何度も経験した、上田の夏が今年も始まる。 控えめに鳴き始めた蝉の鳴き声が夏の訪れを感じさせる。大きな入道雲が気持ち良い。 「なまえちゃん、すっかり様になってるわね」 「ありがと奈々さん」 奈々さんや直美ちゃん、理香さんに由美さんそして万理子おばさん、みんなに囃されてついつい嬉しくなっちゃった私はずっと加奈に付きっきりだった。 まだ2歳なのに加奈は恭平と違って全然泣かなくて、まるで私のことを本当の姉か何かだと思ってくれてるんじゃないかってくらいに慕ってくれていた。 「加奈はお利口さんだねー。えらいえらい」 台所で忙しなく働く女性陣に目を送りつつも、畳の上にごろんと転がった。何畳あるかすら数えきれない広い空間に通り抜ける風が気持ちいい。 「加奈…寝る?なんか眠そう」 ふるふるっと首を振るのを確認して、奈々さんが持ってきていた絵本に手を伸ばした。 「そっか、じゃあ絵本読んであげよう」 ぱっと輝いた笑顔が実に可愛らしい。持って帰りたい。 「ん、じゃあこれにしようね。こら祐平真悟、喧嘩しない!」 携帯ゲーム機片手にバタバタ走りまわって喧嘩を始める二人に浴びせた怒声はまるで聞こえていないようだ。陣内家の子守担当は簡単なようでいて結構大変だったりもする。早く夏希来ないかな、なんてぼんやり思いながら絵本を開いた。膝にちょこん座る加奈によく見えるように。 どれぐらい経ったか、2冊目の絵本が終盤に差し掛かり加奈の目がトロンとし始めた頃、玄関から声がした。 「なまえ出てきてー!」 「はぁい」 台所から直美ちゃんの声がして、うつらうつらと寝ちゃいそうな加奈を抱きかかえて立ち上がった。軽く足が痺れてひょこひょこと玄関に向かう。 確かさっき玄関から聞こえた声は聖美さんだ。佳主馬もきっと居るんだろうな。昔こうして加奈のように佳主馬を抱いてあやしてあげたのが遠い昔のようで少し可笑しい。 「あ、やっぱり聖美さんだ久しぶりー!」 「なまえ元気ー?って何、子供出来たの?!」 肩に顔を預けた加奈は聖美さんから見えないようで、少し驚いた聖美さんの声にくすりと笑った。聖美さんの後ろにいる佳主馬も目を見開いているように見えた。 「そうなのー。可愛くて可愛くて仕方がなくって」 ぽかんと口を開けた二人に、なぁんてとネタばらし。 「奈々さんとこの加奈だよ!子守係なの。びっくりした?」 「…そりゃそうよね。相手がいないものね。誰かに似て男運ないし」 「聖美さん手厳しいなぁ」 上がり框に足を掛けた聖美さんに空いた右手を差し出す。 「ありがと」 「聖美さんの赤ちゃんも産まれたら面倒見るから」 「お願いするわ、佳主馬の時みたいに」 「お安い御用!台所にみんないるよ」 聖美さんはよっこらせと荷物を持って廊下を行く。私もその荷物を1つ右手で持って聖美さんの背中を追う。しかし自身の背中に痛々しい程の視線を感じて立ち止まる。 「佳主馬?入りなよ。どした?」 「…別に」 「相変わらず佳主馬はクールだなぁ」 「なまえ姉ぇはちゃらけ過ぎ」 「そう?ねぇ、加奈可愛いでしょ!なんかお母さんっていいよねぇ」 私の肩に加奈は頭を預けているのだから、背中からは加奈の顔が肩越しに見えるはずだ。 「さっきのびっくりした?」 「別に、なまえ姉ぇが結婚とか有り得ない」 スッと私の脇を抜けて先々歩いていく佳主馬を追い掛けた。 「失礼しちゃうわね。学校ではモッテモテなんだから」 「……それ本当?」 「え」 あ、でも大丈夫かなまえ姉ぇは売約済みだもんね。なんて不思議な言葉を残して佳主馬は行ってしまった。 「売約済み…?何私売られるの?」 10.9.20 |