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大衆居酒屋で飲むことは俺ら兄弟にとっては日時茶飯事で、行きつけのひとつだった。珍しくおそ松兄さんが夕方嬉しそうな顔で帰ってきたと思うと、大量の万札をちらつかせた。それに色めき立つ俺ら兄弟と満悦なおそ松兄さん。トド松に至っては、以前のパチンコ祝儀隠蔽法違反で捕まったことを引きずっているのか目ざとく突っ込む。


「おそ松兄さん、どんな悪いことして来たの?」


腹黒い笑みを浮かべて言うトド松に、おそ松兄さんは「バッカ!トド松!!」と窘めた。おそ松兄さんはトド松と違ってこういうところ隠し事が出来ない人だった。


「いやぁ、今日さァ競馬行ったんだけどぉ………勝っちゃった。三連単」


ハートが飛びそうな甘さを含んだニュアンスでおそ松兄さんは言った。途端兄弟らは、嘘っ??!!と絶叫した。あのおそ松兄さんが、三連単だと…?!兄弟の心はまさに一つだった。


「ほんとほんとマジだって!やっぱ今日ついてるわー」


万札を扇状にし、パタパタと煽るおそ松兄さんほど面倒臭いものはない。俺は早々にふて寝を決め込んだ。後ろでは、お恵みくださいとばかりに兄弟達が長男に媚びへつらっていた。


「だから今晩飲みにいこうぜー。奢りで!しかも女の子付き」


金を手にしたおそ松兄さんは羽振りがいい。奢り、それも女の子がいるってことに兄弟のボルテージは上がった。


「フッ…その女子ってヤツは、どこのカラ松ガールなんだ?おそ松」
「え?カラ松ガールじゃないよ?昨日話した名前ちゃん」


あの子何松ガールなんだろうねぇ、とおそ松兄さんはイヤらしく笑った。一松も強制参加だからな、その言葉を背中で受けた。


面倒臭い、面倒臭いことこの上ない。しかもよく知らない女と飲むなんて、嗚呼面倒臭い。しかし奢りという言葉には抗えず長男不在の兄弟達の後ろを歩いた。19時に駅前のコンビニで待ち合わせてるから合流したらそっち向かうわ、と言い残したおそ松兄さんの言葉通り先に居酒屋に向かった。いつもの赤提灯が灯っている所を見ると今日も変わらず営業しているようで、チョロ松兄さんが開けたガラス扉の後に続いた。8人は座れるんじゃないかと思われる大きめの卓に案内される。


「とりあえずさ、おそ松兄さんが来るまでに料理ぐらい頼んどこうよ。みんな何食べたい??おそ松兄さん主催なんだし、焼きそばとチャーハンは必須だよな」


こういう時、チョロ松兄さんは率先して仕切るが意外とありがたい存在だった。俺なんかは右に倣えだから。
唐揚げ、手羽先、浅漬け、たこわさ、チーズなど各々の好きなものやら定番の物を注文していく。とりあえず俺は手羽先があればそれでいい。あんまりアルコールに強くないし。


「で一松兄さん、名前ちゃんってどんな子なの??」
「知らない」
「えーなんでぇ、教えてよー!」


一松兄さんのケチ!なんて言って末弟のトド松は膨れた。だけど知らないものはどうしようもないのだ。
おそ松兄さんはあの土曜の夜、麻雀を始めようとしていた最中帰って来て言った。俺と間違えられて女性に声を掛けられたって。なにかの間違いだと思ったし、何それ猫の恩返し的なヤツ?とも冷めた思考が脳内を支配した。でも、話を聞いているとどうやらそれはあながち間違いでも無いらしく、先週の水曜日の夕方に猫缶をくれた女性であることが判明した。そういえば、そんなこともあった…そんなレベルの話だった。辺りも薄暗くなっていたし、何より路地裏の街頭の光ぐらいであまり鮮明には覚えていない。だからどんな子なのかと聞かれても答えようがないのだ。
その後、頼んだ料理がぼちぼちと卓に並び始めた時、店のガラス扉がガラッと開いて赤いパーカーが見えた。女性の姿は見えない。


「おそ松兄さん!」
「悪ぃ、もう始まってる?」
「いや?始まってない、けど頼んだモンちょこちょこつまんでる」
「お、チョロ松!ちゃんと焼きそばとチャーハンあるじゃん!分かってるねぇ」


現れたおそ松兄さんは嬉しそうに笑って、店の扉の方を振り返って手招きした。なんだ、居るんじゃん。
おずおずと恥ずかしそうに呼ばれて来たその女性は「こんばんは初めまして苗字名前です」と名乗った。


「とりあえず名前ちゃんここな!」


そうおそ松兄さんは言い、俺の右隣を指示した。なんで俺の隣に座らせるんだよ!と内心抗議したが、おそ松兄さんはそれに気づく様子もなく彼女の右隣に座った。
それぞれが席に着いたと同時におそ松兄さんは生ビールを中ジョッキで7つ頼んだ。おいおい、女性がいきなりビールなんて飲むのかよ。だいたいは普段トド松が頼むような可愛らしい系じゃないのかよ、と思ったが意に反して彼女は何でもいけると言った。
そしてそれぞれの自己紹介が始まる。おそ松兄さんのバカみたいなやつから、クソ松の痛いやつ、チョロ松兄さんのクソ真面目なやつ。そうこうしてると自分の番が来て、 おそ松兄さんが次はお前だぞ一松!と言った。何を言えばいいかなんて分からなかったし、いつものダウナーよろしくな態度でやり過ごした。


「………松野一松。よろしく。あ、でも一回会ってるのか…」
「あ、あの時はいきなりすみませんでした。驚かれましたよね?」
「…こっちこそ。その、ありがと…猫缶」


猫缶のことも一応礼を言っておく。猫に代わって。彼女の瞳に斜に構えた自分の姿が映って恥ずかしい。すぐに十四松が紹介し始めて助かった。十四松のから元気なやつと、トド松のあざとい紹介が終わったと同時ぐらいのタイミングで中ジョッキが運ばれて来た。


「あ、そうそうお前らに言わなきゃなんないことがあるんだわ」


各々にジョッキが渡ったのを見計らい、おそ松兄さんが立ち上がった。音頭をとるのだとそれをそれを見上げる。


「………なんと。…お兄ちゃん、今日競馬で三連単大当たりしちゃいましましたー!!!奢ってやるから皆じゃんじゃん飲めよー!っつーことで、俺ら兄弟と名前ちゃんの出会いにカンパーイ!」


その掛け声に再び色めき立つ兄弟。俺も現金だな、なんて思いながらそれぞれのジョッキをかち合わせた。彼女のジョッキには控えめに。
おそ松兄さんに競馬の話をする奴らが多い中、彼女は兄弟のノリや話に戸惑っている様子だったので自分でも珍しく、彼女に声をかけた。競馬の三連単の仕組みを教えると納得いったようで、おそ松くんってすごいんだね!と屈託の無い笑顔を見せた。話しかけたのはこれっきりで後は他の兄弟と喋ったり、ビールを空けてからはお冷片手にひたすら手羽先を貪っていた。彼女も徐々にこの空間に慣れてきたようで、兄弟の名前を覚えられるようになっていた。
数時間経つとほとんどの兄弟が出来上がっていて、シコ松に至っては酔っ払ってクダを巻いていた。俺自身も我関せず、で傍観していたが突然現実に引き戻される。


「一松くん、手羽先好き?」


だんまりだった俺に気を使ってなのか彼女は話しかけてきた。内心ドキリとする。少し酔っていたのもある。猫が好きだと、質問と別の答えを吐き出したが彼女は笑った。


「んん?あ、そうだね、猫好きだよね」


嫌な顔せずに笑う彼女に少し興味がわいた。そういえば、と思い出した事を口にする。もう一度言う。確かに酔っていたのだ。アルコールに、この空間に。


「名前ってさぁ、ひょっとして猫飼ってない?」


言った後でしまったと、全身の血の気が引いたような気がした。兄弟がそう呼んでいたから…は言い訳だ。名前を呼んだことに、やってしまったと取り繕うとするも彼女は気にする素振りもなく俺の質問に答えた。


「飼ってるよ?スコティッシュホールドっていう種類なんだけど一松くん知ってる?」


その言葉に先程の後悔は一瞬で消え失せ思わず、スコ?!と声に出た。マジか、スコティッシュホールド飼ってるのか!耳折れ?スコ座り?!途端、思考回路は猫でいっぱいになった。チョロ松兄さんが猫の種類を叫ぶまでは。確か、アイドルのライブで叫ぶ掛け声がソレだったように思える。


「ダメだ、チョロ松相当酔ってるなァ」


おそ松兄さんが呟いた。兄弟達もそれに同意し、帰り支度を始める。彼女ともうちょっと猫の話がしたかったのは本音。
おそ松兄さんが会計してる内に、店の外で他の兄弟と一緒に固まって待つ。ぐでんぐでんに酔ったシコ松はクソ松におぶられている。そもそもすぐ吐くし止めとけばいいのに、この人はいつもそうだ。
そうこうしてる内に会計を済ませたおそ松兄さんに、あざーっすと礼を言い誰からと言うまでもなく帰路に歩を進める。どうやら彼女も方向は同じようで、おそ松兄さんと話ながら後ろを付いてきていた。
しばらくしたらおそ松兄さんが「名前ちゃん向こうだっけ?」と口にした。俺達はこの交差点で右に曲がるが、彼女はまだ直進のようだ。そういえば、あの日会った路地裏はもう少し先だった。立ち止まって、彼女を見れば恭しく頭を下げた。また会えるかな?なんて淡い期待を募らせていると不意におそ松兄さんに呼ばれた。


「一松、送ってやりな」
「なんで僕が」
「酔った女の子1人で帰せないじゃん。それに名前ちゃんとは猫仲間なんだろ?」


時々、この何でもお見通しだと言わんばかりのおそ松兄さんに嫌気が差す。だが、それにぐうの音も出ない。出そうにない。何も返さず、背を向けて歩き始めると彼女が小走りで駆け寄ってくる足音が聞こえた。