別れようと言われた時、感じたのは悲しさではなく、妙な安心感だった。

勿論私は彼を想っていたし彼も又私を想ってくれていた。自惚れじゃない。だって恋人同士だったのだ、相思相愛で当然だろう。これは私の予想だけど「別れよう」と言った時の彼はまだきっと私を好きだった。好きだったけど、別れを告げた。それには何が理由があるのだろう。でもそれを訊く気にはならなかった。彼がそう言うのなら、別れてもいいか、なんて思った。うん、分かった。別れよう。簡潔に言葉を返して、私達の関係はあっさりと消えた。別れてから何度か寂しさや言い様のない後悔を覚えたけれど、その時期は丁度忙しくて、失恋に心を傷めている暇はなかった。就職活動が始まったのだ。私は立派なくノ一になることを夢見ていたし、彼も一流の忍者を目指していたから、別れて正解だったのかも知れない。もしかしたら彼はそれを見越して別れようなんて言ったのかも知れない。答えは分からないまま、私達は卒業した。

在学中に就職先が決まっていた私は卒業したその日から城仕えの日々が始まった。下忍からのスタートは辛く随分な汚れ仕事も回されたけれどそれをバネに私は一年で上忍までに昇格してやった。自由に動く為にはまず地位が必要だった。その為に城主の閨に入ったことも、ある。それもひとつの世渡りの術だ。今更足を開くことに嫌悪感なんかない、それで地位が上がるなら安いもの。まあ、そんなことばかりしていた所為で恨まれて寝首を掻かれそうになったこともある。勿論返り討ちにしてやったけれど。抱かれるのも殺めるのも抵抗はない。くノ一というのはそういう生き物だ。私が戦忍として戦場へ出るのも、珍しいことではなかった。援軍として参戦したり敵陣に慰み役として忍び込み、内部から潰したこともある。敵将を討ち取る度、私は学園のことを思い出した。あの頃はこうなるなんて思ってなかったのかも知れない。ずっと隣に、彼がいると思っていたのかも知れない。時々思う。彼が別れを告げたのは、私が嫌いだっただからなのだろうか。好かれている自信はあったけれど今となっては分からない。思っても仕方のないことだと分かっている。分かっていても想うのは、乙女心というやつか。馬鹿みたいだ。

嗚呼ほんとうに、馬鹿だ。




















「…どうしたの」

「…何故、逃げない」

「逃げられないの。腱が切れてしまったみたい、足が動かなくて」

「……」

「何を躊躇うの。殺したらいいじゃない」


私に馬乗りに跨がる男へそう言えば、彼────長次は眉間に皺を寄せた。長次の苦無は既に私の喉笛を捕らえている。一か八かで逃げることは出来たのかも知れないが如何せん軸足である右足が死んでしまった。武器は持っていないし彼に体術で敵うとは思えない。色に惑う訳もないだろう。なら抵抗は無意味だ。それなのに長次は、私を殺そうとしない。

いつも通りの戦だった。援軍として呼ばれ影に潜み援護をしていた。すると手練れの忍者がいると報せを受けて、私が出向いた。わざと相手の陣地へ単身で乗り込めば溢れ返る鼠共にほくそ笑む。そしてそれらを仕留める────までは、順調だった。あとひとり残ったこの男に、長次に、かなり苦戦した。そしてこのザマだ。最初はお互いの正体に気付かなかった。先に気付いたのは私だ。頭巾をしていても目と縄標さばきですぐに分かった。私が地に倒されてから長次が私の頭巾を剥いで、そうして、先程の会話に戻る。元恋人と久方振りに会ったのが合戦場とは情緒の無いこと。だけど、それが私達らしいのかも知れない。


「ねえ、殺さないのなら、死んでくれる?」

「……」

「あなたがいるお陰で我が軍は甚大な被害が出てる。私の指揮も無くては援護もままならないわ」

「…指揮をする立場に在るのか」

「これでも忍隊の長をやってるの」

「…そう、か」

「…長次」

「……」

「久し振りね。すごく」


長次は何も言わなかった。ただただ私を見つめていた。呼吸をする度胸が痛む。骨が折れているのかも知れない。激しい出血は無いが内部の破損が酷い。放っておかれても簡単に死ぬことはないだろうが、長く生きることも出来ないだろう。なら殺して欲しい。顔も知らないどこぞの馬の骨に殺されるくらいなら、長次に殺される方がずっとマシだ、なんて。これも恋慕の情だろうか。笑わせてくれる。


「私、卒業してからも時々あなたを思い出してた。それでずっと考えてたわ。どうして長次は私を振ったんだろうって」

「……」

「私はあなたが好きだったしあなたも私が好きだと思ってたのに。勘違いだった?長次は、私が嫌いだった?」

「そんなことは」

「こうなることが、分かっていたから?」

「…似たようなものだ…」


ぼそり、ぼそり。相変わらずの話し方に声量に、そんな状況ではないのについ小さく笑ってしまった。変わらないひと。ああでも、髪が伸びた。声のトーンが深くなった。あの頃よりずっと魅力的になった。告白したのは確か私だった気がする。一日考えさせてくれと言われて、翌朝部屋の前に文が投げられたことを思い出した。内容はイエスのみで、私は堪らなく嬉しかったことを覚えている。なんだか懐かしい。いとしい、こいしい想い出。もう戻れない日々。過去を語るには、私は随分と穢れてしまった。ふうと溜め息に似たものを吐き出す。その時不意に鼓膜を揺らした笛の音に我に返った。


「長次、私を殺さないのならすぐに去れ」

「…何を」

「私の帰りの遅さを危惧した部下がこちらに向かってる」

「……」

「長次」

「何故、私を逃がす」

「…何故」

「それを伝えなければ、私はお前の部下に殺されていただろう。だのに、何故私を生かす」

「何故、って」

「…我らはもう、敵なのだ」


敵。ああそうだ、分かっていたけど、今やっと理解したような気がした。私達は変わったのだ。あの頃とは違う。長次は手練れだと恐れられ、私は部下を持つまでの地位を手に入れた。そして私達は、敵だ。それぞれ敵対する城に仕えている。特に私達は忍だから顔を見られたなら殺さなくてはいけない。それなのに、何故私は彼を逃がそうとしているのだろう。

何故。ナゼ?それを、私に答えさせるのか。答えなんかないじゃないか。なかったじゃないか。今も、あの日も。


「きっと、あなたが私に別れようと言ったのと同じだわ」


ねえ、あなたもしかして、私を護ろうとしたのでしょう。言ってみてようやく気付いた気がする。ずっと隣で歩くことは出来ない、もしいつか敵対することがあれば恋仲で無い方がいい、だから別れた。別れざるをえなかった。そうすることでしか、私達は私達を守れなかった。喉笛に当てられたままの苦無に、長次の手に、そっと触れる。彼の手はひどく冷たくて少し震えていた。目も見開いていて何故だか驚いているようだ。まるで怯えているみたい。彼も怯えることがあるのだろうか。長次の唇がきゅっと引き結ばれる。それが私の唇に、柔らかく重なった。

触れあったのは一瞬。なのに熱がこもる。手は冷かったくせに、唇だけはひどく熱かった。


「…ずっと、想っていた」

「…うん」

「ほんとうは、お前を」

「分かってる」

「だが」

「分かってる」

「…だから、気持ちは、隠していく」


もう一度だけ触れあった唇が、もう一度だけを求めて喘いだけれど、次の瞬間彼は消えていた。それと同時に部下が上空から降り立つ。動けない私を見て驚愕していたようだけど今まで在った気配には気付いていないようだった。戦はどうなったのだろう。すぐに命令を出して部下を走らせた。使い物にならない右足を引きずって立ち上がる。腱が繋がるまで戦には出られないだろう。それでもいいや。禄が減ろうが地位が下がろうが構わない。


「次に逢ったら、上手に殺してね」


誰もいない空間に呟く。大丈夫、生きていける。この唇に残る熱さえあれば。






Special Thanks shien!
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