小説 | ナノ

体育の授業中、何年かぶりにすっ転んで右膝と右手のひらを擦りむいた私は先生に言われるがままに保健室への道を歩いていた。
そもそもこんな寒い時期にマラソンしようなんて言い出した先生が悪いのだ。トラックを走っている時にバランスを崩した私は、見事なまでにズタボロだった。ジャージを履いていたから、お陰様で右膝は薄く皮が剥けたぐらいで済んだが、咄嗟に着地時に出た右手は今や無残に土と血液に塗れている。
そういえば、十四松先生が見送り際に言っていた保健室気を付けてね、の意味が今ひとつ分からない。これ以上転けないで気を付けて行けよってことなのか。それとも別の意味合いがあるのか。

兎にも角にも、授業中の校舎ってやつは不気味な程静かで遠くで楽器の演奏する音が聞こえるぐらい。ぴちょんぴちょん、と水道から滴り落ちる雫の音さえ聞こえてきそうだ。
健康優良児よろしくな私は、入学してからこの方保健室には来る用事が無くて、辛うじて場所だけは知ってるといった感じであった。一階の校舎の角、普段立ち入らないその領域に少し緊張する。
不在を知らせる看板が出てないところを見ると、中に先生はいるんだろう。保健の先生って誰だったっけ…そう思いながらノックをし、ドアノブを捻った。


「すみませーん、体育で怪我しちゃって…」


ハタッと目が合った。私はこの先生を知っている。気怠い表情にボサボサの髪の毛、よれた白衣、見間違えることはない。体育の十四松先生のお兄さんだって聞いたことがある、松野一松先生だ。
じとっとした視線と共に先生は口を開いた。


「…なに?どうなったの?」


ここに座れ、と言わんばかりに一松先生は自身が座る椅子のすぐそばにあるもう一つの椅子を引いた。私はそれを見、すごすごと入室しそこに腰掛けた。一松先生を直視、というかまじまじ見るのはさすがに失礼だと思い視線を床に移す。


「で?体育でどうなったの?」
「…え、と…転んで右膝と右手を擦りむいてしまって。」
「なるほどね、擦過傷か。ちょっと見せてもらうけどいい?」


先生はそう言うと、いい?と確認しておきながら私の返事は聞かなかった。そんなことお構い無しで、先生の両手が私の右足に伸び、すっと私のジャージを捲った。なんてことない、ただ傷の具合を見るだけなのにやたらドキドキして鼓動が早く感じる。


「ふーん?足はなんともなさそうだね。」
「は、はい…。」
「でもそっちは痛そう。ちょっと来て。」


先生はそう言うと私の右手首を掴んで立ち上がった。そして、保健室に備え付けられてある水道の蛇口の前に私を立たせた。もちろん先生は戸惑う様子もなく、蛇口を捻る。勢いよく出た水で、右手のひらの傷口を洗い流す。


「先生っ、痛いです。滲みます。」
「…うん、いいね。」
「はっ…?」


一松先生は不気味にニヤリと笑ったかと思うと、先程同様に私の右手首を掴んで戻ると椅子に座らせた。一体何が良かったというのだろう、一松先生はよく分からない。水で濯がれた手のひらは綺麗になったものの、じわっと鈍い出血は確認できた。


「とりあえず消毒して、ガーゼ貼るから。それで様子みて。」
「はい…。」


先生はそう言うとカチャカチャとピンセットやら、脱脂綿やらで私の右手のひらを手当してくれた。途中、滲みる消毒液にピクッと私が反応を示すとどこか一松先生は嬉しそうだった。


「ん、これで終わり。十四松のとこ戻って体育見学したら?」
「あ、有難うございます。」
「あと、名前とクラス教えて?」
「え?っと、苗字名前です。2-Aです。」


先生は苗字名前ね、私の名前を口に出しながら、手元の保健室利用台帳を記入しているようだった。ああそういうことか、と名前を聞かれたことにどきりとした自分が恥ずかしくなった。先生は台帳を記入し終えると、顔を上げて言った。


「…また来てもいいよ?じゃあね」


その後バタンと、保健室の扉を閉めた私は廊下にへたり込む。気が抜けたっていう表現がしっくりくる。
十四松先生が言ってた、保健室気をつけてねの意味が少し分かったような気がした。



2016.03.02
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