えずとも目に浮かぶようだ。


「私たちが何になるかなんて、わかりきっているのだからつまらないだろう…!それより、どうありたいかを語らないか?」

そう提案したのは小平太だった。

「それは…夢ということか?」

ぼそりと長次が小平太の言葉を補う。

「ああ!どうせ私たちは忍者になるんだ。具体的な自分の行き先を教えられるわけではないし、今度見えるときは敵かもしれないだろう。そのことを話したって、嫌だしつまらん。それより、次はどうしたいかを語った方が有意義だろう?」

率直な発言に、また残酷なことを言う奴だと文次郎は扉の向こうで密かにため息をついた。この時代、本当の願いなど口に出すのすら憚られることが多いというのに。


その想いを仙蔵が代弁するかと思いきや、また意外なことに彼も小平太の話にのってきた。

「次とはなんだ?来世とでも言いたいのか?」

「忍者になった後の話でも、もしもの話でもどっちでも構わないさ!仙蔵、おまえだって忍者になりたいのだけが夢ってわけでもないのだろう?」

ふむと仙蔵は首を傾げると、そうだなと彼の言葉に同意を示した。

「作法委員としての活動ができなくなることはつまらんな。喜八郎を置いていくことも心配だ。我々が卒業して、今の5年が調子にのるというのもいけ好かないな」

「つまりもっと学園にいたかったってこと?」

伊作の言葉に、仙蔵はどうやら薄笑いを浮かべたらしい。6年間一緒だった友人の思わぬ本音に、こちらも感傷的にならざるを得ない。

「小平太はどうなんだ?」

「私か?私も仙蔵と同じだな!もっとバレーをしたかった。体育の面々は私が散々鍛えたのだから心配はないが、思うままに生きてほしいとは思うけどな!」

「…今日の小平太はえらく賢いというか、真面目だな」

「私だって、これでもいろいろ考えているんだぞ」

小平太は気を悪くした体でもなく、豪快に笑っている。

「留三郎は?」

恋仲の男が呼ばれ、不覚にも緊張を覚える。留三郎はどうやら困ったようすで、言葉を選んでいるようだ。

「文次郎とは共に行かないのか?」

「…小平太は忍者でなかったらといったが、あいつの夢は忍者になること、だろ?その邪魔をしたくはねぇ」

「で、おまえ自身の本音は?」

「共にいれなくても…忍者であれば、あいつと同じ道にいけるってことだ。なら、俺も忍者であることが全てでいい」

「はっ。健気すぎて笑えるな」

先程、素直に気持ちを吐露した友人は、途端にいつも通りの毒舌ぶりを披露した。何とでも言えと言い返すも覇気のない留三郎に、文次郎は長い付き合いだからこそ、その言葉が本心でないことに気付く。

「で、本音を言ったらどうだ?この場には文次郎もいないことだし、気咎めする必要もない。言ってしまった方が楽になるぞ」

それに気付いたのは友人も同じだったようで、彼に本音を話せと嗾ける。留三郎はかなり躊躇ったが、他4人の視線からは逃れられず、仕方なしに話し始めた。


「…おまえらと一緒だよ。忍者になりたくないとは言わないが、何の障害もなく、好いた奴とずっと穏やかに暮らすってのも悪くねぇなとは思う」



初めて聞く恋人の本音を、文次郎はその場で忘れることなく心に刻み込んだ。一通り全員が本音を話しきったからなのか、酒盛りの会話は次第に普段の馬鹿げた様子を取り戻していく。


電灯などなかったあの時代では、夕方から酒盛りが始まることもざらである。あのとき潮江文次郎が見ていた夕焼けの光の加減と、西日でオレンジ色に染まる薄暗い教室の天井がぐらりと重なった。





留三郎は、文次郎の夢を守るために別れを選んだ。忍術学園に通っている以上、前提として忍者になるという夢があることに間違いはない。けれど、それでも三禁を捨ててまで恋仲となることを選んだのに、同じ道を歩いて行くと疑うことなく信じて、恋人の本音を聞きもしなかったことにあのとき文次郎は余程堪えたらしい。



現代でおぼろげながら前の記憶を取り戻したとき、文次郎は初めに、今度は自分が留三郎の夢を叶える番だと心に決めた。けれど現代では、同性愛は偏見の対象である。留三郎のいう何の障害もなく、好いた奴とずっと穏やかな生活を送ることは、どうやら自分では叶えてやれそうにない。


ならば、そもそも現代で恋仲として出会わなければ、留三郎なら自分に構うことなく自然と可愛い恋人ができ、望んだ幸せな生活が待っているに違いない。不器用な男が考えて考え抜いた結果辿り着いた結論は、留三郎にもし出会えても素知らぬふりをすることだった。

共有する記憶がなければ、留三郎も室町時代の自分との関係など絵空事として忘れるだろう。あくまであの頃はあの頃、だ。ただでさえこの記憶も記憶にすぎず、斯様な事実が実在したものなのかも怪しい。もしも再び見えることがあるなら、せめて好敵手として友情でも築ければ願ったりかなったりである。





夕暮れの鬱憤とした空を眺めては、暫し文次郎はあのときの苦い感情を思い出し、静かに決意を固めていた。幸いにも、文次郎は誰ひとり当時の旧友に出会わなかった。数ヶ月前にこの大川学園に転入するまでは。


何かを間違えている気がしてならない。

留三郎が親しげに話しかけてくる度にそんな思いも胸をよぎったが、先程のやりとりではっきりした。相手は突然、記憶の中の恋仲の男が現れて戸惑っているだけだ。やはり留三郎には恋人を作って、幸せになってもらわなければならない。









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