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もう社会人になって早うん年。この生活も板に付いてきた。東京のごみごみした人の多さにも慣れてきたように思える。新入社員として入った最初の頃は、仕事でも私生活でも覚えることが多くて失敗することもあり挫折しそうになった事もあった。それが今はそんな新入社員を指導する側にもなり、自分でも成長したなぁと感じることもしばしば。仕事もやりがいがあるし、充実していた。
初めての一人暮らしも、上京したての寂しさがあって毎日のように母に電話連絡することがあったが、それもいつしか回数が減りメールでのやり取りが主になっていた。帰ってきても誰もいない、暗い部屋を憂鬱に思うことも最初はあったが今は愛猫のおかげでそう思うことは少ない。愛猫の愛猫の名前は今や私の心の支えであり、生活に色を添えてくれている。独身女性が猫を飼うと婚期を逃すなんて聞いたことがあるが、今はこの子がいて良かったとも思っているし、生き甲斐でもある。 この子がいるから仕事も早く終わらせて帰らないと、と頑張れる。
月曜日から金曜日まで頑張って、二日間休む。それが私のライフサイクルになっていた。

その日はちょうど週の真ん中で、所謂ノー残業デーで定時で上がれた。久しぶりにぶらりと赤塚の街を歩きながら、コンビニに寄り今晩の晩酌とそのつまみになるもの、そして奮発してちょっと高めの猫缶を買った。コンビニは割高だって分かっているけれど、早めの帰宅に少し浮かれていたのかもしれない。
鼻歌交じりに、夕方の街並みを横目に帰路を急いだ。マジックアワーの時間は、世界が一番美しく見えるっていうのは本当だなぁなんて感傷に浸ったりして。
家までもう目と鼻の先、大通りから一本入った道を急ぐ。そんな時だった不審な音に足を止めてしまったのだ。路地の奥からガサガサという音。てっきり猫かな?この辺り猫多いしなぁ、なんて思いながらその路地を見つめていると再びそのガサガサという音と共に猫を侍らせた一人の人間が現れた。その人は猫に気を取られているようで、猫の方に向かって「もう無いって」と言葉を投げかけていた。猫に好かれる不思議な人、それが第一印象。


「…あ」


その人は私に気付き、バツの悪そうな顔をした。大の大人の男が猫に話しかけてる姿を見られたのだから、恥ずかしく思うのは仕方のないことかもしれない。私もついつい声に出して猫に話しかけてしまうことがあるけれど、それを第三者に見られるのはやはり恥ずかしいように思えた。


「………何?」


訝しげにその人は言った。そりゃただただ突っ立って、自分と猫を見つめる人間が居たらそう聞くだろう。その言葉にハッとした。


「あ、あの…ごめんなさい!なんでもない、です」
「そう」
「猫に、好かれてるんですね。私も猫好きなんです」
「…へぇ」


そりゃ初対面なんだから、会話なんて続くわけない。なんて言えばいい?さようなら?また今度?すみません?何か言わなきゃと思考をフル回転させていると、彼の周りの猫はもっと餌が欲しいと言わんばかりに彼の持つスーパーの袋にじゃれ出した。「だからもう、無いんだって」と少し困った風に言う彼を見て私は何を思ったか、自分が購入したコンビニの袋の中から猫缶を一つ取り出した。


「…え?何?」
「まだ、お腹空かせてるみたいですし…。良かったら、これ」


ぐっと、猫缶を持つ腕を伸ばして、彼の手に乗せた。ぽん、と彼の手に猫缶が渡った瞬間、初対面の人と何やってるんだとふっと思い出した。


「あの、えっと、ごめんなさい。さ、さよなら!」


変なヤツだと思われたと思う。我ながらそう思う。夕暮れ時に路地裏でこんな変な出会いなんて二度と無いだろう、そう思えるぐらい彼との出会いは不思議なものだった。
私は、別れの言葉を吐き出すと脱兎の如くその場を立ち去り、三分もしないところにある我が家に駆け込んだ。
バタンと閉めたドアを後ろ背に、息を整える。


「…仕事以外で男の人と喋ったの久しぶりかも…」


ぽつりと呟いた言葉に、飼い猫の愛猫の名前はニャアと鳴いて答えた。ごめんね、猫缶一個あげちゃった。でも猫好きに悪い人は居ないよね?そう心で呟いて愛猫の頭を撫でた。




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