鼻先の距離
ついに来てしまったこの日。
目の前に広がる一軒家。
何故か私の足はさっきからこの場から一歩踏み出せずにいる。
そんな私を気にしながらも怜ちゃんがチャイムを鳴らしてくれた。
中から白石先輩が出てきた。
今日は休日だから当然ながら私服なんだけど、普段見ることのない白石先輩の私服姿に私の目は釘付けになる。
特に着飾っているわけじゃないのにやっぱりかっこよく見えてしまうのは好きな人だからなのか、それとも白石先輩だからなのか。
「二人ともおはようさん。上がりや」
お邪魔しますと声を合わせて言い、二階にあるという白石先輩の部屋に上がらせてもらった。
白石先輩の部屋は無駄なものが一切なく、必要最低限の家具だけが置かれていた。
そのおかげか綺麗片付けられていて、部屋も広々していた。
真中に置いてある大きめの机の周りに忍足先輩が座っていた。
「なんや謙也もう来てたん?」
「おお。朝一に来たんや」
「朝一て…。迷惑やったんちゃう?」
「ええの。俺と白石家の仲や」
はいはい、と言いながら怜ちゃんは腰を下ろす。
私も怜ちゃんの隣に腰を下ろした。
少し遅れて白石先輩がトレーに飲み物を乗せてやって来た。
「よっしゃ、ほな始めよか」
それぞれカバンから教材や筆記用具を机の上出す。
「苗字さん、どこがわからへん?」
『え!?』
白石先輩は私の隣に腰を下ろした。
教材を見るために自然と白石先輩との顔の距離が近くなる。
白石先輩は全然気にかけていないのに、私は心臓をばくばくさせて緊張で体ががちがちに固まる。
一人だけ気にして恥ずかしい。
『え、っと………全部です』
言おうかどうかかなり迷ったけどここで嘘を吐いたところでいいことはない。
白石先輩の反応が怖かったけど、白石先輩は穏やかに微笑み「ほな基礎からやってこか」と言ってくれた。
そんな優しさにこんなときでも胸が高鳴る。
「数学はとりあえず公式をしっかり覚えることが基本や。やないと問題が解けへんからな」
『はい』
「ちゅうても問題解いとったら自然に頭に入っていくと思うわ」
まずはこの問題からやるで。
それから何時間経ったかはわからないけどひたすら白石先輩に数学を教え込まれた。
理解力に欠けているのか何度も同じ質問したり、一つの問題に手古摺ったりしていたけど、それでも白石先輩が怒ることはなくて丁寧に一つ一つ教えてくれた。
白石先輩の教え方は無駄がなく、重要なところだけを絞って教えてくれるから授業よりもずっとわかりやすかった。
『……どうですか?』
白石先輩が考えた問題を何問かルーズリーフに書き、今は私がそれを解いて答え合わせをしてもらっている。
「全問正解や」
『ほ、ほんとですか?』
「よう頑張ったな」
白石先輩は笑いながら軽く頭をぽんぽんと叩いた。
ほんとに軽く触れられただけなのに、一気にそこに熱が集まっていく。
今、触られた…。
嬉しさやら恥ずかしさやらがごっちゃごちゃになる。
『…ほんとにありがとうございます。白石先輩も勉強しないといけないのに、時間割いて教えてくれて』
「ええよ。もうテスト範囲は復習済みやし」
『え、もうですか?』
「テスト一週間前に焦ることないように毎回事前に終わらせとんねん」
その言葉を聞いた瞬間急に一週間前に焦っている自分が恥ずかしくなる。
だめな奴って思われているのかもしれない。
「あ、そういう意味で言ったんちゃうで!?ほんま堪忍」
白石先輩はあきらかに落ち込んでいる私の様子を見たのか慌てて慰めようとしてくれた。
そんな白石先輩が見るのは新鮮で思わず笑ってしまう。
「ああーめっちゃ頭良うなった気いするわーっ」
「何時間やったんやろね」
「なんやめっちゃ腹減った」
「どないする?ファミレスにでも行く?」
「せやな!行こうや。やないと俺死んでまうわ」
「近くにファミレスあるし、そこ行くか」
お腹の空腹感なんて気にならないほど白石先輩と外食できることが嬉しくて心を舞い上がらせながら白石先輩の家を後にした。