梅雨 2
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(文次郎視点)






体育祭以降、文次郎は留三郎を避けていた。

避けることは難しいことではなかった。どこかで留三郎の行動を把握していた自分に吐き気に似た感覚を覚える。


始めはともかく、暫くすれば留三郎がこちらの様子を窺っているのはわかったが、授業中は仙蔵か誰かと一緒にいれば彼も無理矢理には近寄ってはこなかった。








本日会計室にいるのは文次郎ひとりである。決算の時期が近づいているが、同時に期末試験も近い。委員会が原因で赤点を取らせられるわけもなく、下級生には極力帰宅させ勉強をさせていた。文明の利器が発達した現在では、以前のように計算で徹夜しなければならないようなこともなく(それでも文次郎は未だ算盤を愛用しているが)作業の進度に支障はないことも大きな理由だ。

ひとりだからといって仕事を怠ける文次郎ではない。けれど、今日は作業する手が進んでいなかった。ぼんやり外を見やると、梅雨だというのに気持ちがよい程に晴れ晴れとした青空が広がっている。7月に入ったばかりの室内は少し蒸し暑いほどだが、窓を開けることもなく、ただ頬杖をついて彼は外を眺めるだけである。視線こそ窓の外へ向いているが、その颯爽とした青空は文次郎の目に映ってはいない。




無心になろうとすればするほどに、カンカンと金属のぶつかるリズム良い音が耳に入ってくる。


この会計室の先の階段あたりで、留三郎が作業しているのだろう。用具委員会の中でここまで手際よく道具を扱えるのは最上級生である彼だけだと、考えずにも察しが付く。

先日まで心地良く感じたそのリズムの良い金属音が、今は集中力を根こそぎ奪っていく。けれどそれでも煩わしさより、更に深く耳を澄ませていたくなるのだから手に負えない。自分が留三郎を避けているのにこれではたまったものではない。

このまま逃げ切れられるとは文次郎とて思っていなかった。留三郎とてこのような関係になりたくて、あのとき口づけたわけではないだろう。そして…留三郎がどのようにあの出来事を自分に説明するのか。それを悲しいことに期待しているのが事実だった。



ふと音が止んだ。作業が終わったのだろうか。廊下がしんと静まりかえったのを認め、文次郎はおもむろに立ちあがる。相手がいなくなったことを確かめないと、これでは集中できそうにない。

飲みものを買うついでだと自分に言い訳をしながら会計室の扉を開くと、階段をばたばたと駆けあがる音が近づく。しまったというには遅く、文次郎はわかりきった相手を確かめるためにゆっくり廊下を振り返った。

「よ、よう…」

「…何か用か」

へらりと笑う留三郎に、努めて冷静に問う。彼はこちらの素っ気ない反応にむっとしたようだが、すぐ気を取り直し再び笑顔を作った。

「いや、そこで作業してたら音が聞こえたからよ」

「…なんだ、あの階段はまた壊れたのか?それはご苦労だったな」

何ごともなかったように振舞う留三郎にこちらも自然に返事をすると、彼はねぎらいの言葉を素直に受け止めたようだ。心なしか嬉しそうに細められた目に不覚にもどきりとする。

「おまえもずっと計算してたんだろ?」

「まぁな。大事な決算前だから仕事が溜まってんだよ」

お疲れ様と笑いかけられ、文次郎は決まり悪そうに応と返事をした。話題を失った2人の間に不自然な沈黙が訪れる。


自分から何も言い出せない文次郎がそそくさと会計室に戻ろうとすると、腕を掴まれ引きとめられた。その熱い手にびくりと震える。瞬時にあのとき自分の髪を撫でた彼の手つきが思い出され、文次郎は動きを止めた。僅かに動揺した身体の強張りはきっと相手に気付かれている。

「このあいだのことだけどさ…」

もうこの間というには時間が経ち過ぎていたが、留三郎の言いたいことはすぐに理解した。これだけ気まずい関係になったきっかけ以外に、他の話題など考えられない。

留三郎が言葉を探し、ひゅうと息を呑むのを間近に聞き、文次郎は期待と緊張を巡らせて次の言葉を待つ。

「悪かっ…た。勝手なことを言うが…あれは忘れてくれて構わないから…避けないでくれないか…?」


一瞬ぎゅっと強く握られたかと思えば、手はあっという間に離された。文次郎はぼんやりその台詞を反芻する。こいつは何と言った?口付けたことを…忘れろといったのか。


「…他に、いうことはないのか?」

「…文次郎?」

期待は脆くも崩れ落ちた。もし、留三郎があの口づけが本意だと言うのであれば、自分は全て話すことも考えていたのに。勝手に裏切られたような気持ちになり、どす黒い感情が胸の中に蟠る。

とても留三郎の顔を見る気にはなれず、振り向かぬまま漸く声を出す。



「話はこれで終わりか?俺はまだ仕事が残っている」

「あ、ああ。呼びとめて悪かった。委員会…頑張れよ」


そう言ったものの動かない留三郎の気配を感じながら、文次郎は倒れ込むように会計室に滑り込んだ。





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